FINANCIAL TIMES
台頭する反ユダヤ主義
チーフ・フォーリン・アフェアーズ・コメンテーター ギデオン・ラックマン
集団主義の政治が脅威
筆者が生きてきたこの50年、ありがたいことに欧米社会で反ユダヤ主義が政治的に問題になることはなかった。しかし状況は変わりつつあるようだ。
3月28日、パリで反ユダヤ主義に反対する大規模なデモ行進があった。その数日前にホロコーストを生き延びた85歳のミレイユ・クノルさんが殺害され、マクロン仏大統領が「彼女はユダヤ人であるという理由で殺された」と発表したことを受けたものだった。また、ロンドンでも同26日、英労働党内に存在する反ユダヤ主義に抗議するやや小規模なデモが起きた。
4月8日にはハンガリーで総選挙が実施される。露骨な反ユダヤ主義的な発言ではないものの、誰が聞いてもユダヤ人に対する批判と分かる発言を繰り返すオルパン首相が再選される見通しだ。米国でさえ、この流れと無縁ではない。昨年8月にバージニア州シャーロッツビルに集まった白人至上主義者や極右団体のデモ参加者たちは、「ユダヤ人に我々の立場を奪わせはしない」といったスローガンを繰り返し叫んでいた。
これは1930年代のユダヤ人排斥が再び起きようとしているということか。必ずしもそうではない。確かに今の反ユダヤ主義には、過去を思わせる要素はある。例えば、今もユダヤ人は怪しげな国際ネットワークを築いているといった見方が再び浮上している。しかし今回、新しいのは、反ユダヤ主義が「イスラムとイスラエルの対立」というより大きな戦いと一緒にされている点だ。
極左はイスラエルを目の敵にすることが多い。パレスチナ難民の人権を奪っているとして、イスラエルを人種差別の代表とみなす向きがある。一万、極右の最大の敵はイスラムで、彼らはイスラムを様々なテロを起こす連中と欧米に押し寄せる移民と同一視している。そして多くの場合、極左も極右も自分たちは反ユダヤ主義者ではないと手張してきた。なぜなら極左は人種差別に反対だし、極右は大抵、親イスラエルだからだ。
オルパン氏は極右で親イスラエルで知られるが、反ユダヤ主義的な発言もするので、複雑だ。今回の選挙運動中も、同氏は反ユダヤ主義に満ちた発言をした。例えばこんな感じだ。「我々が戦っている敵は、我々とは違う種類の人間だ。表には出ず、陰で動き、正直ではなくずる賢い。自分の国を持たず、国際的に活動し、ろくに働きもせず、投機に価値を置く人々だ」 オルパン氏がこうした発言を通じ批判しているのは、ハンガリー系ユダヤ人投資家のジョージ・ソロス氏だ。だが、オルパン氏がソロス氏に向ける最大の非難は、同氏がハンガリーをイスラム教徒の難民であふれさせようとしているというものだ。オルパン氏は2015年、バルカン半島経由の移民流入を阻止すべくセルビアとの国境に壁を築く決定をし、これを実施。以来、欧米の極右たちから英雄視されている。同氏のソロス氏に対する敵意や欧州の「イスラム化」に対する懸念は、昨年7月にハンガリーを表敬訪問したイスラエルのネタニヤフ首相も共有している。
極右には、オルパン氏とイスラエルの両方が好きだという人が多い。現代欧州のユダヤ人にとって最大の脅威は、自分たちと共通の敵である「イスラム過激派だ」と彼らは主張する。
しかし、欧州の多くのユダヤ人は、当然のことだが、極右からの「支援」に慎重さを見せる。クノルさんの追悼デモには、仏極右政党「国民戦線」のルペン党首も参加しようとしたが、デモの中心となったフランス・ユダヤ人組織からは一定の距離を置かれた。
オルパン氏と同様、トランプ米大統領のユダヤ人に対する考え方もわかりにくい。米国には同氏が新興の極右思想「オルトライト」とつながりがあるため、シャーロッツビルでの極右によるデモを非難することをためらったとする見方がある。一方で、トランプ氏の愛娘イバンカ氏が正統派ユダヤ教に改宗したのを受け入れている以上、同氏が反土ダヤ主義者だとは考えにくいとの見方もある。ただ、イスラエル政府としては、エルサレムへの米大使館移転を決めたトランプ氏の方が前任のオバマ氏よりはるかに付き合いやすい相手であることは間違いない。
欧州の極左は、トランプ氏とネタニヤフ氏が親しく、2人とも国家主義色が強いのを口実に、自分たちの怒りの対象は国家主義であってユダヤ人ではないと主張しようと思えば、そうできる。だが極左がイスラエルを嫌悪しているのは確かだ。彼らはガザ地区の住民が殺されれば憤慨するが、シリアやイエメンで市民が死んでもほとんど反応しない。
中東に浸透している「ユダヤ人が世の中を操っている」との陰謀論は、欧米の左翼政治にも影瞥を与えてきた。英労働党のコービン党首は、イスラム主義め指導者ラエド・サラー氏を英下院に喜んで招待したいと述べた。サラー氏は、2001年の米同時テロ事件の際、ユダヤ人はニューヨークの世界貿易センタービルから離れるようにと事前に警告されていたという説を触れ回っている人物だ。
極右と極左は互いを敵だと考えたがるが、彼ら自体が反ユダヤ主義の温床となり得るという共通点が濁る。どちらもアイデンティティト政治(編集注、民族、宗教、社会階級など構成員のアイデンティティーに基づく社会集団の利益のために政治活動すること)を好む点だ。極右の中には自らを「アイデンティティー主義者」と称し、自分たちは白人社会の文化を守るためイスラムと戦っていると信じている者もいる。極左も政治を集団と集団の対立として考えがちで、各集団にそれぞれの代弁者がおり、それぞれの不満リストがあると考えている。
アイデンティティー政治は、集団のアイデンティティーを個人に押しつけるものであるため根本的に自由と反する。筆者の知人の多くもそうだが、筆者自身も複合的なアイデンティティーを持つ。ユダヤ人であり、英国人であり、ロンドン市民であり、ジャーナリストでもあり、歴史学を修めた人間でもある。配偶者はユダヤ人でなく、筆者と同様に宗教を気に掛けない。
自由主義的な社会においては、個人のアイデンティティーはそれぞれの手で築くものであり、それは時と共に変化し得る。個人のアイデンティティーより集団としてのアイデンティティーを重視することは、反自由的なだけでなく、危険でさえある。そうしたことが、かつてユーゴスラビアで起きた。昨日までの隣人が突然、セルビア人、イスラム教徒、クロアチア人となり、互いに戦う事態に陥った。
ユダヤ人組織が反ユダヤ主義に抗議したいというなら、それは構わない。だが、ユダヤ人の権利もイスラム教徒の権利も守る最良の道は、全員を法の下で平等に守られる権利を持つ一人ひとりの市民として扱うことだ。右派であろうと左派であろうと、アイデンティティー政治こそが脅威なのである。