130万人のピリオド
尊厳死のゆくえ
延命治療と意思の狭間
年間130万人が亡くなる多死社会・日本。医療・介護の現場では、終末期の患者の「延命治療をしない」選択を尊重する動きが広がっている。苦痛を伴う措置を望まぬ人が増える一方、日本には延命治療を受けずに死を迎える「尊厳死」を認める法律はない。死への意識が変わるなか、医療・介護体制やルールづくりはどうなっているのか。まずは介護施設などで静かに進む「延命なし」の現場を訪ねた。
介護施設「平穏な死」を重視
「スー」という穏やかな呼吸音だけが聞こえる。特別養護老人ホーム芦花ホーム(東京・世田谷)の一室。ベッドで眠る90代の女性を前に、常勤医の石飛幸三さんは「このままあと数日で亡くなる状態」と話す。点滴などの管にはつながれていない。
本人・家族と面談
芦花ホームは終末期の看取(みと)り介護に取り組み、入所者が亡くなるまで平穏に過ごすための支援を重視している。延命治療をするかは本人が選択。認知症などで本人の意思が確認できない場合は、状態を見ながら家族と医師などで面談を重ねて決める。
石飛さんは「生きるための医療も大事だが、その人らしく平穏に死ぬための医療も求められている」と話す。50年近く外科医として病院に勤務したが「患者に治療を押しつける医療に疑問があった」。
石飛さんが看取り介護に力を入れ始めた2005年ごろは、入所者100人のうち死亡数は年20人ほど。今は毎年30〜40人が自然に亡くなる。
厚生労働省によると、老人ホームでの死亡数は15年で8万1680人。5年前の約2倍に増えた。高齢者施設が「ついのすみか」になるにつれ、入所者の延命治療に直面する施設も増えている。
施設に加え、在宅での苦痛なき看取りも静かに広がっている。「病院でつらい治療をするより、自宅でゆっくり最後を過ごしたい人は多い」とあすか山訪問看護ステーション(東京・北)の平原優美さんは話す。平原さんは10月に一人暮らしの70代の女性をみとった。「苦しまず、穏やかな表情が印象的だった」.
病院から在宅へ移る際は、退院前に病院と在宅医療を担う医師・看護師などが、患者と家族に病状や在宅での過ごし方を説明する。
ただ、本人の意思を受け入れる家族にも葛藤がある。丹沢太良さん(69)は10年、母親の朝子さん(当時84)を悪性リンパ腫で亡くした。診断時には末期。朝子さんは延命治療を望まなかった。緩和ケアを選び、有料老人ホームで最期を迎えた。
事前に意思表示
丹沢さんは「治療すればもっと一緒にいられたかも」と時折後悔する一方、「希望通りに最期まで過ごせて、母は幸せそうだった」と振り返る。朝子さんは望む最期のあり方を残す「リビングウィル」で延命治療を拒否していた。
リビングウィルのカードを発行する日本尊厳死協会(東京・文京)の16年の調査では、リビングウィルが医療者に受け入れられたのは91%。岩尾総一郎理事長は「書面で意思表示ができれば、医療行為に反映されやすい」と話す。
受け入れられなかったケースは、急病で家族が慌てて救急車を呼んで措置を求めてしまったり、医者が希望をきかなかったりした場合だ。
日本医師会の羽鳥裕常任理事は「病状など個別に異なるなか、延命潜療に関する医師の判断は難しい」と指摘する。治療の義務を怠ったとして、患者の死亡後に家族などから告訴される恐れがあるなど、法的に医師の免責要件が明確でないためだ。
本人の望む最期を実現するには、家族の同意と医師の理解が欠かせない。羽鳥理事は「患者の意思や病気の経過を知るかかりつけ医の役割がますます重要になる」とみる。
救急現場、かかりつけ医と連携
蘇生中止も選択肢に
救命救急の現場でも、終末期患者への対応が課題だ。日本臨床救急医学会は3月、ガイドラインを作成。基本的には救命措置をするが、患者が延命を望まず、かかりつけ医に確認もとれた場合は蘇生を中止する。
同学会の丸川征四郎氏は「救命の義務と延命治療のあり方の狭間で救急隊員が悩む事案が全国的に増えている」と指摘。「傷病者の意思に寄り添った救急対応ができるよう体制を整えていく必要がある」と話す。
消防署や病院が中心となって動き出している地域もある。高齢者施設の多い東京都八王子市は、市内の65歳以上を対象に「救急医療情報」の書面を配布。かかりつけ医や緊急連絡先のほか、延命治療の希望についても記入欄を設け、救急対応に活用している。
救急隊はかかりつけ医の了承が得られた場合、その病院への、搬送もする。普段救急対応していない病院への搬送は2015年の133件から16年には約1・4倍の184件に増えた。かかりつけ医のもとで本人が望む医療の実現を目指す。
記者(23)が八王子市に住む祖母(81)に「救急医療情報」を渡すとすぐに書き出した。祖母は自宅に一人でいる時に倒れた経験があり、緊急時に自分だけでは何も伝えられないと痛感したという。「伝えられなくなる前に、希望を書いておければ安心」と言う。
八王子市高齢者救急医療体制広域連絡会の田中裕之会長は「家族で延命治療について話し合うきっかけにもなれば」と話す。
▼尊厳死と安楽死
助かる見込みのない病人に対し本人の意思に基づき、延命治療をせず、人間としての尊厳を維持して安らかな死を迎えさせること。末期患者に薬物などを用いて死亡させる「積極的安楽死」と、あえて延命治療をしない「消極的安楽死」に大別され、前者を一般に「安楽死」、後者を「尊厳死」と称することが多い。