信用力で特典、消費者呼ぶ
中国スマホ決済660兆円
2年で6倍に拡大
中国で「生活インフラ」として定着したスマートフォン(スマホ)決済。工4億人の消費市場での決済は2年で6倍に増え、年間660兆円にも達した。簡単にお金を徴収できる仕組みは起業家スピリットを刺激し、波状的に新しいサービスを生む。だが怖さもある。国家が触手を伸ばしたとき、最新の技術は「監視の道具」としてすごみを増す。
「(船着き場を出ると)何十人もの車屋(馬車の御者)が包囲した」。192工年、芥川龍之介は
上海を訪れた時の第一印象を「不気味に感ずる」と記した。それから1世紀。船は飛行機に、馬車はタクシーに姿を変えたが、空港で白タクの運転手が渡航者に群がる状況は変わらなかった。
ところが最近、この風景がめっきり減つた。「警察の目を盗んで観光客に群がるより、配車アプリで捕まえる方が効率がいい」。ある白タク運転手は3台のスマホを操り、毎日数百元(数千円)の収入をスマホで受け取る。芥川も見た「百年の慣習」はスマホの登場であっさりと消えた。
中国は今、消費生活とお金の流れがガラリと変わる転換点に立つ。中国の調査会社によるとスマホ決済は3年ほど前から急拡大し20工6年に総額で39兆元(約660兆円)と日本の国内総生産(GDP)を上回つた。14億人の巨大な消費マネーを追い求め、起業家がシェア自転車や生鮮食品の30分配送など斬新なサービスを世に送る。利便性が高まって消費者に浸透し、それが新サービスを呼び込む。
日銀のリポートでは店頭でスマホ決済を利用する人は日米独が2〜6%だが、中国では98%が「3ヵ月以内に使つた」と答えた。上海の一角に密集する八百屋や雑貨店など20店に聞くと、電子決済を使えないのは婦人靴店1店のみ。ある飲食店員は「支払いの9割がスマホ」と言う。中国のスマホ決済は(支付宝(ァリペイ)」 (アリババ集団系)と「ウィーチャットペイ」 (騰訊控股=テンセント系)の2強に延べ12億人が登録する。
アリババのアリペイの場合、工日の決済件数は1億7500万回に及ぶ。アリペイを使うには実名や身分証番号の登録が必要だ。支払金額や商品、店舗名などの消費情報が、名前や年齢といった個人情報とひも付いた形で毎秒2千件のペースで蓄積される。
「データは新しい石油になる」。アリババの馬雲会長はビッグデータ解析や人工知能(AI)が進化する今のビジネス環境において、膨大なデータはなくてはならない「石油」だと主張する。
この現代の石油で何ができるのか。カギを握るのが、アリペイの「芝麻信用」というサービスだ。
「芝麻」は日本語で「胡麻(ゴマ)」。物語「アリババと40人の盗賊」で主人公が宝の山を見つけるために唱える「開けゴマー」は中国語で「芝麻開門!」と言う。
「ゴマ信用」を開いてみた。利用者の信用力を950点満点て評価し、スコアは勤務先や学歴など個人情報を追加入力すると増す仕組み。個人情報の入力を避けている記者の信用力は590点だが、頻繁に使うという知人の中国人に聞くと840点と高い数字だった。
信用力が高いとシェア自転車の保証金がタグになったり、海外旅行の際にWIIFIルーターが無料で借りられたりするなど様々な特典が付く。この特典目当てに中国の消費者はこぞって個人情報を登録する。アリペイのデータは厚みを増すと同時に、信用スコアの信頼度が高まる。
信用力評価は多くのビジネスで重要な意味を持つ。上海の消費者金融会社は「ゴマ信用」のスコアだけを基に無担保で最大5千元を貸し出すサービスを始めた。
富裕層にアクセスしたい高級ブランド店や、所得水準に合わせ効率的に広告を打ちたいメー力ー、貸し倒れリスクを減らしたい金融機関――。中国では今、アリペイが見つけた「宝の山」に多くの企業が群がり始めている。アリペイを運営するアントー・フィナンシャルの陳竜・最高戦略責任者(CSO)は「中国ではフィンテックはすでに生活に浸透した」と話す。
国民監視に懸念も
最新の技術と膨大なデータを使い便利になる中国社会。しかし中国では情報を持つ「企業」と「国家」の垣根が極めて低い。猛烈に最新技術を取り込んだ先にあるのは、ビジネスチャンスが国民の監視につながる社会だ。
8月、中国人民銀行(中央銀行)は2018年中をメドに、すべての電子決済を人民銀系の決済システム経由で行うよう通知を出した。アリペイだけでなく、騰訊控股(テンセント)の「ウィーチヤツトペイ」も対象だ。スマホを手にする国民の経済活動を捕捉することが可能になる。
11月には河南省の男性がアリペイの残高10万元を凍結された。地元の裁判所は男性が民事上の支払いを怠ったと判断し「資産凍結」をアリペイ側に申請したのだという。同様の事例は今年後半に入り、急増している。地元メディアは「裁判所がアリペイとの連携ルートを確立した」とはやす。丸裸になった個人情報を国家が利用する構図が浮かぶ。
「赤信号を渡らないでください」。中国では今、交差点の至るところに設置した監視カメラを使い、信号を無視した歩行者に大型画面で注意を促すシステムが広がっている。裏では最新の顔認証技術を連動させており、個人を特定している。
スマホ決済のお金の流れ、シェア自転車や配車アプリを使つた移動情報、監視カメラがとらえた目撃情報――。公安関係者からは「国の一挙手一投足の把握をめざす」との意向も聞かれるが、不気味さに警鐘を隠らす声は大きくない。
アリペイは日本でも中国人観光客向けにコンビニなど3万店で使える。現時点で中国の銀行口座を持つ人しか使えないが日本人向けのサービス導入も検討が進む。情報が中国当局に流れない仕組みなど、個人データ保護の環境整備が不可欠だ。