テニス進化論(5)

 

錦織支えた盛田ファンド 91歳の恩人が描く夢

 

 

 錦織圭(日清食品)が2014年全米オープンで準優勝し、一番最初に伝えたい人を聞かれたとき、真っ先に出てきたのが盛田正明・日本テニス協会名誉会長の名前だった。「盛田さんがいなかったら、僕はここにいない」。平成のテニス界を彩った選手たちを紹介したシリーズの最終回は、「あしながおじさん」となった一人のビジネスパーソンの話だ。

 盛田正明(91)は今年の1月、久々の四大大会観戦のためオーストラリアを訪れた。行くのはいつも16強が出そろう頃から。錦織や大坂なおみ(日清食品)の応援が目的ではなく、「うちのジュニアの子が初めて四大大会に出るので。行ってみたら、いきなりダブルス優勝(川口夏実、16)。試合に出ている週は毎朝、一番で結果を確認するんですよ」。5月に開幕する全仏オープンには望月慎太郎(15)も出られそう。久しぶりの「盛田正明テニス・ファンド」の留学生の活躍に声が弾む。

 兄・昭夫に誘われて草創期のソニーに入って47年。ソニー副社長、ソニー・アメリカ会長などを経て1998年にリタイアした。さて、何をして過ごすか。「今更、庭をいじるわけにもいかないじゃない。『人のやらないことをやれ』って(ソニー創業者の)井深(大)さんに言われてきたから。苦労させられたけれど、できるとこれほど面白いことはなかったことを思い出して。じゃあ、自分もやってみようって。何でもよかったの、正直。テニスじゃなくても」

 70年代後半、スポーツマネジメント会社IMGの創業者マーク・マコーマックと知己を得た。なぜか馬が合い、テニスの四大大会に招待された。96年の伊達公子とシュテフィ・グラフ(ドイツ)との死闘もウィンブルドンで観戦している。自分もプレーをするだけに面白く見ていたが、そのうち一つの疑問が頭をもたげてきた。

 「なぜ、日本人が勝てないのか? 女子は選手がいるのに男子がいない」。

 90年代の男子は松岡修造が46位に入った以外、トップ100に誰もいなかった。世界のトップを争う一握りの上位選手はともかく、世界ランク40位と80位では技術的に大差はないはずだ。日本で行うツアー大会でのプレーは悪くないのに、どうして一人も出てこないのか。

 そんな意識で観戦するようになって、気づいた。「技術はあっても、コートに出たときにすでに半分負けている」。ある日プレーヤーズルームをのぞくと、他国の選手はワーワー騒いでいるのに、日本選手は隅っこでボソボソしている。盛田いわく、「テニスは特殊なスポーツ」だ。第1試合以外は開始時間が分からない。前の試合の進行次第だからだ。1時間後かもしれないし、3、4時間先かもしれない。その間はプレーヤーズルームで待機を強いられる。「出番となったらトップコンディションで出て行かなきゃいけないのに、その間に精神的にくたばっちゃっているんです」

 いざコートに立ったら、時に一人で5時間も戦わなければいけない。キャディーのような話し相手もいない。「孤独で、あれぐらいつらいスポーツはないんじゃないかな。相手の嫌なことをする嫌がらせの競技だし、5時間ゲームなんてもう技術じゃないですからね。体力もそうだけれど、気力だね」。そんな競技だから、戦う前に疲弊していては勝てるものも勝てないのだ。

 最初は飛行機やホテルの手配などをすべて自分で、英語でこなさなければいけないのも、重荷にみえた。盛田自身がソニー時代、頻繁に海外に行き、駐在も経験した。「そこに住むのと出張は大違い。子供のころから海外に住まわせて、そこを自分の庭のようにさせなければ自分の力は出せない」。小学6年で選抜して、中学1年で米国に放り込む。自分はもうできないから、若い世代に託そうと考えた。

 始めはつらくてもだんだん世界を回るのが楽しくなるのではないか。そうなれば世界のどこでも力を出せるだろう。日本選手も強くなれるはずだ。「これだって思ったんですよ。そこからは自分の考えが実現するか否かの興味ですね。別にテニス界のことなんてサラサラ思ってなかった。そうしたら(錦織)圭が出てきた」と笑う。

 前例がない計画に、元デビス杯選手の坂井利郎、吉井栄、そしてマコーマックらが乗ってくれた。資金源は自らのソニー株。創業した息子を援助しようと、父親が増資のたびに買い増してくれていたものを売った。「すごい運がよくてね、ソニー株が最高に高かったころだった。ざっと10億円。友達も協力してくれたし。別に苦学力行といった立派な話じゃないんです」。恥ずかしそうに謙遜するが、これぐらいの余裕がないとできない壮大な計画だし、気さくで好奇心旺盛な盛田の人柄のおかげもあったろう。

 

 ビジネスの最前線にいただけに、見る目はシビアだ。「(テニス留学に)行っただけではたいしたことない。派遣先のトップコーチが本気になって育ててくれないと」。毎年、坂井らがピックアップした選手を、男子はIMGアカデミー、女子は米フロリダ州のクラブ・メド・アカデミーズ(錦織を育てたゲイブ・ハラミロコーチの移籍先)のトップコーチが来日してチェックする。近年は全国レベルの真剣勝負の場を見てもらい、さらにアカデミーで数週間過ごしてもらって決める。350人を超える選手を抱えるアカデミーの中で、数人だけが入れるエリートグループに残れなければ意味がない。アカデミーのお眼鏡にかなわず派遣者ゼロの年もあった。

 これまでに28人が渡米して18歳の卒業を迎えられたのは4人だけ。「狙っているのは世界のトップだから」そう簡単にはいかない。それでも「盛田正明テニス・ファンド」の財団法人認可がおりた03年に渡米した錦織が、いきなりトップに肉薄する位置まできた。「全国大会で勝つより、強いところもあれば弱いところもある。こういう子の方が面白いですね」

 ファンドの立ち上げに奔走していた00年には、日本テニス協会会長に就任した。前任者で岩田屋会長だった中牟田喜一郎の依頼を断れず引き受けた。まず、右腕として元デ杯選手の渡辺康二を専務理事に指名し、内情を把握しようと「初めて帳面を見てびっくり仰天。ほとんどお金がなかった」。

 協会の収入源は、主に補助金とジャパン・オープン(現楽天ジャパン・オープン)。伊達公子が引退した96年、ジャパン・オープンの総入場者は4万6千〜4万7千人だったが、00年は2万6千〜2万7千人。1日平均4千人弱。1万人収容の有明コロシアムではガラガラで、いかにも見た目が悪い。スポンサーもつかず赤字続きだった。とはいえ協会にすれば、72年から続く、ATPツアーでも由緒ある大会でもあり、簡単にやめるわけにもいかない。1年目は古巣のソニーに助けを請い、01年からはマコーマックの紹介でAIGに冠スポンサーについてもらった。

 

 次は集客だ。日本のスポーツイベントにはありがちだったが、客が喜ぶようなお祭りムードに欠けていた。ジャパン・オープンも同様で、売店には冷えた弁当が置かれているだけ。毎年四大大会を観戦してきた盛田は一見して「こりゃ、ダメだ」と頭を抱えた。

 グランドスラム大会だけでなく、テニスの大会では、練習コートをファンに公開し、選手と触れあえる空間もある。ラケットやウエアの物販はもちろん、ハンバーガーやアイスクリーム、アルコールなど飲食のブースも充実。必ず憩いの広場があり、そこの大スクリーンではセンターコートの試合を見せる。試合観戦だけでなく、そこに来るだけで楽しめなければいけないのだ。

 01年は協会が保証金を出すことで出店を促すと、これがあたり、店舗数は年々増えていった。少しお金に余裕ができると、次は知名度のある選手を呼んだ。03年に16歳だったマリア・シャラポワ(ロシア)に主催者推薦を与えたのも盛田だ。「余計な話ですけどね……」と笑う。

 盛田が初めてIMGアカデミーに行ったとき、12歳のシャラポワとタチアナ・ゴロビン(フランス)を紹介された。元選手の坂井と吉井が組んで、2人とダブルスの試合をしてみた。「日本の変なおじさんだから軽く勝てるって思ったんでしょうね。でもこっちが勝っちゃった」

 その4年後、アカデミーで再会したとき、シャラポワに主催者推薦がほしいとお願いされた。「来日したとき、しゃぶしゃぶを食べに行ったら、『こんなおいしいものがあるのか』って喜んでくれてね。それからは、好きな日本食は?って聞かれると『しゃぶしゃぶ』って答えるんだよ」。シャラポワはこのジャパン・オープンでツアー初優勝。翌年はウィンブルドン女王として凱旋出場して連覇を果たすと同時に、集客にも多大な貢献をした。06年は世界ランク1位のロジャー・フェデラー(スイス)、10年にはラファエル・ナダル(スペイン)が来日し、集客数は7万人超まで伸びたところで、タイミング良く錦織の活躍が始まった。

 ビジネスパーソンの才覚で財務は立て直せたが、協会の柱である「普及」「強化」は難儀した。米テニス協会は全米オープンだけで3億5千万ドル(約385億円)を稼ぎ、錦織の年収が約38億円(米経済誌「Forbes」調べ)に上るのに対し、日本協会の事業規模はせいぜい20億円超。これを都道府県支部に分配しても、額は知れている。「(普及は)砂漠に水をまくようなもので効果がわかりづらい。強い選手が出てくれば、それに刺激を受けて(全国の支部が)頑張ってくれる。これが基本になりますよね」。この点で、錦織がテニスが盛んでない島根出身という効果は絶大だったという。

 トップの強化も難題だ。日本協会もジュニアの強化には口を出せても、プロに対して「この大会に出なさい」と指図はできない。ナショナルトレーニングセンター(東京都北区)での指導、四大大会などへのサポートチーム派遣くらいしかできることはない。下の世代の育成努力が実って、ジュニアの戦績は悪くない。10年はジュニア・デ杯で優勝も飾った。が、そのメンバーもプロ転向後は伸び悩んでいるのが実情だ。

 

「あっち(IMGアカデミー)の連中で感心するのは、ジュニアのランキングを上げようとしないんですよ。プロになったときに強くなるには今、何をすべきかが第一だからと」。15歳で「強い」と判断したら、2つくらい上のカテゴリーでプレーさせる。2回戦くらいでこてんぱんにされても意に介さない。逆に日本はランキングポイントを得やすい大会に出がちだという。日本協会が補助金を得るためには目に見える結果を残さなければいけないという事情もあろう。

 その辺のもどかしさが盛田ファンドにはない。錦織を派遣したときはIMGのトップコーチに言われるまま、毎年のように個人コーチを代えた。「今のマイケル・チャンで7人目かな。ジュニアは壁にぶつかったら(指導者を)代えてやるのが大事。圭も『代えてもらってよかった』と言ってました。日本ではずっと同じコーチについて伸び悩んでいることがある。いい選手になるほどコーチが離してくれないのもあるし。誰かマネジメント能力のある人が全体を見ながら、差配してあげればいいんだけれど」

 錦織、大坂の活躍を「彼らは海外育ちだから……」といい、国内で育てていかないと、とする意見は根強くある。地球儀を見れば、地続きの欧州は簡単に国境をまたいで移動しているし、米国は世界から人が集まる多民族国家だ。「島国の日本が海外で育てようとするのはちっともおかしくない。利用できるものは何でも利用して強くなればいいんです。ソニーの製品だってすべてが日本製じゃない。米国でも中国でも作ってるでしょ」。ボーダーレス化の時代、戦いの場も世界各地に散らばっているのに、国内にとどまっていては勝負にならない。

 

 

 

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