The Economist

「習近平思想」支える男、舞台に

 

 中国共産党の最高指導部である中央政治局常務委員会のメンバーに選ばれたい、と燃えるような野心を抱くのと同じくらい健全とはいえない知的追求が一つだけある。それは、何を考えているのか分からない表情と不自然なまでに髪が黒い人たちの集まりであるその常務委員会の委員に誰が選ばれるのかについて、不健全なまでに関心を持つことだ。だが、それでもこのコラムをぜひ、読んでほしい。10月25日に新たに発表された7人の常務委員会のメンバーに注目に値する人物がいるからだ。62歳の王滬寧(ワン・フ ーニン)氏だ。

  王氏は、恐らく中国共産党のイデオロギーとプロパガンダの責任者を務めることになる。彼も、その部下となる党中央宣伝部長の黄坤明氏も、 中国の最高指導者である習近平(シー・ジンピン)総書記 (国家主席)に忠実だとされる。当然とも思えるこの事実をあえて指摘しておきたいのは、王氏を通して、習氏は共産党の重要かつ巨大な組織に対し、大きな影響力を振るうことになるからだ。最高指導者といえども、彼の前任者たちがこれだけの影響力を保持していたわけではない。

  興味深いのは、王氏が中国共産党宣伝部の産物ではない点だ。過去の担当者のように、 眠っていても党の方針をすらすらと復唱するタイプではない。自分自身の主義主張をしっかりと持っている人物だ。 実際、彼の考えは党の公式見解の変革に大きく貢献し、幅広く定義されたそのイデオロギーは、党の今後の方針の中心に据えられてきた。

  若くして上海の復旦大学の法学部教授になった王氏は、 1980年代から90年代にかけて、ケ小平の改革・開放政策が政治面にもたらした様々な影響を把握しようとしてい た。ケの改革により農民たちは集団農場を去り、自分で作物を作ったり、事業を自ら興したり、都市部に働きに出たりするようになり、国民の生活水準は劇的に向上しつつあった。一方で、一連の改革により「地方の隅々までを支配していた中央政府は、その実質的な支配力を失うことにつながった」と王氏は指摘していた、と米調査会社コンファレンス・ボードのジェード・ ブランシェット氏は自分のブログで説明している。そのため、王氏は共産党政権による統治を正当化するための新たなロジックを模索し始めた。

  王氏が毛沢東以降の指導層の中で異例なのは、彼が学者として考えてきたことが驚くほどしっかり記録に残っていることだ。少なくとも、90年代半ばにもっと重要なことに従事すべく学界から引き抜かれるまで、数々の著作物を残している。毛沢東が進めた文化革命については「前代未聞の政治的大失敗」と書いている(王氏自身は当時まだ若く、 病気がちだったため被害を免れた)。

  80年代には中国のリベラル派でさえ、中国がすでに社会、 経済で大きな変化を遂げていただけに、中央政府がもっと事態を把握して、介入すべきだとの考え方を支持していた。そうした中で、王氏は政治面における自由や民主主義は中国がもっと発展してからが望ましいとして、自ら「新権威主義」と呼ぶ理論を正当化するための根拠を提示した。

  こうした考え方は89年の天安門事件発生による混乱後、 一層正当性を持つようになっていった。そして王氏の思想は、当時の共産党指導部が再び中央集権化を進め、強い態度で権力を行使すべきだという考え方を進める上での理論的支柱となった。

  90年代初めには、王氏は汚職が政治的にどんな影響をもたらすかについて、ほかの多くの学者より深く掘り下げて考えていた。そして上層部での腐敗は、政府への信頬を傷つけるだけに、組織の下の方で起きる腐敗よりもはるかに深刻な問題だと指摘した。腐敗を許せば、ソ連と同様に中国の共産党政権も崩壊に至ると警告した。これは、習氏がかつてないほどの熱意で腐敗撲滅を進める根拠を提供する こととなった。

  王氏は習氏だけでなく、驚くべきことにその前任者である胡錦濤(フー・ジンタオ) 氏と江沢民(ジアン・ズォー ミン)氏の考え方をまとめるのも手伝っている。95年には江氏の目に留まり、党にとって最上位に位置づけられるシンクタンクの中央政策研究室に引き抜かれた。いまだにウェブサイトもなければ電話番号も明らかにされていないシンクタンクだ。そこで王氏は、 江氏が発表した重要な指針 「3つの代表」を考案した。 これは、中国共産党は民間の企業家や経営者を含め、もっと多くの国展に訴えかけてい くことが必要だという認識を示したものだ。胡錦濤氏のためには「科学的発展」という考え方を生み出した。

  そして今回、10月の共産党大会で党の「憲法」にあたる党規約に明記した「習近平思想」を構築するブレーンの役割も果たした。習近平思想の中心をなすのは「大国としての復活」という「中国の夢」 だ。これは、郡小平の市場開放に、少し愛国主義的要素を加えた考え方といえる。

  王氏はこの10月に常務委員に昇格するまでは、習氏の全ての外遊に同行してきた。外交政策のアドバイザーであり、中国の対外的なメッ セージを策定する存在なのだ (注目を集めている「一帯一路」構想も彼が考案した)。 オーストラリアのグリフィス大学のヘイグ・パタパン氏とイー・ワン氏によると、痛みを伴う変化や指導部が入れ替わる時期のみ、新しい発想を提供できる人物が顧問となり、権力の中枢で力を発揮するようになるという。

  80年代終わりに、王氏が米国に留学していたことは心強い事実かもしれない。ケ小平や周恩来の世代以降で、欧米への留学経験がある指導部のメンバーは彼が初めてだ。

  だが、王氏は米国での経験から新しい発想を得ることはなかった。英ノッティンガム大学のニブ・ホレシュ氏が指摘するように、91年に王氏が出版した米国での体験記「アメリカ対アメリカ」は、深い洞察に満ちた内容とはいえない。米国の個人主義と私欲を痛烈に批判する一方で、慈善活動やボランティア組織の持つ力の大きさを見落としている。そして、米国の先住民には政治力がないと指摘しているが、中国のチベットやウイグルの人々が置かれている状況との類似性にも気づいてい ないようだ。

  王氏が見る世界は、根本的に異なる価値観と文化によって分断されている。その世界観はある意味、王氏と同様、 米大統領の顧問という権力の頂点にまで上り詰めたスティーブ・バノン前首席戦略官・上級顧問と共通するところがある。王氏は著書で、日本の台頭に続き、別の人種が覇権国としての米国の地位を脅かすだろうと指摘している。そして、自由や民主主義といった「自滅を招くような思想」に基づく米国のシステムは、いずれ危機に陥ると予測して いる。

  習氏本人は、まだそうした発言をしていないものの、中国は「世界の主役となるべき」であり、中国の発展モデルは 「他国に新たな選択肢」を提示しているなどと主張し始めている。これは王氏流の考え方だ。世界で影響力を強めつつある中国が、こうした考え方をしていることを我々は知っておかなければならない。

(4日付)

 

 

 

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