時論
失望が生むポピュリズム
塩野 七生
欧米では成長力鈍化などを背景に社会への不満が増大し、ポピュリズムや排外主義的な動きが目立っている。国際社会は21紀に入っても国境や文化、宗教といった壁を克服できていない。最新作「ギリシア人の物語」で民主政の始まりから成熟、崩の過程を措いた作家の塩野七生さんに、世界が直面する課題への見方や困難な時代にリーダーに求められる条件を聞いた。
ジャパン・フアースト選ばず
――「ギリシア人の物語」を読むと、国家にとって政治体制と指導者がいかに大切かが分かります。
「歴史を見てみると、魚は頭から腐る。頭は一番重要で、それが政治。民衆は相当、最後に至るまで健全なんですよ。しかし政治が最初に腐ると、民衆がいかに一生懸命にやっていても国力がどんどん下がってくる。だから政治が機能してくれなきゃ困るんです」
――民主政の都市国家アテネは強大なべルシャ帝国に2度勝ちますが、安定は長続きしませんでした。
「私は民主政自体はやっばり最良の制度だと思ってます。民主政下で初めて自由が花開くからです。自由とは基本的には思考の自由で、イノベーション(技術革新)につながるわけですね。今までにない新しい考え、戦略、戦術が生まれる可能性がずっと高い」
「ただし民主政は投票に全てがかかります。投票した人間はやはり『機能してくれ』って期待しているわけですね。だから機能しないと失望し、失望した揚げ句がポピュリズムです。金貨の裏表みたいで『うまく使うとこちら側になるが、そうでないと裏が出る』というようなものです」
――世界では自国中心主が目立っています。
「日本は大変でしょう。だって米国は『アメリカ・ファースト』。縮こまって自分たちのことだけを考える。中国も同じように『チャイナ・ファースト』。こちらは反対に勢力を拡大していきながら自分たちファースト。つまり両方ともファーストを言っている」
「安倍晋三首相のインドや太平洋の国々との関係強化は大変正しいんですよ。ただキャッチフレーズがお得意じゃないですね。私が安倍さんならば『日本はジャパン・ファーストという行き方はしません』と公言します。そうしたら他の国が、特にヨーロッパが『俺たちもその線で行きたい』と言うかもしれません」
――アレクサンドロス大王はペルシャを支配下においたものの死後、覇権は長続きしませんでした。
「王政の欠陥は後継者がふさわしいかどうか分からないということなんです。総司令官の戦略、戦術の成功はしょせんは兵士たちの働きにかかる。総司令官が一介の兵士たちのことを一番分かるのは経験したからではない。彼らには想像力がある。経験しないと分からない人は想像力がない。よく下積みをやらなければ下積みの気持ちは分からないと言う。それはトップクラスには当てはまらない」
「戦後復興に携わった下河辺淳さんが国土事務次官を辞める時、松下電器産業(現パナソニック)の松下幸之助さんに『ぜひウチに来てくれ』と言われた。でもその時に『工場からやってくれ』と条件を出されたからやめた方がいいと考えたといいます」
「松下幸之助さんは経営者として相当にバランスの取れた男です。しかし彼にも下積みをやらないと下積みのことは分からないという考えがあったのではないか。下河辺さんに言わせれば『それくらいの想像力がなくて国土計画なんてやっちゃいられない』と」
――日本は最近は画期的なイノベトションが生まれにくいように感じます。
「ギリシャのテミストクレスやペリクレスは民主政下の政治家です。ただしリスクを負う覚悟はあったから誰よりもー歩前に踏み出した。日本は政治家も経済人もリスクを負う覚悟がない。経済界も平岩外四さん(東京電力)、奥田碩さん(トヨタ自動車)がいたあたりまでは面白かった」
――民主政のギリシャには優秀なリーダーが現れました。日本は実力本位で大胆にトップ選びをするのは苦手のようです。
「そんなことをやってるから我が日本は良いものを作っていながら売り方は下手なんです。管理もこのごろは下手。それで頭ばかり下げている。ローマの場合は前社長が死んでくれているから気にする必要がなかった。アレクサンドロスの場合は父親が死んでくれた。アウグストゥスはユリウス・カエサルが殺されたりだから社長を辞めたら直ちに身を引くことです」
――注目している世界のリーダーはいますか。
「ロシアのプーチン大統領はなかなかユーモラスな男ですね。日本の予算委員会につれてきて答弁させて見てみたい。意外に、あれって思うかもしれない。ロシアは自由がある国とはとても言えません。ドストエフスキーの国ですよ。あの国で民主政は本当に成り立ちますかしら。でも成り立たなかった国に対しても民主政を強要しなきゃならないのでしょうか」
1強で何をするかが大事
――日本政治は安定している半面、「安倍1強」への批判も強まっています。
「安倍1強は必ずしも悪ではないんですよ。日本の有権者が投票した結果ですから。しかし1強で実際に何をするかが問題です。安倍さんも頑張っているんじやないですか。国会での話し方はやたらに下手だけれども。あんなにたくさん話すから何を言っているのか分からなくなる。答弁はあの3分の1でいい」
――10月の衆院選で自民党は連勝し、安倍政権は6年目に入ります。
「まあ10年は必要です。英国ではサッチャーさんが10年あまり。ブレアさんも10年間。だから小泉純一郎さんが首相を辞める時に辞めるなと言ったんです。彼は改革で『ルビコン川を渡った』と言いましたが、渡ったのなら後に誰が来ようとも変えられないところまで突っ走らないといけない」
「彼は『疲れた』とか言っていたけど。国民は強大な権力を首相に委託しているわけで、権力を与えられた人間に花道なんてものはない。政治家ってのは使い捨てにされる。だからこそ主権在民なんだと。日本は政治家を使わないで捨てることばかり考えている。まず使う。委託したんですから倒れるまで使えばいい」
――−野党は安全保障政策の見直し方が強引すぎると批判しています。
「でも北朝鮮や中国の問題がある時に日本が全く何もしないのも困る。どうして野党は『姿勢』とか『謙虚』とか、そんなことを問題にするのかしら。何をやるかの問題で、じゃあ謙虚だけれど能力が無い人に日本の国政を託せますか」
――次の首相には岸田文雄氏や石破茂氏の名前が出ています。人気がある小泉進次郎氏はまだちょっと先との見方が大勢です。
「なぜ、ちょっと先なんですか。いまや世界のリーダーは30代も多い。戦争が終わったあの時に米国が日本に与えてくれた恩恵の一つが公職追放だった。上を全部切ってしまったので、しょうがないから20代、30代で人材が出てきた」
――小池百合子東京都知事は希望の党を旗揚げしてチャンスを一瞬つかみかけたように見えました。
「もし小池さんが国政に出るなら都知事を辞めなくてはいけなかった。彼女は都では投票されたから政治をやる資格はありますが、国政もやるとなれば非民主的です。民主政ってそういうものなの」
「アレクサンドロスもそうでしたが、戦場では主導権を持った方が勝つ。待ちでいなくてはならない状態でも、ただ待つのと、機を狙いながら先のことを考えながら待つのとでは全く違う。チャンスが訪れた時のつかみ方が違います」
聞き手から
民主政が最良、歴史に教訓
塩野七生さんは紀元前からルネサンスまで2500年に及ぶ欧州の歴史を約50年かけて書き上げた。登場する国家の盛衰や政治リーダーの栄光と失敗は、21世紀の国際社会とも共通する多くの教訓を含んでいる。
塩野さんの歴史長編はたいてい静かに始まる。民族や文化が生まれた時代背景を丁寧に紹介。だが外敵などに対抗するため個性的な指導者が現れた瞬間から、歴史が一気に走り出す。「ローマ人の物語」ではスキピオ、スッラ、カエサルら適時に適切な男たちが現れて困難を克服する。どんなに強大な帝国も、優秀な指導者を選べなければ一気に坂を転げ落ちる。
塩野さんは自らの作品によって今の日本にヒントを与えよろとは考えていないと語る。「例えばビジネスマンのための西洋史を書くとする。そうなるとビジネスマンに役立ちそうな資料しか取り上げなくなる。それは本意ではない」のだそうだ。しかし「読者が『何か現代と似ているよねえ』と自主的に思われるとすれば、私にとって歓迎すべきこと」とも付け加えた。
「ギリシア人の物語」にもテミストクレス、ベトグレス、アレクサンドロスら魅力あふれる主役が登場する。民主的な手続きは司令官への権力集中が必要な戦争ではマイナスに働く。それでも塩野さんはリーダーを選び、ダメなら代える機能において「民主政が最良だ」と言い切った。民主政という金貨の真にあるポピュリズムやデマゴーグといった負の側面を抑えるには、歴史に謙虚に学ぶ必要があるということだろう。
地中海世界の興亡史を描く
しおの・ななみ 1937年東京生まれ。学習院大学文学部哲学科卒。68年に執筆活動を始め、初の長編「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」で70年度の毎日出版文化賞。82年に「海の都の物語」でサントリー学芸賞、83年に菊池寛賞を受けた。
92年から「ローマ人の物語」を毎年1作のペースで執筆し、99年に司馬遼太郎賞に輝いた。2007年に文化功労者に選ばれ、その後「十字軍物語」 「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」を刊行。このほど地中海が世界の中心だった時代の興亡を描く歴史長編の締めくくりとして「ギリシア人の物語」全3巻を書き上げた。
イタリア在住。80歳。