池上彰の大岡山通信
若者たちへ
未来を創る教養とは
「学び」にムダなんてない
国際基督教大学(ICU)高等学校に通う高校生から依頼の手紙が届きました。「高校生の学び、教養について一緒に考えてほしい」という内容でした。そこで今回と次回は「未来を創(つく)るために今から学ぶ教養」と題する同校での生徒たちとの対話の一部をご紹介します。初回は、「学校時代の勉強が何の役に立つのか」という疑問への答えです。
私が高校や大学に通っていたころ「死ぬまでに一度は海外へ」という夢がありました。当時は1j=360円。外貨の持ち出し制限もありました。多くの日本人にとって、海外旅行は夢のまた夢だったのです。
□ ■ □
ジャーナリストになり、世界82カ国・地域を取材してきました。海外取材に英語は必須です。留学や海外勤務の経験はありませんが、NHK記者時代から、NHKの英会話テキストを少しずつ読み続けてきた結果、なんとかなっています。
私が小学生のころにあこがれていた職業は「新聞記者」でした。地方記者の仕事ぶりのドキュメントを読んでワクワクしたからです。中学生になると「気象予報官」に変わります。子どものころというのは実にたくさんの夢があるものです。
ところが、高校生になって大きな壁にぶち当たります。高校で数学が苦手になってしまったのです。気象庁の予報官になるには、数学や物理など理数系科目に強くなくてはならないからです。一方、高校の政治経済の授業では経済の仕組みを学び、とても興味が涌きました。日本は1964年開催の東京五輪を経て、高度成長の道をひた走っていたころです。格差が拡大し、「成長の歪(ゆが)み」という言葉も出ていました。
「豊かさとは何だろう」。そんな疑問への答えを見つけ出すため経済学部を選びました。志望大学の受験料目には数学がありましたが、入るために猛勉強。なんとか克服したのです。
高校で受験勉強に追われていた当時、「こんな勉強をしていて将来、一体、何の役に立つのだろう」と感じていたことを覚えています。ところが不思議なものですね。社会に出てから、意外な発見が何度かありました。
□ ■ □
たとえばNHK記者時代、気象庁で地震の原稿を書くとき、マグニチュードが1大きくなると地震のエネルギーは32倍になることを知りました。この変化の仕組みは、数学の「対数」に基づいています。
その後、2005年にNHKを辞めてフリーのジャーナリストになってからのこと。複雑な情報を整理するには「共通項を見つけて括(くく)り出す」という因数分解の考え方が役立っていることを知ります。
高校生のころ、苦手で楽しくはなかった科目でも、必死に学びました。覚えた知識が後の人生で役に立つのかわかりませんでしたが、いま花開いたのです。
以前、東京工業大学の先生方と米マサチューセッツュ科大学を視察して驚いたことがあります。「先端的知識は、4〜5年後には陳腐化してしまう」。だからこそ「考え抜く力、答えを見つけ出す力を養うことが大切だ」と指摘されたのです。
まさに「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」のです。「こんなものが何の役に立つのか」という疑問を持ち続けていると、やがて自ら答えに到達します。
今回も国際基督教大学(ICU)高等学校で行った「未来を創(つく)るために今から学ぶ教養」と題する対話の一部をご紹介します。若者たちから寄せられた悩みや疑問に、私自身の経験や取材をもとにお話ししました。
生徒A 高校生が教養を身につけるのは難しいです。授業や受験勉強に追われ、部活動もある。忙しくて心の豊かさを見失っていると思う。
池上教授 部括動の先輩と後輩の関係、恋愛で振られるといった人間関係も心を豊かにしてくれる経験じゃないのかな。
生徒B 教養を身につける上では、やはり知識の多さが大切なのではないでしょうか。
池上教授 教養は基礎的な知識の積み重ねがあって初めて磨かれるものでしょう。たとえば外国の歴史や文化を知り、知識が結びついていく過程で、人々の価値観や人生観への理解を深めていけるようになると思うよ。
生徒C 教養を効率的に身につける方法はないのでしょうか。
池上教授 そうした考え方がそもそも失敗のもとだよ。例えば中国の明の時代、鄭和(ていわ)という人物がインド洋、アフリカ大陸まで開拓していた。コロンブスの一行が米大陸に到達するより1世紀近く前のこと。
中国の歴史を学んで何になるかと思うかもしれないけれど、中国が南シナ海に人工島をつくり、実効支配する海域を広げている背景には、習近平(シー・ジンピン)国家主席が、そんな偉大な中国を復活させたいという願いがある。ニュースの背景を理解するために歴史は欠かせないよ。
生徒D 高校では知識を覚えることばかり。図形に例えれば、僕たちが学んでいることは平面的なイメージです。池上先生の教養は立体的にみえる。受験勉強をしない方が教養を身につけられるのではないですか。
池上教授 私が都立高校に通っていたころ、英語の参考書に「牡蠣(かき)のように寡黙な人」という例文が出てきました。英語で牡蠣には「寡黙な人」に例えられるイメージがあることを初めて知った。「寡黙な人」という英文を使ったことはないけれど、知識を有機的に結びつける力を養うきっかけでした。いま君たちは高校でたくさんの知識を学んでいます。蓄積された知識が、やがて化学反応を起こし、新たな知識の体系を築くことができるはずだよ。それが教養を磨くことにつながるのです。
20年近く前、べトナムで若者たちが一生懸命に本を読む姿を見ました。50年くらい前の日本に来た外国人は、通勤電車で、本を読む人が多いのを見て驚きました。同じような風景でした。活字を読む人々が多い国は大きな成長を遂げました。
最後に、海外取材で「学ぶということについて」考えさせられたエピソードをご紹介します。
フィリピンではゴミの山から資源を集めては売り、労働力として生きる子どもたちがいます。そんな貧しい地域で生まれ育ち、ボランティアの支援で学ぶことができ、教師になった若者がいました。彼が語ってくれました。「私にとって教育とは決して人に盗まれることのない財産です」と。
君たちも、いまこうして学べることがどれだけ幸せなことであるか考えてみてください。そして、教育という財産を積み立てていることを知ってほしいのです。