Deep Insight
ムーアの法則限界の先は
これほど長く、一定の間隔で進化した消費者向けの技術は、他にはないらしい。処理能力が1年半ごとに倍増する「ムーアの法則」に沿って高性能化した半導体だ。
法則の提唱者、ゴードン・ムーア氏らが興した米インテルが、最初のCPU(中央演算処理装置)を発表したのは1971年。英エコノミスト誌によれば、自動車の速度が同じ年から同じペースで進歩を遂げていたら、2015年型の車は時速6億7200万`bに達し、光速の3分の2に迫っていた。ややとっぴな比較だが、車速が変わらない一方で、半導体の演算速度だけが20回以上も画期的進化を繰り返したのは驚異的だ。
だが、限界もついに来た。トランジスタの大きさが原子核のそれに近づくなか、演算の高速化も省電力化も進まなくなった。微細化があと少し可能だとしても「半導体メーカーが開発投資を回収できるだけの性能上の改善はもう期待しにくい」とIHSマークイットの南川明主席アナリストは話す。
では、人工知能(AI)の普及がこれからという時に、コンピューターの進化は止まるのか。
不思議なのは、ムーアの法則が終わろうとする時なのに、株式市場では半導体やIT(情報技術)株ブームが続くことだ。1つは半導体が使われる場所と数が増えているためだろう。世界の半導体の売上高は5月まで6カ月連続で前年同月比2ケタの増加が続く。売り上げ規模はITバブルといわれた90年代末の2倍だ。
主役交代の兆しもある。パソコン用のCPUを長年支配したインテルは今春、米アップルのスマートフォン「1Phone(アイフォーン)」用を独占的に製造する台湾積体電路製造(TSMC)に株式時価総額で追い抜かれた。
そして技術革新だ。さらなる高速化のため、メモリーやCPU間の距離を可能な限り短くして一体的に製造する「3次元化」の技術が普及し始めた。「画像処理半導体(GPU)」というチップも話題だ。大量の数値計算を並列的にさばくのが得意で、AIにディープラーニング(深層学習)をさせる際には不可欠な存在となった。
GPUの最大手はエヌビディアという米国の会社だ。自動運転関連のニュースで最近聞く名前だが、ゲーム機やドローン、スーパーコンピューター向けのGPUでも突出した存在となっている。やはり株の買われ方に市場の期待が表れる。たとえば帳簿上の自己資本と比べ何倍のプレミアム(時価総額)が上乗せされているかを示すPBR(株価純資産倍率)。イテルの2.5倍に対し、エヌビディアは16倍台に達している。
半導体の技術革新は今後、GPUのように用途を特化した高速チップを軸に進むとされる。例えばグーグルも大量のデータを効率的に解析できる「TPU」という高性能チップを開発。囲碁用のAIソフトに活用したり、自動翻訳機能を進歩させたりしている。
フェイスブックやアマゾン・ドット・コム、テスラにも似た動きがある。ITの巨人たちが半導体分野に続々と押し寄せているのは注目すべき事実だ。自動運転やより高次元のクラウドサービス、人の脳とネットを直接つなぐ時代をにらみ、画像、音声、言語認識の技術を半導体のレベルから徹底的に磨き直そうとの戦略だろう。恐らく、「ノイマン型」といわれる現在のコンピューターのあり方自も近い将来、根本的に見直される日が来る可能性が高い。
「AI時代の三種の神器はデータ、処理能力(チップやデータセンター)、そしてそれらを扱える人材だ」とヤフーの安宅和人チーフストラテジーオフィサー(CSO)は指摘する。 だとすれば、あらゆる産業がネットへと吸い寄せられる世界にあって、一段と影響力を増していくのが米IT企業だ。ムーアの法則の終わりはそうした時代の始まりにもなる。
日本企業はそんな変化に備えているか。例えば、安宅氏が経済産業省の審議会で発表した分布図は興味深い。時価総額を縦軸、純利益を横軸にグラフを作り、アップルのいる近辺に直線を引いて企業の位置を比較したものだ。一目瞭然なのは、グーグルの親会社アルファベットやアマゾン、あるいは中国のIT企業は利益がトヨタ自動車より小さいにもかかわらず、市場の評価は高いことだ。
安宅氏は「利益や資産はかつてほど時価絞額を決定づける要因ではなくなった。まだ不確実だが、かなりの確率でそうなると予想できるビジネスチャンスへの期待感の方が重要になった」と話す。重要なのは「新技術とデータを用いて産業の様々な領域を再定義しているかどうか」とも言う。
「ビジネスの勝ちパターンが以前と大きく変わった可能性がある」とみるのは早稲田大ビジネススクールの入山章栄准教授だ。経営学でいう競争戦略の目的の一つは、これまで独占状態を強めるなどして「持続的な競争優位」を構築することにあった。だが、最近のようにイノベーションが頻繁に起き、変化の激しい環境ではそうした戦略も通用しにくくなる。イノベーションそのものが企業の戦略と同義になったといえるのだ。
入山氏はAIのほか、仮想通貨の中核技術のブロックチェーン、最先端の遺伝子診断技術であるバイオインフォマティクスなどが、環境変化を一段と加速させるとみる。時価総額の差は企業の「プレゼンカ」の差ではない。不確実性が高く、変化が激しい時代だからこそ、時価総額の計算式は変わる。半導体を起点に進む変化が示すのもそこである。