「藝」が「芸」になった訳

 

阿辻哲次

 

   儒学の経典、いわゆる「四書五経」によれば、古代中国の学校では貴族の子弟に対して「六藝」といわれるものが教えられていたという。「六藝」は将来のエ リートとしてかならず身につけておかねばならない六種類の教養で、具体的には 「礼・楽・射・御・書・数」 (式典での作法・音楽・弓術・馬術・文字・算数)を指す。

  これらの科目を「藝」という字で表したのは、もともと「藝」という漢字が木や草の苗を地面に植えることを意味したことに由来する。土に何かを植えるよろ に、人の精神に何かを芽生えさせ、花開かせる教養科目をその字で表現したわけだ。心の中に豊かに実り、大きな収穫を得させてくれるものが「藝」だが、その代表はなんといっても学問であった。

  「藝」はもともとこのような意味だったのだが、近代に中国が西洋と接触しでから英語のartということばが入り、そ の訳語として「藝」が使われるようなってから、「藝術」とか「工藝」ということばが作られた。

  この「藝」の上下を組みあわせると「芸」 という形になる。しかし「芸」(本来の 音読みはウン)は「藝」とまったく関係ない漢字として古くからあって、「香りのよい草」という意味だった。この草が発する香りには防虫効果があって、古くは書物を保存する所にこの草を敷き詰めた。だからこそ日本最古の図書館である 「芸亭」(奈良時代末期に石上宅嗣が自宅に設置した書庫)の名前にこの字が使われているわけで、「芸亭」は「ウンテイ」と読まねばならない。

  このような用例が過去にあったにもかかわらず、日本では早くから「芸」を「藝」 の略字として使い続け、戦後に定められた「当用漢字」では、その略字を「藝」 にかわる規範的な漢字とした。

  いっぽう正字「藝」は文藝春秋や日本文藝家協会など、ごく一部の企業や組織で信念をもって使われ続けたが、近ごろは電子機器を使えば「藝」のような難しい漢字も簡単に書けるから、「芸」しか 習っていない世代がネットで発信する文章に「藝」が頻出する。歴史の皮肉といえる現象である。

 

 

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