Deep Insight
我慢の巨象、竜に怒る
ふだんはおとなしいが、本気で怒ると凶暴になり、敵に挑みかかることもある。そんな象を国のシンボルとするインドが、大切な縄張りを荒らされた、と怒っている。 相手は竜、すなわち中国だ。
インドが憤る直接のきっかけは、中国が進める「一帯一路」構想である。海と陸の交通路を整え、 中国から欧州まで新シルクロード経済圏を築こうというものだ。
中国は5月、北京に百数十ヵ国を招き、同構想のお披露目の会合を開いた。日本を含め、ほとんどのアジア諸国が参加したが、インドは代表を送らず、事実上、ボイコットした。
その理由は地図をみれば明白だ。スリランカ、ミャンマー、パキスタン、そしてインド洋からアフリカ大陸への玄関となるジブチ ……。インド側からみれば、同構想はまるで自分を包囲するように設計されている。
○ ○ ○
インドがさらに憤慨したのは、 彼らがパキスタンと領有権を争うカシミール地方の一部までもが、 対象に含まれていることだ。内情に通じたインドの元高官は、同国政府の怒りをこう代弁する。
「中国はインドを包囲しようとするだけでなく、主権問題にまで手を突っ込んできた。まるで植民地主義の再来だ」
インドの外交専門家らによると、同国は膨張する中国を警戒しながらも、あまり刺激せず、それなりに共存しようとしてきた。
たとえば2007年、日米豪、 シンガポールと初めて合同軍事訓練をしたが、その後は続けていない。中国をにらみ、日米が日米豪印外相会談の枠組みを創設しようと持ちかけても、応じようとしなかった。いずれも中国の反発を気にしてのことだ。
こうした我慢にどこまで意味があるのか。インドは最近、疑問を深めている。ニューデリーで政府・軍の元幹部らに取材すると、次 のような税別が返ってきた。
中印は一緒に台頭できると思い、共存をめざしてきた。だが、 中国はそう考えていないと思わざるを得ない。インドの生存空間を、 あからさまに圧縮しようとしているからだ――。モディ首相はこんな思いを募らせているという。
中国はインドによる反発を過小評価していたのだろう。中国からみれば、一帯一路構想はインド包囲網より、米国に対抗し、中国主導の秩序を築くことに主眼があるからだ。
○ ○ ○
仮にそうだとしても、インド側は自分たちへの挑戦だと受け止め、すでに対中政策の見直しに入っている。そのひとつが中印国境ヘの対応だ。
1962年に戦火を交えた中印にはなお国境が定まらない係争地があり、その面積はマレーシアと同じくらいの広さにおよぶ。 そこではしばしば、両軍による越境事件が起きている。インドの軍事専門家らによると、インド政府は中国軍の越境に対し、これまで抗議こそすれ、大規模な部隊を送って対抗することには慎重だった。中国を相手に、あまり緊張を高めたくないからだ。
ところがモディ首相はここにきて方針を変え、中国軍が越境してきた場合にはこれまで以上に素早く、強く対抗する方針に転じたという。弱腰の態度をみせれば、中国はさらに強気になってしまうとの判断に至ったからだ。
この新方針はさっそく実行に移された。6月から約2ヵ月半にわたり、中国とブータンの国境でインド軍が中国軍と対侍し、一触即発となった危機がそれだ。 インドは中国に対抗し、500人以上の部隊を国境に送り、その後方にも1万数千人の兵力を集結させた。中印戦争以来、インド側がこれほどの兵力を投じ、中国に対峙したのは初めてだ。
対中観の冷えはインド外交にも表れつつある。
9月、ニューヨークで開かれた 日米印の外相会議。日米は日米豪印4カ国の外相会議の創設を、そっと再提案した。すると、対中配慮からこれまで慎重だったインドが初めて、前向きな姿勢をにじませたという。
モディ政権は米国との軍事協力を加速するほか、中国と領有権争いを演じるべトナムなどへの軍事支援にも着手している。対中けん制の狙いがあるのは明らかで、中国も警戒を強めている。
○ ○ ○
問題は、中印がさらに対立を深めていくのか、それともやがて関係改善に向かうのかだ。曲折はあっても、長期的には前者の可能性が小さくない。中印戦争以来、両国には不信感のマグマがたまっているからだ。「一帯一路」構想がそこに火を付けた。
21世紀半ばまでに米国と並ぶ強国になると宣言する以上、中国は勢力圏を広げる動きをさらに速めるとみられる。一方のインドも国力が増すにつれ、自己主張を強めるにちがいない。両国のすみ分けはさらに難しくなるだろう。
国連の予測によれば、インドは 24年ごろまでに中国を抜き、世界1の人口大国になる。国内総生産 (GDP)は約5分の1にとどまっているが、成長率は中国を上回っている。 2つの大国のライバル関係は、 アジアだけでなく、世界の地政学図をも左右する。日米が6日の首 脳会談でかかげた「自由で開かれたインド太平洋」の戦略の将来にもかかわってくる。
竜が暴れないよう、象が重し役を果たすなら、アジアの安定には好ましい。逆に両者が大げんかとなり、周りを巻き込むようなシナリオは避けなければならない。