経済教室

 

グローバル化を巡る攻防

 

偏りない成長で不安払拭

 

 

。70年代後半以降は中流層には最悪の時期
。米国など英語圏の国々で不平等が顕著に
。公平な成長実現へ経済学者は知見発揮を

B・デロング     カリフォルニア大学 バークレー校教授

 

市場経済の経験を生かせ

 

 

 米ニューヨーク市立大学のブランコ・ミラノゼッチ氏は実質所得の伸びに注目し、1988〜2008年のグローバル経済の成果を示した(図参照)。

世界の所得階層別に実質所得の伸び率を表すグラフは、その形状から「象のチャート」と呼ばれる。このパターンは、ミラノピッチ氏が分析した最近20年間だけでなく、70年代後半から今日に至長い期間にも当てはまる。

 象の尻尾に位置づけられるのは最貧困層だ。公衆衛生面と近代的な通信環境へのアクセスは改善されたが、それ以外は技術進歩が人口増に追い付かない「マルサスのわな」にとらわれていた工業化以前の農民と大して変わらない。

 象の背中に位置づけられるのは飛躍的に豊かになった労働者階級と中流層だ。ここには中国の多くの人々が含まれる。彼らにとって過去40年間は経済が急成長を遂げた最高の時代であり、物質的困窮と貧困の連鎖から解放された。

 象の鼻のてっぺんに位置するのは世界の最富裕層、エリートたちだ。一方、象の鼻の最下点に位置するのはロシア
である。末期を迎えた共産主義とその後の過渡期の混乱により経済は停滞したままだ。

 象の鼻が上向きに曲がり始める箇所に位置するのは経済協力開発機構(OECD)加盟国の上位中流層だ。19世紀半ば以降、経済の繁栄を謳歌してきたが、これらの国の住人、とりわけそこで生まれ育った男性にとって70年代後半以降は最悪の時期となった。

 筆者が師事したベンジャミン・フリードマン米ハーバード大教授は05年時点で、著書「経済成長とモラル」の中で、政府と指導者は公平かつ広範な経済成長の実現に失敗したと警告を発している。この失敗は技術、投資、教育の推進により得られたはずの潜在的な豊かさの多くを台無しにしただけでなく、深刻な政治・社会問題を引き起こした。

 さらに米国で想定される一つの未来図は今後1〜2世代にわたり、労働者層や中流層はおろか上位中流層の所得までが低迷する一方、生産性が伸びればみな富裕層にのみ込まれてしまうシナリオだ。富裕層では、トマ・ピケティ仏パリ経済学校教授が著書「21世紀の資本」で予想したように、相続遺産が大きな割合を占めるようになるだろう。

 ただ、こうした未来になると決まったわけではないし、グローバリゼーションがもたらす必然的な結果だと言うつもりもない。日本や大陸欧州の多くの国は、所得分布の最上位層にみられる圧倒的な不平等を完全とは言わないまでもおおむね緩和できている。

 甚だしい不平等が最も顕著にみられるのは、英語圏の国々(米国および共通言語により米国の労働市場の最上位層とつながっている国々)だ。これに続くのが中東やロシアをはじめとする資源輸出国、さらにその次がグローバルなバリューチェーン(価値の連鎖)に取り込まれた新興国だ。

 欧州での第1次世界大戦の悲劇、20年代の経済混乱とそれに続く大恐慌は社会や政治を突き動かし、やがて世界は正常な判断力を失い、人類史上最も悲惨な時代を迎える。一方、日本の社会・政治・経済システムは昭和初期の恐慌がもたらした打撃に対処できず、国民は長く苦しんだ。

 現在、一部の欧米諸国では不平等拡大に憤りを募らせた有権者が、反グローバリゼーションや移民・少数民族の排斥をうたう政治家(トランプ米大統領、オルパン・ハンガリー首相、ジョンソン前ロンドン市長=現英外相=など)に投票したと報じられる。有権者は、自分たちは貧しくなったのに他人は豊かになったと感じ、自分たちに不利なシステムを覆してくれる政治家を求めているというのだ。

 だがこれは、あまりに短絡的で紋切り型の見方だろう。トランプ氏に投票した有権者は、大統領のぜいたくなライフスタイルに怒っていないようだし、同氏に富が集まっても残念がる様子もない。

 むしろ米有権者の姿勢は、19世紀の仏政治思想家アレクシス・トクヴィルが描写したフランスの自作農の地主貴族に対する態度に似る。すなわち「土地はそれを所有する者にとって、ある意味で同族の証しとなった。年上ほど多くを譲り受け、弟たちは少ししかもらえないにしても、皆が同族意識を持ち、継承した共通の財産を守るという同じ権益を共にした」というのだ。

 つまり指導者も有権者である自分たちと同じく守るべきものがあり、「部外者」からの脅威にさらされているということだ。もっともトランプ大統領の場合は、自分の利益に反する判決を下しかねないメキシコ系の判事という「部外者」からの脅威だ。その一方で、実は有権者の利益を守るとうたう指導者自身が「部外者」かもしれない。というのも、有権者に対するものと同じ脅威から自らの利益を守ろうとする指導者は副作用を引き起こしかねないからだ。

 この視点に立つと、20〜30年代の政治との類似性に行き着く。当時の搾取は、それぞれの国で支配的な資本家階級が労働者階級を抑圧する形でなく、支配的な国家が資本を
持たない民族集団を抑圧する形をとっていた。この支配的な国家とは主に英国、フランズ、米国だ。彼らは資本と工場の大多数を所有し、世界の貿易を牛耳り、広大な植民地帝国を完全に支配していた。

 過去の歴史のパターンになぞらえて考えることが有効だとすれば、世界が直面する危険は極めて大きいと言わねばならない。とはいえ00〜30年代ほどは大きくない。

 当時は経済低迷への不満が募り、自国の労働者たちの利益優先をうたう政治家の台頭を招いた。しかも彼らは、当時の大国の経済・政治・軍事的支配を転覆させない限り、自国民の利益は守れないといぅ枠組みで問題をとらえた。

 これに対し今日では、資本を持たない民族集団の利益保護をうたう政治家は、そうした集団について、権利は主張するがほとんど権力を持たない存在としてとらえている。中東の原理主義者のテロリストと宗教を同じくする近隣に住むイスラム教徒、より良い生活を求めて貧しい国からやって来た移民、寛大すぎる社会保険プログラムの恩恵を受ける異質な人々などだ。この状況では、第2次世界大戦前後の世界的な混迷が繰り返される可能性はあるまい。

 もし過去の歴史のパターンが繰り返されるとしても、そこからは希望の処方箋を読み取れる。くすぶり続ける不安を吹き飛ばすには、長期間でなくても、公平で広範な繁栄、活発な投資、完全雇用に近い雇用水準、偏りのない成長があればよいということだ。

 裏返せば、われわれ経済学者の責任は重い。どのような経済制度や政策が公平な高度成長と低い失業率につながったか、経済学者は過去のパターンを知っている。また地球上の75億の人々の意思決定や相互作用により、様々な経済システムからどのように富が生み出されたか、よく理解している。だから経済学者は十分に分析して、自分が支持する理論やイデオロギー的偏見に惑わされることなく、過去2世紀の市場経済を生きた人々の現実の経験に基づいて結論を下さなければならない。

 そして経済学看でない人たちには、経済学者の提言に耳を傾けてほしい。少なくともイデオロギー色を排除し、理論を支持する根拠を厳しく吟味し、市場経済における経験の蓄積を参照する経済学者の提言を聞いてみてほしい。

 

 

 

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