データで読む;野党
野党第1党 わずか1割
議席占有率 選挙前に過半数諦め
先の通常国会で事実上の会期末だった7月20日。野党6党派は党首会談を開いた。国民民主党の玉木雄一郎共同代表が「安倍政権に代わる政権構想を野党も示すのが責任だ」と唱えたが、立憲民主党の枝野幸男代表は答えなかった。枝野氏はこの後の衆院本会議で2時間43分にわたって演説したものの政権構想は示さず、政権批判に終始した。政権担当能力を示すのか、政権批判で訴えるのかは野党の悩みのタネだ。ところがいま衆院では与党が300議席を超え、野党第1党の立民は55議席しかない。野党第2党の国民とも足並みがそろわず与党ペースが続く。自民党の閣僚経験者は「野党が政権を奪うとは誰も思わず緊張感がない」と話す。野党が政権担当能力を示しても議席増の見通しは立たない。
野党第1党は衆院でどの程度の重みを持つのか。衆院選の結果が出た開票日段階で、衆院定数(現在は465)に対する野党席1党の議席占有率を算出してみた。自民党の総裁が安倍晋三氏になって以降の2012、14、17年はいずれも1割台しかなかった。
「100議席超」目安
16年に民進党を旗揚げする際、維新の党から合流した松野頼久氏らは「衆院で100人を超えて初めて単独で政権交代を狙える」と繰り返した。05年の民主党、09年の自民党は衆院選で惨敗したが100議席を超え、次の衆院選で政権を獲得した。「100議席超」は1つの目安だが、それでも定数の2割ちょっとでしかない。
次に政権獲得の本気度を見てみる。野党第1党が衆院定数に対してどの程度の候補者を擁立したか調べると、14年の民主党や17年の立民はいずれも半分に達していなかった。選挙を戦う前から事実上、過半数を諦めていたことになる。
17年は公示前勢力では野党第1党(57議席)だった希望の党が過半数を擁立したが、結果的には立民にも競り負けて野党第2党に転落した。いま立民を率いる枝野氏は「政権交代」や「政権構想」などをあまり口にすることはない。
96年衆院選から導入した現行の小選挙区比例代表並立制は、政権交代可能な二大政党制を想定したものだった。小選挙区は定数1を与野党の候補者が争うため、2党の対決になりやすい。96〜12年の衆院選は、与野党の第1党がともに定数の過半数を擁立し「政権選択選挙」になっていた。
残る中小政党
14、17年の直近2回の衆院選は、定数3〜5を中心とした中選挙区制の構図に近い。60〜90年の11回の衆院選では、野党第1党の社会党が定数の過半数を擁立しなかった。当時は与党・自民党と野党・社会党が固定化する「55年体制」だ。社会党が政権獲得を目指す姿勢を見せず、政治に緊張感は乏しかった。
1人しか当選しない小選挙区では、野党は候補を一本化して戦った方がいいはずだ。ところが野党の数を見ると実態はそうなっていない。
衆院選公示日の野党の数を調べると96〜09年の5回は4〜6だ。98年には新党友愛や太陽党、03年には自由党がそれぞれ民主党に合流した。ところが12年は日本維新の会やみんなの党など「第三極」と呼ばれる政党を含め野党は10に膨らむ。14、17年は7だった。
野党が割れる裏には、小選挙区に比例代表を並立させる制度の影響がある。比例代表は小選挙区では勝利が難しい小政党の候補でも当選できる仕組みのため、比例票頼みの小政党が残りやすい。
成蹊大の高安健将教授(比較政治学)は12年以降の衆院選について「比例代表が重みを持っている。野党に不利な状況の時は、党が分かれたほうが再選の見通しが立つ選挙制度になっている」とも指摘する。
現行制度では小選挙区で敗れても、当選者の得票数の何%を獲得したかの「惜敗率」が高ければ復活当選する。小選挙区で強い自民党現職と戦う野党候補にとっては、同じ党の候補者の惜敗率が重要だ。党内のライバルが少ない中小政党はこうした面でも魅力になる。
いまは「安倍1強」といわれるが、裏返してみれば野党の「多弱」ぶりが際立つ。野党の現状をデータで読み解く。
政権批判 無党派に流入
野党支持率 歴史的低さに
野党の支持率の低迷が続いている。日本経済新聞社の7月の世論調査では野党第l党の立憲民主党の支持率は12%、第2党の国民民主党は1%だった。自民党は38%で水をあけられている。一方、特定の支持政党を持たない無党派層は36%と立民の3倍もある。自民党を支持しない人が野党支持に回らず、無党派層にとどまる構図がみえる。
国民民主党の関健一郎氏は有権者に「国会に緊張感がないのは野党が弱すぎるからだ」と叱責されるという。学校法人「森友学園」 「加計学園」の問題などを背景に、安倍内閣の不支持率は50%前後まで高まった。それでも野党の支持率は上がらない。
5年も10%前後
12年12月の第2次安倍内閣発足から5年7ヵ月間の衆院の野党第1党(民主、民進、立憲民主各党)の支持率の平均を日経の調査で計算すると
8.7%だ。71回の調査の約7割で支持率は1桁だった。最高値は17年11月と18年4月の立民で14%。日経が調査を始めた1987年以降、5年以上も野党第1党の支持率が10%前後だった例はない。歴史的な低水準だ。
00年代は自民党支持率の低下は民主党支持率の上昇とセットだった。01〜06年に長期政権を築いた小泉内閣時でも民主党の支持率は平均20%だった。同期間中の支持率の最高値は04年9月の31%で、自民党の34%に肉薄した。
ところが同じ長期政権でも、12年12月の安倍内閣になると様相が変わる。自民党が5ポイント超支持率を下げた8回のうち野党第1党が支持率を上げたのは2回だけだ。この8回のうち7回は無党派層が増えた。「自民党と野党」より「自民党と無党派」が連動する。自民党の選対委員長経験者は「政党支持率を見るときは野党ではなく『支持政党なし』の動きに注目している」と語る。
選挙近いと上昇
立民の枝野幸男代表は「歴史的にみて、選挙の時以外に野党の支持率が上がったことはない。選挙まで支持率は上がらない」と話す。選挙がない時は、有権者は政府・与党の政策決定やスキャンダルなどに関心を持つ。野党の党首の発言や、与党との主張の違いなどは選挙前でなければ注目されにくいようだ。
選挙と野党支持率の関係を調べると、枝野氏の言葉は一定の説得力を持つ。89年参院選以降の20回の国政選で、選挙前に野党第1党だった勢力が選挙後に支持率を上げたケースは13回ある。
例えば98年の参院選の前、民主党の支持率は10%だったが、参院選後は28%に上がった。07年の参院選の前後でも支持率を18謂増の44%に上げ、09年の政権交代の足がかりにした。
国民民主党の玉木雄一郎共同代表は党支持率がl%しかないことについて「選挙を経ていないので仕方がない」と語る。選挙で支持率を上げる成功体験が頼みだ。
とはいえ17年の衆院選での希望の党の例もある。同党は17年9月に結党すると10月の衆院選公示直後の緊急調査で支持率が13%と野党トップに躍り出た。それが当時代表だった小池百合子東京都知事の「排除」発言などで支持が離れ、選挙後には議席も支持率も立民に抜かれてしまった。その後、希望の党は分裂してしまった。
19年の参院選は民主党、民進党が崩壊し、新たな野党体制になって初めての本格的な国政選だ。振り返ると直近3回の衆院選の投票率は、戦後のワースト3を記録している。政権批判が無党派に流れず野党が取り込む流れをつくれるだろうか。