経済教室
謝罪の経済学
社会的費用下げる効果も許し得るには相応の負担
ポイント
相手に本気度示すにはコストを伴う必要
丁寧に謝れば金銭を伴うより高い効果も
米国で謝罪の有効性生かした法律広がる
大竹 文雄 大阪大学教授
毎日のようにだれかが謝罪している映像がテレビで流れている。不良品の出荷や違法行為が発覚して、企業のトップが頭を下げていることが多い。芸能人が不倫をしていたということで、謝罪しただけでなく、CMやテレビ出演をキャンセルされるということもある。政治家がその行動や発言について追及されて謝罪することも頻発している。
謝罪とは、それまでに築かれていたお互いの信頼関係を、故意または過失による行為によって壊してしまった場合に、信頼関係を回復するために行うものだ。謝罪の中には様々なものがある。金銭的な補償を伴うものもあれば、そうでないものもある。政治家や芸能人がテレビで視聴者に向かって謝罪したとしても、視聴者は金銭的な補償を受けるわけではない。言葉だけの謝罪を受けただけで、私たちは信頼を壊してしまった人を許し、信頼関係を取り戻すのだろうか。
金銭的・非金銭的な負担を伴わない謝罪はチーブトークと経済学で呼ばれるもので、もともと関係者の利害が一致する部分があるような場合を除いては、相手に信頼されないと考えられている。理論的には言葉だけの謝罪そのものは効果がないはずなのに、実際には効果的な場合があるのはどうしてだろうか。
米ヴァッサー大学のベンジャミン・ホー准教授は、謝罪が信頼を取り戻すために有効なのは、謝罪する相手に対して金銭的・非金銭的コストを伴う必要があることを理論的に明らかにした。金銭的・非金銭的なコストを伴って謝罪して初めて、人々は本人が本気で謝罪し、行動を改めるということを信頼する。つまり、謝罪が単なるチープトークではだめで、本気の気持ちを示しているというシグナルとして捉えられて初めて、人々はその人を許し、再び信頼してもらえるのだ。
芸能人が何らかの問題をおこして謝罪したあと、テレビ出演をキャンセルしたり、活動を自粛したりするのは、謝罪が本気である証拠として、自分の収入を減らすというコストを払っていると考えられる。人々は、あれだけのコストを払っているのだから、本気で謝罪して行動を改めるのだろうと信頼するのだ。
もし、謝罪しただけであれば、それは本当に反省していないと受け取られてしまう。芸能人が謝罪して活動を自粛したところで、テレビの視聴者は恩恵を受けるわけではない。もし、出演を自粛しない場合は、メディアやネットで大きなバッシングを受けて、人気そのものが大きく低下するだろう。ところが、バッシングする人たちは、その行動によってなんらかの利益を得ているわけではない。
こうした出演自粛にともなう所得の低下やバッシングを受けるという費用を払うことで、謝罪は本人が本当に反省して行動を改めるというシグナルになるのだ。もし、十分な費用をかけて謝罪していない場合、それが人々にわかってしまえば、謝罪の効果がなくなる。誰も得をしないのにもかかわらず、本気の謝罪であることを示すためにコストを支払うのだ。
ビル・クリントン氏は米大統領時代に女性との「不適切な関係」が発覚し、世間から大バッシングを受けた。そこで、クリントン氏はその関係を認めて国民に向けて謝罪すると、好感度は上がった。ただし、クリントン氏は、政治家としてのコストも払ったといわれている。
米スタンフォード大学のラリサ・ティーデンス教授の研究によれば、クリントン氏が関係を認めて謝罪した映像を見た人々は、怒りを示している映像を見た人々よりも、政治家として支持しなかった。つまり、クリントン氏は謝罪することで、政治家としての評価を下げるという大きなコストを払ったので、人々に許されたというのである。
では、費用を伴う謝罪をすれば、許されるかというとそうではない。本気度を示すシグナルとなるためには、相応の費用が必要である。
ネットショップには、店の評価を示す星印が顧客から表示される。この評価の高さは店の売り上げに大きく影響する。店側としては、サービスが不備で低評価をつけた顧客にその評価を取り下げてもらいたい。どのような謝罪をすれば、顧客は評価を取り下げるだろうか。
英オックスフォード大学のヨハネス・アベラー准教授らは、実際のネットショップで出店者側の謝罪の仕方について次のような実験を行った。2007年11月から08年4月に、サービスが悪いことに不満を述べて低評価をつけた顧客632人に対し、3つのタイプのメールを送った。
@「配送が遅れ申し訳ございませんでした。私どもの会社への入荷が遅れたのが原因ではございますが、謝罪致しますので、あなたの低評価を取り下げていただけないでしょうか」という、誠実な謝罪文のみ
A「2・5ユーロ(当時のレートで約400円)振り込みますので、あなたの低評価を取り下げていただけないでしょうか」という連絡
B「5ユーロ(同約800円)振り込みますので、あなたの低評価を取り下げていただけないでしょうか」という連絡
もし、経済合理的な人であれば、800円の振り込み提案の場合が低評価を取り下げる比率が最大になり、次に400円、そして、謝罪文だけの場合が最も少ないはずだ。
しかし、結果はグラフに示されている通り、@の謝罪文のみの場合が最も取り下げ比率が高く、そのつぎはBの800円の支払いで、そして最も低い比率だったのがAの400円のケースだった。丁寧な謝罪文の方が、少額でまともな謝罪がない提案よりも人々は許してくれるのだ。
謝罪の有効性を取り入れた法律が、訴訟大国といわれる米国の各州で施行されている「Sorry Low」、別名「アイムソーリー法」という法律であるご」の法律は、1986年にマサチューセッツ州で初めて施行されてから、2000年ごろから米国各州に広まって、現在36の州で施行されている。
米国では「権利」を主張して、訴訟では何があっても謝ってはならない、謝ったら最後、責任があることを認めた証拠になるという風潮があった。しかし、アイムソーリー法のもとでは、医療事故が起きた場合、「ごめんなさい」と謝ってもそれが訴訟における証拠とはならず、後で訴訟となっても謝ったことが不利にはならないのである。
この法律ができた背景には、「医者は訴訟を恐れて謝罪をさける傾向がある」ということや、「患者は怒りのために訴訟することが多が、その怒りの理屈が、医者が決して謝罪しないこと」というのがあるそうだ。そこで、医療過誤があった時、医者が患
者に謝罪して関係を良くしようという意図があった。
ホー准教授らは、この法律が通る前と後を比較して、謝罪法が通った州では医療過誤の訴訟は、重大な問題の場合、和解までの期間が19〜20%短縮化して、賠償額も減少したことを明らかにしている。謝罪するということは、社会的なコストを下げることにつながっているので、経済学的にみても合理的だといえそうだ。できれば、謝罪するような状況には陥りたくないものだが、そうなった場合には、うまく謝罪するために経済学の知見を利用してほしい。
謝罪の経済学
過誤認めて悪評判を回避
同情の表明は効果乏しく
ポイント
米歌手は「謝罪」の言葉が評判維持に寄与
米国各州で制定法が広がるも内容に差異
関係修復には被害者に評価委ねる必要も
平野 晋 中央大学教授
不祥事が多く取り沙汰されている昨今、企業や組織はいかに行動すべきであろうか。「情報は自由になりたがる」といわれているように、隠し通すことは現実的には難しい。そこで重要になるのが、謝罪の役割である。
今年5月に英マンチェスターのコンサート会場で、爆弾による死傷事件が発生した。そこで公演をしていた米国の人気歌手アリアナ・グランデさんは、「I am so so sorry. I don't have words(アイム・ソーリー。言葉がありません)」と自身のツイッタ一に投稿した。この謝罪はおおむね好感を持って大衆とマスコミに受け入れられたようであった。
人気こそがまさにビジネスの核心であるタレントや有名人にとって、「評判の維持」は大切なテーマである。例え
ばタレントを起用する企業との契約書には、不祥事の際に契約を打ち切れる「モラル条項」が挿入される。グランデさんのツイートは、評判の維持と謝罪の関係性を探る事例かもしれない。
評判の維持は、企業がビジネスを進める上でも重大な関心事である。だがそのことで考えさせられることが、筆者がかかわっている政府の人工知能(AI)システム開発のガイドライン(指針)案を巡る議論の中であった。
AIシステムの開発が生む危険性を極小化し⊃つ、便益を極大化させるための有識者会議で筆者が、AIや、ロボット兵器が人類を脅かす米SF映画「ターミネーター」を引用した発言をした。すると企業側の出席者から「例えが適切でない」との趣旨の強い反発を受けた。
人工物がヒトをしのぐシンギュラリティ(技術的特異点)を懸念する声は多い。また、ロボット兵器に反対する有力な人権団体などはターミネーターなどを例示し⊃つ、AIを用いるロボット兵器の非人間性や制御の不可能性などの欠点を非難している。逆に推進派は、映画と結び付けた悪評判がロボット兵器の推進をいたずらに妨げると非難している。どちらの主張が正しいかは別にして、多くのリスクが懸念されている以上、AIに対する大衆の不安を無視するわけにはいかない。
有識者会議で筆者がお叱りを受けたのも、AIに対する「悪評判」を避けたいという企業の立場があるからであろう。しかしもし将来、本当にAIが暴走したならば、大衆の懸念を無視した立場について企業は、どのような「謝罪」を述べればゆるされるであろうか。「まさかそんな事態になるとは思わなかった」といった「言い訳」に、大衆やマスコミが納得するほど甘くはないであろう。
謝罪については最近、米国の法律学で研究が進んでいる。訴訟沙汰になりそうな事故が生じた場合に米国の弁護士はこれまで、「アイム・ソーリー」のような謝罪を言わないように依頼人を指導してきた。謝罪の言葉は自らの落ち度を認めた「自白」として後日、裁判で不利な証拠となる。だから敵に塩を送るような謝罪を言わせなかったのである。保険約款がしばしば、自発的に責任を引き受ける行為を禁じていや」とも、謝罪の表明を萎縮させているといわれている。
しかし最近では、謝罪を述べた方が訴訟に発展する確率が減り、示談額や賠償額の高額化が抑えられるといった統計データが公表されている。それにつれて弁護士のアドバイスにも変化が生じ、「責任を認めない謝罪」を奨励する向きも見受けられる。
通称「アイムソーリー法」と呼ぼれる制定法も、謝罪を言わない米国社会の変化を象徴する現象の1つである。民事法の大部分を統治する州法において、これまでの原則を曲げて、謝罪にっいては不利な証拠として採用しない特別法を制定させる動きが数多く見受けられるのである。
アイムソーリー法が最初にマサチューセッツ州で成立した契機は、州上院議員の娘が自転車に乗っていたところ、クルマに追突されて死亡した事故であった。将来裁判で不利な証拠になることを理由に、加害者が謝罪の意を表明せず、これが法の成立につながったのである。
もっともその後様々な州で成立したアイムソーリー法は、「不法行為法改革」と呼ばれる、行き過ぎた訴訟を改善する政治運動の影響も受けて内容に差異が生じている。証拠からの排除を医療過誤訴訟にしか認めない州や、自らの過誤を認める謝罪は証拠から排除しない州や、過誤を認める謝罪も証拠から排除する州、さらには両者のいずれに属するのかも不明な法を制定する州まで併存するという混乱が生じている。
過誤を認める謝罪を証拠から排除するかどうかという制定法の違いは、「謝罪」という言葉の意味を再考させるきちかけにもなっている。自らの過誤を認めない謝罪にそも老も意味があるのか、という議論を生んでいるのだ。
ここでグランデさんの謝罪の言葉を思い起こして欲しい。「I am so so
sorry」という彼女のツイートを日本の一部のマスコミは「ごめ
んなさい」と訳した。しかし爆弾事件を引き起こしたのは彼女ではないから、彼女に過誤がない文脈を考慮すれぼ、正しい訳は「お悔やみ申し上げます」などとすべきという指摘もあった。
もっともグランデさんへの返信には「あなたが悪いんじやない」という発言も見受けられたといい、「ごめんなさい」という意味で彼女の「アイム・ソーリー」が受け止められたのかもしれない。いずれの訳が正しかったかはともかく。この事案はそもそも謝罪の言葉が複数の意味を持つ写実を示している。
ひとつは「部分的謝罪」や「同情を表明する謝罪」と言われる社交的な意味である。例えば自分が加害者ではない文脈で知人が害を被った場合に、「お悔やみ申し上げます」「残念です」という意味である。もう一つは「完全謝罪」や「責任を引き受ける謝罪」と言われ、過誤の存在やその責任を認め、これを悔いる良心の呵責を表明する。場合によっては賠償する意思を表明し、再発防止策や再発させない約束も表明する(表参照)。
先のAIシステム開発のように、企業が新しい分野に挑戦すれば、不慮の事態に直面する可能性が出てぐる。そのような時、日米文化の相違などから米国の研究成果をそのまま当てはめるわけにはいかないが、「部分的謝罪」よりも「完全謝罪」の方が、不祥事に直面した日本の企業や組織が悪評判を避けるためには説得的であろう。
そもそも謝罪とは、被害者との関係を修復する手段といわれている。修復のためには被害者からゆるしを得なければならない。ゆるしを得るためには加害者が被害者よりも低い立場に身を置いて、被害者側の評価に身を委ねることも必要だとされている。
これらの指摘は、組織が謝罪する際にも当てはまり、「上から目線」のような、謙虚さを欠く倣慢な態度ではゆるしを得られない。事件発生から遅すぎる謝罪や、マスコミが理解してくれないことに飽き飽きしたような表現や、事件解決よりも他に重要な仕事があるような示唆は、謝罪の効果を減じさせるともいわれている。関係修復のためには何が求められているかを理解した上で、真撃に謝罪をすることが求められるのである。