データの世紀
情報資源 世界を一変
始まった攻防1
人体から宇宙まで 企業・国、先頭競う
世界各地で毎日、企業の活動や個人の行動などから膨大な量のデータが生み出される。つぶさに分析すれば成長の原動力になる「新たな資源」だが、人の行動を支配しうるリスクも抱える。企業や国を巻き込んだ攻防も始まり、世界はデータの世紀に入った。
3月27日。英下院の委員会に、赤く染めた短髪にスーツ姿の男性が現れた。米フェイスブックで約5千万人分のデータが不正流出し米大統領選の選挙工作に使われた疑いが浮上。男性は問題を内部告発した英データ分析会社、ケンブリッジ・アナリテイカの元社員だ。この会社は流出データの提供を受けていた。
証言に費やされた時間は延々、3時間半。米国では大統領選への関与が注目されている。一方、英国で議論を呼んだのは、委員の質問に淡々と答えていたこの男性が、2016年の英国の欧州連合(EU)離脱を問う国民投票にも関与していたと示唆したことだ。
委員「もしその関与がなかったら?」
男性「国民投票の結果は、違っていたかもしれません」
「新たな石油」
データ分析は個人の行動をも動かす領域にまで高度化した。全世界のフェイスブックの利用者は月間20債人以上。「フェイスブック上での反応を分析して広告を打てば、消費者を大きく動かせる」。米コロンビア大学のサンドラ・マッツ准教授らの研究では、「いいね!」ボタンの押し方などから得た噂好に沿ってその個人に合った化粧品の広告を流すと「購買数は54%増えた」という。
全世界で1年間に生み出されるデータの量は既にギガ(10億)の1兆倍を意味する「ゼタ」バイトの規模に達する。米調査会社IDCの予測では、25年に163ゼタバイトと16年比10倍に増える。これは全人類一人一人が、世界最大の米議会図書館の蔵書に相当するデータを生み出すような規模だ。
ネットの検索履歴や車の走行情報が新サービスを生み、経済や政治のデータがマネーを動かす。
「データは新たな資源」「新たな石油」。米インテルやIBM、中国アリパパ集団などIT(情報技術)大手の経営者は口をそろえる。限りある石油と違い猛烈な勢いで膨張するデータを、世界中の企業が吸い上げる。
宇宙からは、モノの動きを見逃すまいと人工衛星の「目」が光る。港のタンカーの出入りやスーパーの駐車場の稼働状況から、公式情報より早く経済の動向を予測。データを駆使するヘッジフアンドが利益を上げる。
「全世界を毎日撮影する」。日本でも超小型人工衛星開発のアクセルスペース(東京・中央)が18年秋、大きさ数十センチメートルの衛星を3基打ち上げ、最終的に50基に増やす。「衛星画像を様々なデータなどと組み合わせて分析すれば、ビジネスになる」(中村友哉社長)
病気リスク軽減
データは命をも救いうる。米アルファベットは17年4月、傘下企業を通じ1万人の心拍などの健康情報を少なくとも4年間集めるプロジェクトを始めた。日本でも内閣府と東京大学や京都大学が共同で18年6月から、あらゆるモノがネットにつながる「IOT」技術を使い生活環境と血圧の関係を即時測定する実証実験を始める。病気リスクの軽減が狙いだ。
20世紀を石油の世紀とすれば、21世紀はデータの世紀。その先頭を走るのがグーグルやアップルなど「GAFA」と呼ばれる米IT4社だ。合計時価総額は10年代前半、かつて「セブン・シスターズ」と呼ばれた石油大手4社を逆転した。急拡大ぶりは、勃興時の石油産業の姿にも重なる。
石油の大量供給は世界で自動車産業の発展をもたらした。一方、巨大化の弊害も指摘された。ジョン・ロックフェラー氏らが19世紀後半に設立たスタンダード石油は1911年に反トラスト法(独占禁止法)で分割。後に栄えたエクソンやテキサコなど巨大7社も、今は4社に集約された。
現在は、肥大化したGAFAに対する逆風が世界で強まる。
歴史侶繰り返す。データの世紀が問いかけるのは、産業構造の転換や企業間の攻防にとどまらない。
石油の世紀には、石油輸出国機構(OPEC)が誕生。中東諸国による石油支配を生み出し、石油危機を通じて先進国経済を大きく揺さぶった。そのアキレスけんを守ろうと米国が同地域に軍事介入する結果となった。
データの世紀は米国1強にもみえる。だが世界のルールと一線を画す独自政策で、官民を挙げて世界中からデータの収集にかかる中国のような国もある。ロシアもデータの力で世界を据さぶる。
「宗教や民族や国家といった従来の枠組みに代わり、情報を軸とした新たな世界秩序の構築が始まる」。慶応義塾大学の山本龍彦教授は、そう予言する。その行き先を、まだ誰も知らない。
始まった攻防2
デジタル資本主義幕開く
産業界に地殻変動
ドイツ西部のアーヘン工科大学で2015年に誕生したスタートアップ「イーゴーモバイル」。同社の4人乗り小型電気自動車(EV)の特徴は、その開発工程にある。
試作車が集めたデータを基に「デジタル模型」を再現。様々な条件でシミュレーションを繰り返し、改良を加えた。現実世界のモノをデジタルで精緻に再現する「デジタルツイン(デジタル上の双子)」という手法だ。
試作期間を短縮
一般に、自動車1モデルの開発には数百億円の費用と4〜5年の期間がかかる。同社は試作数を極限まで減らし、これを3000万ユーロ(約39億円)と2年弱に圧縮した。
17年12月、米ドラッグストアチェーン大手のCVSヘルスが米医療保険大手ヱトナを690億ドル(約7兆3200億円)で買収すると発表した。「狙いは、エトナの持つ膨大な顧客情報」。業界ではそんな声が上がる。
米国では大量の顧客データを匿名化してデータ会社に販売する専業も盛んだが、エトナは加入者などのデータを外部に出していなかった。同社の保険加入者は米医療保険3位の約5千万人にのぼる。薬の販促にも使えるデータは垂ぜんの的だ。
20世紀塾の資本主義は人と設備が中心だった。21世紀のデータキャピタリズムはデータを軸に企業が富を生み出す。産業界に地殻変動も起こす。
2月、中国ライドシェア最大手の滴滴出行は仏ルノー連合や中国のEV最大手BYD(比亜侑迫)など12社との提携を発表した。創業わずか6年の企業が、世界の車大手を選ぶ側に回る。稼働時間が長いライドシェア車は自家用車より多くのデータが集まる強みがある。
IHSテクノロジーの推計では、ネットにつながる「IOT」機器は20年に300億個と、5年前から倍増する。急増するデータをどう利益につなげるか。自己資本利益率(ROE)と同様、「ROD(Return On Data)の発想が問われる。
世界にはデータの巨人になったグーグルのような企業がある一方、日本企業はまだデータの活用に二の足を踏むところが多い。だが、データを駆使すれば新たなプレーヤーとして台頭する下克上もありうる。個人のプライバシーは守りつつ、次の主役をどう育てるか。
「オープン化」も
殻を破ろうという動きはある。コマツは2月、自社の建設機械だけでなく作業員や他社の車両の動きなどのデータを他社でも使えるようにした。狙うのは工事の現場を効率化する情報システムの事実上の標準。大橋徹二社長は「多くの顧客がデータ基盤を使うにはオープン化が重要」と話す。
日本で最も多くのデータを集める一社であるヤフー。6月に社長に就く川辺健太郎氏は、企業や行政のデータと組み合わせて新商品などの開発につなげる「データフォレスト」構想を掲げる。日産自動車など十数社・団体が参加を決めた。
「国境を越えた連携も必要になる」。庄司昌彦・国際大学GLOCOM准教授はそう強調する。
始まった攻防3
権利放棄問われる個人
提供する方が得か
指先に乗る直径2・3センチメートルのレンズに一辺2ミリメートル程度の回路が埋め込まれている。医療ベンチャー、ユニバーサルビュー(東京・千代田)が開発中のスマートコンタクトレンズの試作品だ。涙から血糖値を、微弱電波から心拍を、毛細血管から血圧を測定し、無線で情報を飛ばす。2020年までの実用化を目指す。
人体から得られるビッグデータを狙い、米グーグルや韓国サムスン電子もスマートコンタクト開発に名乗りを上げる。あらゆるモノがネットにつながる「IOT」ならぬ、身体がネットにつながるIOB」 (lnternet
Of Bodieの)という言葉も登場してきた。
体もネット接続
「自宅のテレビは何インチですか」 「服装を選ぶ際の基準は」 みずほ銀行とソフトバンクが設立したジェイスコア(東京・港)は17年9月、「信用スコア」と呼ばれる事業を始めた。一見、支払い能力と関係なさそうな150以上の質問に答えると人工知能(AI)がスコアをはじき、得点に応じて年0.9〜12%の金利で無担保融資を受けられる。答えれば答えるほどスコア向上につながる。
このサービスには先行事例がある。中国・アリババ集団による信用評価システム「芝麻(ゴマ)信用」。決済や公共料金の支払い履歴などから信用力を数値化。高スコアならシェア自転車やホテル、民泊などの保証金が免除され、無担保融資の利用も優遇される。
個人情報をさらすほどスコアが上がりメリットが還元されるため、個人がこぞって自らの情報を登録している。「信用は価値」。アリババ傘下の金融会社、アント・フィナンシャルの陳竜・最高戦略責任者は話す。
機会制限の動き
欧米ではデータ解析による個人の信用力がひとり歩きし、機会を制限されることを「バーチャルスラム」と呼び問題視する。5月施行め欧州連合(EU)の「一般データ保護規則(GDPR)」も「AIに重要判断をされない権利」を定める。
ネット上には「いいね!」などのクリック行為を販売する業者もいる。米アドビシステムズの調査では「ウェブサイトへの訪問の3割近くは人ではなくロボットによる」という。知らない間にネット上の「評価」がAIによってゆがめられ、人々が誤った方向に導かれるリスクも残る。
それでも利便性を重視しようという人も多い。「購入履歴を他の店に提供しますか」 「防犯実験のため顔写真を登録しますか」。シンガポールでは通販アプリなどでこうした選択肢が表れる。国土が狭く資源に乏しい同国は「いかに早く最先端のものを取り入れるかが最大の課題」(政府関係者)。国民も自分のぞ一夕と引き換えに安全や利便性を得ることを許容する傾向があるという。
データの提供と利便性の享受はコインの裏表。自分に関するデータは自分に属するものということをどこまで放棄できるか。個人に重い問いを投げかける。