経済教室



人的投資、官民挙げ強化を



ポイント

° 官民ともリストラに追われ積極投資不足

° 人的資本に財政の資源配分機能の活用を

° 中長期的視点から資本蓄積の議論が必要

 

研究開発予算の充実急げ

 

松山 健士 前内閣府事務次官

 

 近年、若者世代や将来世代の生活水準低下への懸念から、年金など社会保障制度に関わる世代間の受益と負担の公平に関心が集まっている。この問題については、今後も粘り強くコンセンサス(合意)を構築していく必要がある。

 それとは別に、将来の国民生活の水準を大きく左右する要素がある。「将来のため、また将来世代のため、われわれはいま適切な資本蓄積をしているか」ということである。


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 明治以来、わが国では資本蓄積やその成果である「国富」の大きさに強い関心が払われてきた。1921(大正10)年には、国際連盟からの要請に応え、第1次世界大戦前後の国富の大きさが調査されている。また、第2次大戦後の47(昭和22)年には経済安定本部が戦争による国富被害について報告している。

 こうした歴史に連なるものとして、政府は生産資本(設備、建物など)、土地、対外金融純資産などからなる「国富」を毎年公表している。

 国富の動向をみると、戦後の工業化の進展に伴い、設備機械などの有形資産が着実に増加し、経済成長を支えてきた。しかし近年では、人々の多様なニーズに対応して質の高いサービスの提供を可能にする「超スマート社会」に向けた動きが進展する中で、人的資本や研究開発など無形資産の重要性が高まっている。

 人的資本については、政府の「国富」には含まれない。ただ、その大きさは働き得る人の数と将来にわたり受け取るとみられる報酬の割引現在価値の積としてとらえられる。国連大学の報告書によると、主要な先進国と同様、日本では人的資本が生産資本を大きく上回り、最大の資本となっている(表参照)。

 

 人的資本を含め日本の生産活動に関わる資本の総額は1京円(1兆円の1万倍)に達するとみられる。この資本が毎年、約500兆円の国内総生産(GDP)、国民所得でみると約370兆円の所得を生みだし、その所得の約7割が人的資本へのリターンとして労働に分配されている。

 だが富士通総研の試算によると、日本の人的資本は少子高齢化や生涯所得の減少などで、2000年からの10年間で7%強も減少している。イノベーション(技術革新)を担う人材をはじめ、広範な分野で人的資本の不足が深刻化する状況が続いている。

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 にもかかわらず90年代以降、人的資本蓄積に向けた企業や政府の取り組みが十分だったとは必ずしもいえない。背景には以下の2つの制約があったと考えられる。

 第1に90年代初めのバブル崩壊後、官民がともに財務体質の強化に取り組まねばならなかったことが挙げられる。株価や地価の大幅下落とその後の景気後退により、銀行は不良債権を、企業は過剰設備を抱え、政府は構造的な財政赤字に陥った。そして銀行、企業、政府それぞれが長期にわたり、構造改革・リストラに取り組むこととなった。

 バブル崩壊後のバランスシートの悪化を乗り越えるには、官民ともに財務体質改善に向けた構造改革が課題となり、積極的な投資をする余力はなかったと考えられる。

 しかし競争環境が激変しているのに、リストラのみに専念し、将来に向けた人的投資や研究開発を怠る企業は存続すら危うくなりかねない。国全体としても、必要な投資を長期間怠れば、成長力が弱まり、国民の生活水準が低下していくことは避けられない。

 国の財政は08年のリーマン・ショックで再び大きく悪化した後、着実に改善してきたが、なお厳しい状況にある。一方で、民間部門の財務状況は大きく改善している。官民それぞれが必要な構造改革に取り組むと同時に、中長期の視点から競争力、成長力を高めるため、将来に向けて人的投資などに積極的に取り組むべき時期を迎えている。第2にわが国では長い間、出生率の低下や人口減少といった問題を正面から取り上げることが控えられ、タブー扱いされてきたことが挙げられる。

 ようやく現内閣は、国民が希望する水準に出生率を回復し、50年後も人口1億人規模を維持することを目標と位置づけた。そして国民人ひとりがその能力を十分に発揮できる社会、一億総活躍社会を実現することを目指し、出産や子育て、就学や就職がしやすい環境をつくることを重要課題に設定して、人的資本の蓄積を重視している。

 だが人的投資への支援を充実するにはさらに高いハードルがある。例えば人が子どもを産み育てることを決断する際や、進学や就職を決める場合には、将来についてある程度明確な展望を持てることが重要だ。従って、それを支援するための予算、税制、制度は将来にわたり安定的なものであることが不可欠である。

 予算については、各年度の事情に応じて編成される補正予算でなく、当初予算で対応することが重要になる。他方、将来にわたり安定的ということは、後年度まで財政負担が継続するということでもある。また人的投資が公共の利益にどの程度貢献するのかという議論もある。こうした論点ゆえに、これまで厳しい制約が課されてきたのである。

 しかし人的資本の蓄積は、個人や企業の所得増をもたらすだけでなく、税や社会保険料への寄与などを通じて公的にも大きく貢献する。同様に重要な無形資産である研究開発の成果も、投資した企業を超えて社会全体に波及効果をもたらす。こうした点を客観的に評価するともに、財政政策(予算、税制など)の中長期的な資源配分機能を高めていくことが重要である。

 具体的には社会保障を含むあらゆる既存歳出について、必要性を客観的に見直す歳出改革のプロセスを加速する。同時に、人的投資や研究開発を「投資」と位置づけ、物的投資との公平性を確保しつつ予算を充実する。さらに民間の人的投資や研究開発投資の取り組みを促進するため、税制や企業会計制度の改革、官民ファンドの活用、働き方改革の推進が不可欠である。

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 過去を振り返ると85年のプラザ合意は、日本とドイツがドル高・円安・マルク安の下で経常収支の黒字を続け、それを通じて海外に資産を蓄積していくことに米国が「ノー」を突き付けたものだった。

 その際、日本は中長期的に資本蓄積をどう変えるべきか議論を十分尽くさぬまま、円高対応など主に短期の景気対策の視点から、国内の住宅・不動産投資やインフラ投資を拡大させた。こうした対応が80年代後半にバブルを生んだ大きな原因と考えられる。

 現在も少子高齢化などの国内問題だけでなく、英国の欧州連合(EU)離脱、先進国での保護主義の台頭、中国など新興国の成長鈍化、テロや難民問題など、国際的な政治・経済構造が大きく変化しつつある。こうした中で、日本が資本蓄積のあり方を再検討する必要性が高まっている。

 今後日本が国富、国力をどのように高めていくべきか。その国富を用いて世界にどう貢献していくのか。また日本の各地方が、それぞれの特質を生かしながら、どのように資本蓄積をしていくべきか。

 今年末から研究開発は投資としてGDPや国富に計上される。人的資本も含め包括的な国富の現状と課題について客観的な分析を深化させながら、中長期の視点から国富の蓄積のあり方や方向性を巡り国民的議論を深めていくことが今後の重要な課題である。

 

 

 

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