読むヒント
歴史の「常識」覆す最新研究
武闘派の西郷隆盛
少なかった蒙古軍
意外に豊かだった縄文時代、日本最古ではなかった和開珎――。最新の研究によって、かつて習った日本史の「常識」や「定説」が大きく揺らいでいる。
最近では、維新を主導し戊辰戦争の勝者となった薩摩・長州藩などがつくったいわゆる「薩長史観」への疑義や批判を込めた歴史書が多く刊行されている。
来年は明治維新から150年の節目。NHKの大河ドラマにも維新の英雄・西郷隆盛が登場するが、武田錦村「薩長史観の正体」には「吉田松陰はテロ扇動家」「西郷隆盛は強盗団を雇って幕府を挑発」 「錦の御旗にはまったく根拠がない」といった項目が並び、一般に知られた幕末史に真っ向から異を唱える。
武田は、徳川慶喜の処分を決めた小御所会議に際して『短刀一本あれば済むこと』と反対派の山内容堂を威嚇した西郷の発言から「西郷は暴力革命を推進した武闘派」と断じる。
半藤一利・保阪正康の対談集「賊軍の昭和史」は、薩長の「旧官軍」閥に牛耳られた昭和の軍部が始めた太平洋戦争を、鈴木貫太郎や米内光政、井上成美ら『賊軍』藩の出身者が終結させ日本を破滅の淵から救った、という視点で語る。
薩摩閥の海軍で冷遇された鈴木のエピソードや、父が南部藩(盛岡)出身だった東條英機による「長州閥つぶし」の真偽についても議論を交わす。
幕府支持した庶民
森田健司「明治維新という幻想」では、幕末期に刊行されたさまざまな風刺錦絵から江戸庶民のメッセージを読み解くという作業が興味深い。
維新直前の江戸で30万部以上が売れたというこれら錦絵は、近年の研究で第一級の史料として再評価されている。セリフや衣服の文様などのヒントから、徳川慶喜、天璋院篤姫や松平容保といった登場人物が類推する「判じ絵」は、朝廷の威を借りる「官軍」を風刺する一方、徳川慶喜ら幕府側に強いシンパシーを示すものが多い。森田も江戸庶民の教養と政治情勢の分析力に舌を巻く。
服部英雄「蒙古襲来」は、「カミカゼ」神話を生み出し日本人の精神性にも影響を与えた国難に、史料を丹念に読み解くというアプローチで立ち向かった力作。
「神話」に彩られた「八幡愚童訓(ぐどうくん)」を「実録にあらず」と切って捨て、同時代のリアルタイム史料である貴族の日記「勘仲記」などの分析に重きを置いた。
第1次侵攻となった1274年の文永の役では、「900隻・4万人に及ぶ大船団が来襲したが、翌朝には姿を消していた」というのがこれまでの定説だったが、実際の艦隊は服部の推定で112隻。博多湾で起きた戦間の詳細が京都に伝わるまでの速度から逆算し、蒙古軍は7日間ほど戦ってから撤退した、と結論。肥後国(現熊本県)の御家人・竹崎季長の活躍を描いた有名な絵巻「蒙古襲来絵詞」の両面にも錦密な考察を加えており、歴史ファン必読の書だ。
島原の乱に僧侶も
石牟社道子「完本春の城」は約900ページの大長編。江戸時代前期、九州の天草・島原の農民ら3万7于人が蜂起、原城跡に籠城し12万の幕府軍と対峙した「島原の乱」を描く。
あくまでも「小説」だが、10年以上にわたる実地取材を下敷きに、天草・島原の風景や農民・キリシタンらの生活を細やかに描写している。水俣病の実態を被害者である漁民らの視点でつづった名著「苦海浄土」と同様の手法が冴える。
英雄・天草四郎をシンボルに「弾圧されたキリシタンの逆襲」という視点で描かれることが多い島原の乱だが、大凶作にもかかわらず過酷な年貢取り立てに走った領主・代官の圧政への恨みが積もり、滅亡したキリシタン大名の遺臣で、鉄砲の扱いに慣れた浪人らが多数加かったことで一揆がこれはどの大乱に発展したことがよく理解できる。
「宗旨替えしたわけではないが、坊主といえども元は百姓」となぎなたを振るって奮闘した僧侶のエピソードや、反乱の過程で一部キリシタンが「異教徒せん滅」を叫んで寺社に放火したことなども冷静に描いている。一揆の多面的な様相が伝かってくる。
歴史に「もしも」はないが、「徳川慶喜が錦の御旗にひるまず徹底抗戦していたら」 「島原の乱にポルトガル船団が加勢していたら」と想像は尽きない。これこそが歴史探訪の楽しみだろう。