中外時評

 

ロシア革命100年独裁の系譜

 

 世界を震撼(しんかん)させたロシア革命が起きたのは1917年のことだ。

  「パンをよこせ」。民衆の自然発生的なデモに端を発した「二月革命」で皇帝ニコライ2世は退位し、ロマノフ王朝が倒れた。続く自由主義者らによる臨時政府は、つかの間に終わり、レーニン率いるボリシェビキが武装蜂起で権力を奪う……。史上初の社会主義国家誕生につながった「十月革命」から、7日でちょうど100年となる。

  だが今のロシアでは、ロシア共産党など一部を除き、「革命100年」を祝う動きはほとんどみられない。ぺスコフ 大統領報道官は「プーチン政権が記念行事を開く予定はない」とし、祝う必然性は全くないと断じている。

  革命で誕生したソ連が存続していれば違っただろうが、 四半世紀以上も前の91年末に消滅した。ロシアはソ連の継承国といっても、国家体制も経済システムも、社会構造もイデオロギーも一変した。

  11月7日の「革命記念日」そのものも、ソ連解体を主導したエリツィン政権下の96年に「合憲と和解の日」に名称変更された。プーチン政権下の2005年からは、当日が祝日から外された。歴史的な節目といっても、何をいまさらという風潮が広がるのは当たり前かもしれない。

  半面、超大国として米国に対侍し、工業化も進め、国民生活もそれなりに安定していたソ連時代への郷愁が、国民の間でなお根強く残っているのも事実だ。プーチン政権としても、ソ連を生んだ革命の功績を一概に否定するわけにはいかない。

  「十月革命、あるいは政権転覆と呼ぶ人もいるが、この史実には奥深く、客観的で専門的な評価が必要になる」。 プーチン大統領自身、中立で曖昧な態度をとってきた。国民の琴線に触れる歴史観に深入りし、社会を分断させたくないとの思いだろうが、政権が革命の評価を避ける理由は他にもあるようにみえる。

  反対派の排除、メディア規制、経済の国家管理・・・。プ ーチン政権の強権的な統治スタイルはしばしばソ連の独裁体制との類似を指摘される。

 「過去100年間で最も影響力のある人物は誰か」。国内の世論調査ではプーチン大統領とスターリンが競うように上位に並ぶ。支持率80%を超える大統領の人気は、スターリン時代の個人崇拝をほうふつとさせるとの見方もある。

  実質17年にわたって権力の座を堅持するプーチン大統領は一方で、「皇帝」と称されることも多い。帝政かソ連か ――。革命を否定しても肯定しても、「独裁」と絡めた論議にこじつけられかねない。 今の政権にとっては何とも都合の悪い記念日なわけだ。

  そんなプーチン大統領が十月革命について、「革命ではなく、段階的な進化を通じて発展することは不可能だったのか」と疑問を投げかけたことがある。内外有識者を集めた先月の国際会合の場だ。

  十月革命はレーニンやトロ ツキーら職業革命家が主導した武装蜂起による権力奪取だった。時は流れ、隣国ウクラ イナでは14年、流血を伴う政権転覆劇が起きた。恐らく、 革命という名の政権転覆を断じて容認しないという意思表示なのだろう。

  目下のところ、政権の懸念は杷憂(きゆう)に終わりそうだ。全ロシア世論調査センターの直近の調査では、今のロシアに「革命が必要だ」は 5%。逆に「革命を許してはならない」が92%に上る。

  歴史学者のリチャード・パ イブス米ハーバード大名誉教授は「ロシアの人々は伝統的な精神性と長年の習慣から、 強い政権を望む傾向がある」 と指摘する。「秩序と自由のどちらを選ぶかと聞かれれ ば、彼らは秩序を選ぶ」。 ロマノフ王朝時代の皇帝による専制、ソ連時代の独裁、 そしてプーチン政権の強権統治・・・。抑圧の歴史が招いた必然なのだろうか。

  ロシア政治学者のグレブ・パブロフスキー氏は「プーチ ン氏は自分を皇帝とはみなしていないが、ロシアの主人、 ロシアを救う指導者だと考えている」という。次期大統領選は来年3月。プーチン氏が予想通りに出馬すれば、24年までの超長期政権となる。

 

 

 

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