文化



一葉の写真



伊 集 院  静


 一葉の古い写真が私の仙台の仕事場にある。茶褐色に色あせた写真には、一人の老人と、隣りに二人の少年が兄弟のように肩を組み笑っている。小春日和の陽が差す縁側で、老人と孫がおさまっている姿はいかにも微笑ましい。

 昭和2,30年代、日本のどこの家にでもあった冬の風景である。私がその写真を仕事場に置いていたのは、私が東京で何かにつけて世話になり、相談にのってもらっていた人の写真だったからだ。

 写真を入手して数ヶ月後、私と家族は仙台の自宅で東北大震災に見舞われた。家屋は半壊し、仕事場も無残な状態となった。蝋燭の灯りの下で、日々起こっていることを記録し続ける3ヶ月が続いた。

 地元紙に連載中の小説も中断し、仕事のこともそうだが、これだけの死者と行方不明者がいる中で、生きることへの不安と、この先、日本はどうなるのかと、自身をふくめて日本人を見つめざるをえなかった。

 やがて大勢のボランティアが東北に集まってくれ、救援物資、義援金の多さに私は日本人の根底にある、手を差しのべる強さを感じた。

 ようやく上京し、あの写真の人物にも無事を報告し、届けられた水や食料の礼を述べた。その夜ひさしぶりに銀座のバーへ行った。話題は、震災のこととともに或る企業家が何千億の義援金を発表したとか、ニュースキャスターが億の金を出したことだった。

 隣りにいた友人が言った。「たしかに素晴らしい行為ですが、なぜあんな大々的に発表をするんですかね?」 「どうしてそう思うんですか?」「よくは知りませんが、あなたの友人が経営する会社も震災直後、すぐに相当な額の現金を三県の知事に届けているはずです」「本当かね? 新聞記事では見なかったな」 「それがあの会社の創業以来のやり方なんです。″陰徳≠ナすね」

 陰徳≠ネる言葉は知っていたが、実践している人、または企業は知らなかった。正直、驚いた。それを実践した人が、写真の人物、企業であったからだ。なんとも善き先輩と知己を得たことと、今は第二の故郷である東北にそうしてくれたことに頭が下がった。

 帰仙し仕事場をたてなおした。あの写真も崩れた書棚の底から見つかった。それを眺め返していた時、好々爺としてしか映っていなかった老人の表情と、はっきりした目鼻立ちが視界の中でふくらんだ。陰徳≠百年守らせる、この創業者はいったいどんな人物であったのか。どんな生涯を送った人なのか。俄然、興味が湧いた……。

 大阪船場≠ナ丁稚奉公からはじめて、二十歳そこそこで店を持ち、今は世界でも有数の企業となっているサントリー初代、創業者、鳥井信治郎なる人物のことを少しずつ紐解いてみた。しかしその時点でも、私はこれを小説として執筆することば念頭になかった。

 私はデビュー以来、私小説をテーマとして作家を続けていたし、経済、経営と言ったものとは無縁に生きていた。私の創作の発想は人間の内へ入ることであり、経済人をテーマにすることは思いも寄らなかった。

 ただ歴史の中の人物をいつか描こうと、吉田松陰、正岡子規の二人を十数年間取材し続けていた。二人のうちの正岡子規は、小説とし連載を終え、出版することができていた。評判もまずまずで、ちいさな手応えもあった。

 ところが鳥井信治郎の周辺を探っているうちに、彼の半生記である道しるべ≠ェ手に入った。そこに綴られている内容は、父から学んだ辛抱と、母、こまから教わった信仰心と、先述した陰徳≠フことしかなかった。ここには商いの教えなどひとつもないではないか。どういうことなのだろう?

 さらに踏み込んで信治郎の生涯を辿ると、三方良し≠ニいう売り手、買い手、そして世間の三方がゆたかになる商いでないと、真の商いではないという近江商人のビジネスに対する基本があることを知った。

 これはもしかして商いを超えた一人の男の生き方をしめしているのではないのか? さらに言えば日本人の生き方を体現した人物なのでないかと思いはじめた。本格的に調べはじめると、鳥井信治郎という人物の魅力にふれる逸話が数多くあった。

 そんな折、新聞連載の依頼を受け、私は鳥井信治郎を描くことは、日本人とは何であるかを探る貴重な入口に立てるのではないかと思い、執筆することにした。不安だらけの出発ではあったが、企業小説を書くのではない、一人の日本人の生き方を通して、一人の商人の歩んで来た道を辿るとで、日本人がなぜ今日、国際社会の中で、確固たるその存在をしめしているのかの、ひとつの答えに近づけばいいのだと思った。 執筆を重ねて行くうちに、炎天下の峠道を汗を掻きながら大八車を曳く若者の姿が、むこうからやって来てくれた。経営の神様、松下幸之助が生涯、師と仰いだ理由は十分過ぎるほどあった。そして何より、人間の魅力、匂い、気概を、これほど見事に持ち合わせていた人物にめぐり逢ったことが、私の作家生活の中での至福でもあった。ありがとう、鳥井信治郎さん。 最後に、これほど連載中に見知らぬ人から声を掛けられたことはなく、励みとなった。重ねてお礼を申し上げる。

 

 

 

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