家庭の味こそ出発点


料理研究家 土井善晴さん



講演「一汁一菜 日本人の美学」



 まあ、こんなに忙しいのに料理せぇと言われてもという話ですけれども、そんな気持ちを落ち着かせてくれるのが、「一汁一菜」 (ご飯を中心としたみそ汁とおかず)でええんやという提案なんです。日本人の美学とかかわっています。

 そもそも和食とはどういうものなのでしょう。フランス料理と比較してみましょう。和食の背景には自然があります。自然は人間がコントロールできるものだと考える西洋と違って、日本は台風とか地震とか鉄挙をふるって大変な被害をもたらす一方で「豊かな恵みをもたらしてくれるものと捉える。その自然観が日本の食文化に反映されています。

 ではフランス料理は、何をもってフランス料理としているか。すてきなレストランの料理をイメージするかもしれませんが、もちろんフランスにも家庭料理があります。

 フランス料理界の巨匠、アラン・デュカスさんが料理人になったきっかけは、母親の家庭料理です。大きなお鍋を使って、ローストチキンなどを2時間とか3時間をかけて、丹念に焼き上げてくれた。

 あなたにとって世界一おいしい料理は何ですかと質問をきれると、フランスを始め、たいてい海外の人は「母親の料理」と答える。レストランの料理よりも家庭料理の方が上にあるということです。しかし、日本人は素直にそう言えない。

 私たちは、日本のお母さんたちがやってきた仕事を、もっと大切にせなあかんと思う。和食は2013年に世界無形文化遺産に登録されましたが、認められたのは日本の家庭料理なのです。脂分の少ない健康的な食生活が、暮らしの伝統行事とともにあり、しかも四季の移ろいを楽しむことができるという選考理由は、家庭料理に向けられていることだからです。なのにメディアは、どうして京都の料理人にマイクを向けて、「おめでとうございます」と言わなあかんのでしょうか。

 自分のやっている料理がどういう役割を担っているのかを知ることは大事なことで、アイデンティティーとつながってきます。アイデンティティーとは、自分が何者であるかを証明できるということです。それができなかったら寂しいですよ。

 その基本的な出発点となるのが、一汁一菜やと思っているのです。家庭料理は、子どもらの居場所を作っているのです。家に帰るとご飯を作ってくれているって、何げないことやけど安心する。安心は自信につながる。だって自分を守ってくれる人がいるということですから。自信は外に出ると勇気になる。勇気は大きくなったら責任というようなものにつながり、最後にはあの人を守るという愛情になるということですね。家庭料理を作る人は、無意識のうちに毎日、食べる人に与えているのです。

 この時、きれい、ということがすごく重要になります。きれいという言葉は、清潔という意味を含み、真善美を表しています。豆腐が真四角であることを大事にしたように、日本人は、生活の中であらゆる美意識を持って生きてきたということです。ところが、我々はそうした美意識をだんだんなくしてはいないかということですね。

 一汁一菜でもって、ごく当たり前の調理を丁寧にしてください。決して調理に余計な手間ひまをかける必要はありません。きれいなものを大切にすることが、何よりも暮らしを豊かにすることやと思います。

 



発想料理以外からも


 土井さんは、女子学生3人とのトークセッションにも臨んだ。自らを育んだ家庭料理のことを語り、食文化の尊さを語った。

 父親は著名な料理研究家で、料理番阻でもおなじみだった土井勝さん。「料理の英才教育を受けたことなんて一切なかった。大学を休学し渡欧したことなど、料理以外のあらゆる経験が、むしろ今の料理の発想を膨らませている」と語った。

 また母親の手料理で一番心に残っているものを聞かれると、「病気したときにいつも炊いてくれた、おかゆさんと梅干しがおいしかった。自分だけにつくってくれるという感じがあったから」と振り返った。

 そして、家庭料理の昧のかけがえのなさに話が及ぶと、「食文化は有史以来、だんだんと培われてきたもので、一朝一夕にできるものではない。一回失ってしまったらもう取り戻せない」と訴えた。

 


どい・よしはる

1957年大阪府生まれ。スイス、フランス、大阪などで料理修業。NHK「きょうの料理」、テレビ朝日系「おかずのクッキング」などに出演。著書に「一汁一菜でよいという提案」など。

 

 

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