Deep Insight
不正の芽摘む「失敗の科学」
2年前に書かれた「失敗の科学」(マシュー・サイド著)という本がある。出てくるのは、世界で最も過酷で失敗が許されない職場の 一つ、とされる航空機のコックピットだ。
過去には痛ましい事故が多数あった。だが、同書によれば、世界の民間旅客機による死亡事故発生率は現在、830万フライトに1 回まで低下している。失敗に学んだ結果だそうだ。
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総飛行時間が2万時間を超える全日本空輸の元ベテラン機長、村上耕一氏に事故の減少について聞いた。現在、航空のほか、医療現場の安全に関するコンサルタントをしている。
村上氏は「ヒヤリハット(ひや りとする、はっとするの略。事故 につながりかねない出来事)は何百、何千とあった」と振り返る。 だが、「航空機の操縦にはエラーが一つ生じても(安全装備やパイロットの行動マニュアルによって)何重にも挽回のチャンスが用意されている。『失敗をさせない』 ではなくて、『失敗を事故に結びつけない』との発想が前提にある」 と話す。
何重にも確立された挽回の機会 。それらはエアライン産業という業界独自の「失敗の科学」に基づき、今も日々更新され続けているという。
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普通の企業はどうだろう。東京都内にある公認会計士事務所が運営するウェブサイト「第三者委員会ドットコム」によると、存続が危ぶまれるような不祥事が起きた日本企業が有識者を入れて設置する「第三者委員会」や「特別調査委員会」の数は2015年以降、 年間50件前後に増えている。それまでの2倍以上だ。
確率論的には株式上場企業(3572社)の重大不祥事発生率は 毎年1%を超す。ガバナンス(企業統治)改革が進み、不祥事に社会全般の関心が強まっているせい もあろう。今年もすでに31の委員会ができた。アルミ、鉄鋼製品などのデータ改ざんがあった神戸製鋼所も含まれている。
問題は不祥事の原因だ。過去に発表された報告書を見ると、起きた状況や背景が似た事例は実に多 い。同じ企業が同じ不祥事を繰り返した三菱自動車のようなケースがある一方、異なる業種の複数の企業が知らないうちに似た過ちを犯すこともある。これらには多分、 パイロットの世界で言う「最悪の事態を起こさない挽回の機会」が用意されていない。
昨年、燃費計測データの改ざんが発覚した三菱自動車の報告書 (昨年8月公表)にはこんな話が 出てくる。
「不正をした部署は『無理な目標だ』と上層部に訴えたことが何度かあった。だが、相手にされず に、ある時点で何も主張しなくなった」 「(同部署は)周囲の無理解を利用して外から見えない壁をつくり始め、不正の手法をブラックボ ックス化していく」 神戸製鋼の不祥事と酷似した状況だ。データの改ざんは両社とも 普通の現場社員が何年も続けてき たものだ。現場で何が起きていたのか、経営陣があまり認識していなかった点も同じである。
多数の報告書を分析した大分県立芸術文化短大の植村修一教授は 「外から見えない状況で起きているのに、業種を超えて似た行為が 多いのは、日本企業の組織の劣化が急激に同時進行し始めたことを示す」と話す。東芝、三菱自動車、 神戸製鋼、日産自動車と、事情を 1社ごとに分析しても不祥事の真因は理解しにくい、ということだろう。
一方、慶大の菊沢研宗教授は「日本の組織は合理的に失敗に向かう傾向がある」と言う。例えば、東芝は原子力事業から撤退したら 「政府からしかられ、従業員の雇用も不安になる」。神戸製鋼は「納期やコストを守らないと取引先から契約を打ち切られる」などの懸念を抱いた。
「経営陣、管理職は下に向かって『何とかしろ』と命令を下すが、 何ともならないとわかっている部下たちは袋小路に嵌まり、不正行 為を考え始める。不正が起きても 周囲は目をつぶり、何も言わないことがその組織にとっての『合理性』になっていく」 (菊沢氏)と いう。
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パイロットならいずれも許されないだろう。全日空の黒木英昭執行役鼻は「事故防止に生かされているのはハインリッヒの法則だ」 と解説する。労働災害の発生確率に基づいて生まれた経験則で、航空の場合でも「1つの事故が起きるまでには29種類のかなり危ないエラー、その前には200〜300種類のヒヤリハットが必ず発生している」というものだ。パイロ ットや整備士はそうした予兆を常に探し、一つ一つつぶしていくそうだ。
しかも、失敗の情報は経営の上層部や航空機メーカー、役所、世界中の競合他社に必ず送られ、共有される。航空業界が失敗の科学で先行したのは、組織や国境を超えてすべての関係者がつながっていたためだろう。
不祥事で最も問題なのは、失敗に対する企業の感度の悪さだ。米経営学者の故ピーター・ドラッカ ー氏は「いろいろな面で日本は(21 世紀に入って)生じてきたニーズ に応える体制になっていない」と 著書「ポスト資本主義社会」(日本版向け序文)で指摘している。 時代が変わったのに、やり方を改め切れない日本企業の体質は、文章が書かれた10年以上前と変わっていない可能性はないか。