地域共同体を表した「党」


 戦後まもないころから、日本では保守政党による長期単独政権の時代が続いていた。私が子供のころは、ほとんどの大臣が自民党出身の政治家だった。だがそんな状態が例の政権交代でおわり、それからもまたずいぶん時間が経った。

 この間の政界の再編成には、実にめまぐるしいものがあった。既存の政党にいた人が飛び出して新党を作ったかと思えば、それがまた分裂したり、あるいは他のグループと手を結んだり、まことに複雑怪奇なありさまだった。だが政党があるかぎり、その分裂と統合は、これからもきっと続いてゆくのだろう。

 いまの中国語で単に「党」といえば、中国共産党のことだが、「党」という漢字がこのように考えを同じくする集団の名称として使われるようになったのは、実は比較的新しい時代のことで、もともとこの字は「地域統治のための行政単位」を意味していた。

 古代の中国では五百軒の家の集まりを「党」と呼び、そこからこの字にグループという意味ができ、それがやがて政党という意味に発展していった。

 「党」の本来の字形は「黨」で、「くろい」という意味を表す《K》 (黒)と発音を表す《尚》の組みあわせだが、この《K》は日々の炊飯や調理でススがついて黒くなった煙突を表している。

 古代の日本には、民のカマドがにぎわっているかどうかで国の統治がどれくらいうまくいっているかを判断した為政者がいたそうだが、民のカマドを視察するには、それぞれの家の中に入って確認しなければならない。権力者がそんな面倒なことをするはずはなく、実際には彼は家々の煙突から煙が立ちのぼっているのを眺めて満足していたにすぎない。

 煙突のよごれは、庶民の性格状況を示すバロメーターである。「党」とはそんな生活のシンボルともいえる煙突で結ばれる地域共同体のことだった。それがやがて、考えや目的を同じくするグループを指すようになったのだが、選挙で声高に訴えられる各「党」の政策の中に、たった五百軒くらいの小さな範囲しか視野いないものがないことを心から祈るしだいである。

 

 

  


 

 


「破天荒」粗悪な状態覆す



 かつて都としてさかえた西安から、仏教美術の宝庫として知られる敦煌まで、飛行機で移動したことがある。ジェット機で1時間ちょっとの距離で、昔は何日間もラクダに揺られて旅したのだから、さぞかし大変だっただろうな、と思いながら窓の下を眺めていると、しだいに息をのむ景色が展開しはじめた。

 あたり一面どこまでもひろがるゴビ砂漠の中に、まるで雪が積もっているかのように、真っ白に見える部分がある。土壌に含まれている塩分が地表にまで浮かびあがっており、これを「塩害」と呼ぶのだそうだ。緑豊かな国に育ったものから見れば、それは「不毛の大地」以外のなにものでもなかった。

 中国は広大な国土を擁するが、しかし農業にも牧畜にも適さない荒れ地がかなりの割合を占めている。そんな草木一本すら生えない土地のことを、かつては「天荒」と呼び、そしてそのことばは、優れた人材がまったく出現しない土地のたとえとしても使われた。

 敦煌を含む今の甘粛省一帯は、唐の時代まで優秀な人物がまったく現れない「天荒」の地とされていた。なにせそこからは、中央政府の要職にあたる高級官僚を採用するための試験「科挙」で、最終合格者である「進士」はおろか、その第一段階の試験にすら合格する者がいなかったのである。

  ところがある年、その土地出身の劉蛻という男が地方での試験に通り、さらに中央でおこなわれる本試験にも優秀な成績で合格した。人々は彼の快挙を、かの「天荒」の地からも、ついにそれを破る男が現れたのかとの驚きをこめて、「破天荒」ということばで呼んだ。

 「破天荒」とは、慢性的に低劣あるいは粗悪だった状態をうちやぶり、画期的なまでに高尚あるいは優秀な状態を出現させることをいう成語である。それが今の日本語では、単に「前代未聞」とか「驚くべき」という意味に使われている。「破天荒な偉業」というのは正しい使い方なのだが、「がんばっていた社員を離島の営業所に左遷するのは、破天荒な人事だ」というのは、語源から考えれば正しい使い方ではないことになる。

 

 

 

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