クラシック名演・名盤

 


福島 章恭

ふくしま・あきやす 音楽評論家、大阪フィルハーモニー合唱団合唱指揮者。1962年生まれ、桐朋学園大卒。94年柴田南雄音楽賞奨励賞。著書に「交響曲CD 絶対の名盤」、共著に「クラシックCDの名盤」など。


クラシック音楽に親しむには、まず歴史的名演を聴くことが近道だ。音楽評論家で合唱指揮者の福島章恭氏が、大作曲家の代表曲が収録された名盤を紹介する。



モントゥー指揮 ベートーヴェン交響曲全集

 

「愛」に満ちた温かい演奏


 アナログレコード全盛の昔、書店の音楽書コーナーに並ぶ「名曲名盤ガイド」は、音楽愛好家、蒐集家にとってのバイブルであった。ベートーヴェン「運命交響曲」の究極の一枚をぶことはひとつの崇高な儀
式のようでもあり」フルトヴェングケーを選ぶのか、カラヤンを選ぶのかによって自己の生き方をも問われるような真剣さがあった。



 
音楽家の栄誉


 かたや演奏家からしても、ベートーヴェンを録音するということは、音楽家としての存在意義を賭けるほどの大事業であった。しかも、交響曲全集、ピアノ・ソナタ全集の録音ともなれば、実力と運を兼ね備えた一連りの巨匠にしか与えられない栄誉だったのである。かのピエール・モントゥー(「春の祭典」初演指揮者)にしてなお、87歳のときに「第9」録音の機会が与えられた「幸運」を神に感謝したほど。英デッカ録音の欠落が米ウエストミンスター・レーベルによって補完され全集が発売された(ユニバーサル)歓びは如何ばかりだっただろう。

 モントゥーのベートーヴェンには奇を街ったところがまるでない。作曲家への敬意を忘れず、理知的な眼差しからスコアを誠実に音化してゆく。そこに鳴る音のなんと気高く、温かなことだろう。モントゥーの指揮棒から紡ぎ出される音楽にはいつも「愛」に満たされている。

 さて、「愛・ベートーヴェン」というキーワードから真つ先に思い出されるもうひとりの指揮者といえば、ブルーノ・ワルターということになろう。永遠のスタンダード「田園」を筆頭に、その9曲の録音(ソニー)は時を経ても瑞々しさを失うことはない。ワルターが晩年に遺した全集こそ、ステレオ黎明期に打ち立てられた金字塔である。

 しかし、ここではさらにフランス・ブリュッヘンの名前を挙げておきたい。天才的なリコーダーの名手として世界的な名声を獲得し、やがて作曲家の生きた時代の楽器を用いた18世紀オーケストラを組織しては革命的な演奏で世界の音楽ファンを熱狂させた。彼らの2度目の「ベートーヴェン交響曲全集」 (Glosa classics)がロッテルダムでライヴ録音されたのは2Oll年10月、ブリュッヘンの死の3年前(最後の来日の1年半前)のこと。古楽器ならではの人肌の温もりのある響き、弦楽器と管楽器の絶妙のバランスなど、どの小節にも発見がある。CDの特典映像にみるブリュッヘンの指揮姿、指揮者椅子に座す長身痩躯とそこから伸ばされた2本の長い腕(懐の深さ!)は、バイロイトの巨匠クナッパーツブッシュをも想起させる。すべての楽員がブリュッヘンと呼吸をひとつにしている、というより、「今この瞬間をともに生きている」という様は、演奏という概念を超えた愛の共同体を見るようだ。



人生の感謝宿る

 さて、最後にもうひとつ、ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送響による全集(ソニー)を聴いてみよう。かってわたしは「ヴァントはハイジのお爺さんに似ている」と書いたが、今もその感想は変わらない。気難しくて無愛想、その音楽は安易に人を寄せ付けないほどに厳格だ。しかし、ハイジのお爺さんの内に篤い信仰心と身を焦がすようなハイジへの愛情があったように、ヴアントによる一点の隙も見せず堅牢なべートーヴェン演奏の内側には、温かな皿が流れ、音楽と人生への感謝が宿っている。これぞまさに究極の愛の形と呼べるだろう。

 


 

 

ボールト指揮「バッハ ブランデンブルク協奏曲」



自由な魂爽やかに振る


 はじめてバッハのレコードを手にしたのは12歳の秋。1974年11月2日、後楽園球場における日米野球ニューヨーク・メッツ対全日本戦(試合前にはハンク・アーロンと王貞治による世紀のホームラン競争があった!)観戦の帰り道、同行した年長の従兄弟に指揮者ネブィル・マリナ一による1回目の「ブランデンブルク協奏曲集」 (デッカ)を買ってもらったのである。

 「第4番」にアルト・リコーダーより1オクターブ高いソプラニーノを用いたり、「第5番」のチェンバロ独奏部が極端に短かったりするユニークなもの。音楽学者T・ダート監修による一癖も二癖もある録音だった。とりわけ気に入ったのは前述のソプラニーノ・リコーダーの涼やかな音色である。奏者のひとりが夭折の天才マンロウであることや、「第5番」のフルート奏者がマリナーの師、ピエール・モントゥーの息子クロード・モントゥーであることを意識したのは随分後のことだ。

 
巨匠84歳の録音

 ホルスト「惑星」の初演指揮者ボールトが「ブランデンブルク協奏曲」 (ワーナー)を録音したのはその前年1973年、巨匠84歳のとき。マンロウはこの録音にも参加し妙技を披露している。ロンドン・フィルによるおおらかで豊穣なバッハ。もはや編成の大小、演奏様式の新旧などどうでもよくなってしまう。源泉から勢いよく湯が噴出するような無尽蔵のエネルギー感にまれ、ボールト翁の魂の自由な境地が爽やかだ。

 指揮者の自由な魂といえば、アバド指揮モーツァルト管による映像も忘れがたい。カルミニョーラ(バイオリン)、ブルネロ(チェロ)、ベトリ(リコーダー)、ダント小−ネ(チェンバロ)ら現代の名手が一堂に会し、奏者たちを信頼しきったアバドが実に幸せそうに指揮をしている。

 カフェ・ツィマーマン(古楽アンサンブル)による「さまざまな楽器による協奏曲集」 (アルファ)はまるでバッハの宝石箱。アンン
ブル名の由来は、バッハが「コレギウム・ムジクム」というコンサート・シリーズを開催していたコーヒーハウスにある。6枚のCDにはブランデンブルク協奏曲集のほか、管弦楽組曲全曲、オーボエ・ダモーレ、ヴァイオリン、チェンバロの協奏曲がほぼ網羅されている。天才エンジニア、デショーによる超優秀録音ゆえにアナログ・レコード化も期待されるところ。

 我が12歳の年にはもうひとつ重要な音楽的事件があった。バッハ「ロ短調ミサ」との出会いである。カラヤン&ベルリン・フィルの新譜をFM放送で聴いては忽ち虜となり、親にレコードを強請たのだ。小学校の音楽の先生には「おまえは随分早熟だなあ」と呆れられたものだ。当時夢中で聴いただけに、数年前このレコードに針を下ろしたときの落退は尋常ではなかった。ベルリン・フィルの輝かしさとは対的にウィーン楽友協会合唱団がお粗末なのだ。現在でこそ世界的なレベルにある同団も、当時は発声が稚拙だったのである。カケヤンほどの繊細な耳の持ち主が、あの音程を許容していたというのは不思議でならない。

小6時の出会い

 愛聴盤は、パロット指揮タヴァナー・コンソート&プレイヤーズ盤(ワーナー)。リフキン校訂版による合唱部が基本的に1人1パートというストイックな美学がいい。フェルトホーフェン&オランダ・バッハ.協会盤(チャンネル)も同じスタイル。SACDによる豊かな音で聴きたいときに選んでいる。

 さて、小学6年生のわたしが「ロ短調ミサ」に出会ったのは何の暗示だったのか? いつしか合唱指揮を生業とし、ついにはバッハが晩年の27年間勤めたライブツィヒのトーマス教会で「ロ短調ミサ」「マタイ受難曲」を指揮する僥倖に恵まれるとは! さらに来年9月には大阪フィル合唱団との「ロ短調ミサ」再演が待っている。あの日から44年目のバッハはトーマス教会にどう鳴り響くのだろう。


 

シューリヒト「ブルックナー第8番」

 

別次元の音色の魅惑



 ブルックナーは天啓のように響く。「この音楽とともに生きるなら、人生は美しいものになる」と。ただし、誰もがその恩恵に恵まれるわけではない。人がブルックナーを選ぶのか、ブルックナーが人を選ぶのか、その音楽を美しく受信できる心のアンテナを有している人は限られるのだ。難解な現代音楽のスコアを初見で理解できたり、ショパンのソナタを達者に弾けたりすることが、ブルックナー理解に何の貢献もしないことは音大生時代に嫌と言うほど知った。「どれを聴いても同じ」「長くて退屈」「えっ、これが主題? これがメロディーと言えるの?」などブルックナーに無理解の声を聴く度に、肩身の狭い想いをしたものだ。

 一方、わたしの棒でブルックナー「交響曲第8番」を演奏したいという酔狂な人々もいるのだから世の中面白い。愛知祝祭管はアマチュアながらに技量も志も高く、2014年10月、名古屋で行われた演奏会はブルックナーの神髄に迫る名演だったと自負している。

 わがブルックナー開眼は、中学校に入学して間もなく「2番」をFM放送で聴いたとき。雷に打たれたような感動だった。ブルックナーに選んでもらえたのだ。小遣いから何枚かブルックナーのレコードを手に入れたが、もっとも良く聴いたのは、マタチッチ&チェコ・フィルの「7番」、シューリヒト&ウィーン・フィルの「9番」とともにクナッパーツブッシュ(以下クナ)&ミュンヘン・フィルの「8番」 (ユニバーサル)であった。

遅めのテンポで

 クナの「8番」は、永遠のスタンダード。遅めのテンポによる雄大な造型。洗練とは無縁のアンサンブルながら、深い呼吸による瞑
想性と宇宙の鼓動のような爆発力がブルックナーの醍醐味を伝える。漂う風格はクナという人の人間的な懐の深さゆえだろう。フィナーレ終結の3音ミ・レ・ドは、リテヌート(急に遅く)の指示を最大限に生かし、一昔一音念を押すようにズシリと奏させている。

 シューリヒト&ウィーン・フィル盤の「8番」 (ワーナー)は、「9番」とともに歴史に残る名盤。速めのテンポと引き締まったサウンドによる別次元のブルックナー像を聴かせてくれる。60年代ウィーン・フィルの零れるような音色の魅惑も全開である。終結の3音は減速も僅かで呆気ないほどだが、この程度がブルックナーの意図なのかもしれない。「6番」 「7番」のフィナーレに限らず、さんざん盛り上げた挙げ句、あっさり終わらせるというのがブルックナーの癖。そういえぼ井上道義先生も「あそこは、みんな遅くしすぎなんだよ」とこぼしておられた。

 遅いテンポ、瞑想性を極めたのはチェリビダッケ(以下チェリ)&ミュンヘン・フィルの東京ライヴ(アルトウス)。チェリはヨガの達人が己の心拍数をコントロールするかの如く己のテンポを制御する。ゆえに聴き手はチェリの呼吸に自らのそれを同期させることが求められる。決して楽な作業ではないが、ひとたび波長が合ったときの心象風景の美んさは他で得られるものではない。

 
音楽と共に呼吸

 音楽と共に呼吸することは、どの作品に臨むにも必須ではあるが、特にブルックナーの場合には重要だろう。前述の愛知祝祭管とのライヴ録音(かもっくす)では、深い呼吸を標榜するうちに演奏時間が94分を超えた(平均より10分以上長い)。終結のミ・レ・ドも確信犯的なリテヌート解釈により、他の誰よりも遅いテンポを採択。

 因みに、実演に接してもっとも感動した「8番」は1984年3月のマタチッチ指揮N響。その神々しさは、第3楽章の息の長いゼクエンツで、NHKホールのステージ後方に天国へとつづく光の階段が見えたほど。音だけでもよいが、マタチッチの豪快、武骨にして愛嬌満点の指揮姿をDVD(NHKエンタ」プライズ)で拝むことのできるのは有り難い。


 

ブリュッヘン指揮「モーツァルトレクイエム」


晩年の至高の境地表現



 人それぞれに「運命の音楽」というものがあるとするなら、わたしのそれはモーツァルト「レクイエム」となろう。はじめてのプロ・オーケストラ指揮、東京ジングフェラインの旗揚げ公演、ウィーン楽友協会ホールでのチェコ・プラハ管との共演などに次いで、本年12見5日、モーツァルトの命日にシュテファン大聖堂で指揮するなど、我が音楽人生の節目節目にこの作品が置かれてきた。

 「レクイエム」が「鎮魂曲」と訳されることも少なくなった。元来カトリック典礼における「レクイエム」は死者の霊を鎮めるためのものではない。天国と地獄の間にある煉獄において、生前の罪を熱い炎によって清めるべき魂を天国に送り出すための祈りなのだ。



悔やまれる未完

 モーツァルトのテキストの扱いは、史上最高峰のオペラ作曲家の面目躍如たるものがある。「入祭唱」で
はバス声部の厳かな歩みが、ローマの7つの丘を巡る教皇の到着を会衆が迎えるという本来の姿を思い出させる。「怒りの日」では恐怖に人々のガタガタと震える様子、「呪われし者」では死んだ魂たちの足下に燃えさかる炎が音によって映像化され、「主イエス・キリスト」は、死者たちを呑み込もうとする獅子の大きな口と深淵が7度という広い音程を行き来する激しい旋律によって描写されている。

 その鮮やかな音楽的発想は枚挙に暇がないが、それだけに「レクイエム」の未完は悔やまれる。何しろモーツァルト自身の手によって書き上げられた部分は「入祭唱」とそれにつづく「キリエ」のみ。「怒りの日」 「妙なるラッパ」 「みいつの大王」「憶えたまえ」「呪われし者」 「主イエス・キリスト」 「オスティアス」については、声楽パートは残されながらもオーケストラは骨組みのみ。絶筆となった「涙の日」の9小節目以降、「サンクトゥス」「ベネディクトス」 「神の小羊」 「聖体拝領唱」は完全に弟子ジュスマイヤーの創作なのである。

 ジュスマイヤーの補作には不満がないではないけれど「よくぞ完成まで漕ぎつけてくれた」と敬意を表すほかない。バイヤー、ランドンら音楽学者による新版にも美点はあるが、たとえば「涙の日」の補作において声楽家の生理にもっとも忠実なのはジュスマイヤー版であると思われる。

 モーツァルトの書き残した音符がいかに少ないものであったかを耳で確かめたければ、シュペリング備揮ノイエ・オーケストラによるCD(ナイーブ)を聴くとよい。ジュスマイヤー版による全曲演奏とともにモーツァルトによって書かれた部分のみによるフラグメントが収録されている。「涙の日」のためと考えられる僅か16小節のアーメン・フーガを聴くとき、モーツァルトが足を踏み入れようとしていた音楽的宇宙の大きさ、深さを垣間見ることができるだろう。



必然性ある表現


 ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラによる東京ライヴ(グロッサ)は、真実を求めてやまないオーケストラと至純なハーモニーによるコーラスが、モーツァルト晩年の至高の境地を音にしている。ブリュッヘンを安らぎの名盤とするなら、クルレンツィス指揮アンサンブル・ムジカエテルナ盤(アルファ)は刺激的な名演だ。といって何か突飛なことをしているわけでなく、どこをとっても音楽的に必然性のある表現。それを自らの実意識によって極限まで追求した結果が、ほかの誰にも似ていない真の個性となっている。

 以上は古楽器オーケストラによる演奏だが、モダン・オーケストラからはベーム指揮ウィーン・フィル盤(ユニバーサル)も挙げておきたい。昨今の演奏に比べるとテンポも遅く、音の運びも重たいのだが、「入祭唱」における弦の深い哀切の響き、「みいつの大王」における慟哭のような叫びなど、軽量級の演奏には望み得ない真実がここにある。  

 

 

 


 

パルビローリ指揮「マーラー」;交響曲第9番」


歌心と重厚さの溶合



 「88888888.88888888888……。失敗したら八つ裂きの刑に処す。井上道義」

 東海此方のアマチュア・オーケストラが集結した名古屋マーラー音楽祭(2011〜12年)の掉尾を飾る「交響曲第8番」。その稽古をつけよとの特命を謹んでお受けしたときに届いたメールである。

 さて困った。マーラーを振る己が能力の有無はさておき、苦手なマーラーの中でも「千人の交響曲」と呼ばれる「8番」は、もっとも敬遠してきた作品だ。意を決し、2ヵ月間、受験生のようにスゴアと格闘した結果、八つ裂きにされることもなく、「マーラーを好きになる」特典までつくとは何の因果であろう。

 苦手な作曲家とはいえ「9番」はお気に入りだった。理由は単純で、敬愛する朝比奈隆の棒に接んたからである。1983年4月、東京交響楽団定期演奏会がそれで、朝比奈の立派な体格から発せられるエネルギーは尋常でなく、力強くおおらかな音楽に激しく心打たれたことを憶えている。

 レコードとなったのは、その2か月前に行われた大阪フィル定期のライヴ録音(キング)で、基本的な印象は変わらなかった。いま聴いても第4楽章の大河の如き蕩々たる歌には恐れ入るばかりで、低弦の剛毅さも比類ない。心の中の鬱々とした悩みをごっそり掃き出してくれるようなカタルシスがここにある。



喘いでも美しく

 マーラー「9番」への第2の開眼は、今はなき渋谷の小さな輸入CDショップに流れていたパルビローリを聴いたときだ。これが同じ作品だろうか? という衝撃にしばらく身動きができなかったほどである。

 「くよくよする暇があったら、洒でも飲もうや」という豪快な朝比奈流に.対レ、ともに、泣き、苦しみ、喘ぎながらも美しく生きんとする生身のマーラーがそこにあった。トリノRAI管との海賊盤であったが、程なくベルリン・フィルとの更に素晴らしいセッション録音(ワーナー)のあることを知った。



耐える演奏も


 63年の客層指揮に感銘を受けたベルリシ・フィル楽員一同からの熱い要望により、翌年に行われた録音。この企画が実現されたのには、常任指揮者のカラヤンがいまだマーアーをレバートリーとしていなかったことも幸いしただろう。歌心に溢れるパルビローリと重厚にして堅牢なべルリン・フィルのサウンドが合体した稀有の名盤だ。パルビローリ&ベルリンフィルこそ「9番」の終着駅と信じて疑わぬ日々はつづいたが、心境の変化が生じている。マーラーの心の葛藤を共有しながらも、表に出さずじっと耐える演奏により惹かれるようになったのだ。

 筆頭は、アンチェル&チェコフィル盤(ユロムビア)である。66年といえば、チェユ事件により亡命を余儀なくされる2年前の録音。ナチスに妻子の命を奪
れる憤りと悲しみを胸に秘めつつも、アンチェルは自らの演奏に厳しい造型を買いた。ここに聴くチェコ・フィルの演奏能力の高さは、アンチェルのトレーナーとしての高い実力の証明でもある。

 クーペリック&バイエルン放送響盤(ユニバーサル)む外せない。共産化された祖国チェコを去ったクーペリックもまた端正な佇まいの中に狂気と悲しみを秘めた音楽を生み出した人。クーベリツク盤の美点は、第1と第2ヴァイオリンの対向配置にもある。第2ヴァイオリン優位の局面の多い「9番」では、2つのパートが左と右より分離して聴こえてこそ、対話し、調和し、ときに括抗するオーケストレーションの巧みを昧わえるのである。

 ヴァイオリン両翼配置による異形の名演として、クレンベラ一指揮ニュー・フィルハトモニア管(ワーナー)も忘れられない。重厚長大、虚無的にして内に熱き炎を宿す。まるで宇宙を背負うような究極の孤独に胸が圧し潰されるようだ。


    (音楽評論家)

 

 

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