直言×テクノ新世インタビュー

 

人の弱みつけこむテック企業 哲学者が憂える「副作用」


トロント大のジョセフ・ヒース教授

Joseph Heath 1967年生まれ。規範倫理や商業倫理の研究で知られる。米国で起きたカウンターカルチャーの問題点を分析した「反逆の神話」(共著)は世界的なベストセラーとなった。著書に「啓蒙思想2.0」「資本主義が嫌いな人のための経済学」など。

 

【この記事のポイント】
・熟考の習慣を失った人は非合理的判断に傾きやすい
・客観的なチェックを受けないSNSも理性を崩す存在
・いかにして正気を保つのかが現代社会の最大の課題に

 

ソーシャルメディア、アルゴリズム、そして人工知能(AI)。情報技術は恩恵と同時に様々な問題を社会にもたらしている。テクノロジーと適切に向き合うにはどうすればいいのか。合理的なはずの人間が時として非合理な行動をとるメカニズムを考察してきたカナダ・トロント大学の哲学者ジョセフ・ヒース教授に処方箋を聞いた。

人間ははたして昔より賢くなっているのだろうか。英知が蓄積されてきたはずなのに、過激なポピュリズムや排外主義など良識とはかけ離れた出来事が世界中で起きている。


熟考の習慣失う人々

――人間は理性的な存在であるという前提が近代社会を支えてきた。だがその前提が崩れ、理性の力が退潮しているように感じられる。

「トランプ前米大統領のような政治家が台頭したことや、新型コロナウイルスが広がったときにデマや陰謀論が流布したのをみるに、そう言わざるをえない。人々は理性を用いれば正しい道を歩めると信じ、それを目指してきた。だが残念ながら、その理想が崩れてきている」

「私は20世紀半ば、米国でカウンターカルチャーが勃興した時代に注目してきた。1969年、40万人もの若者らを動員した音楽イベント、ウッドストック・フェスティバルはその象徴だ。反体制を掲げたこのイベントは社会に大きなうねりを生み出した。だが同時に、人間の非合理な側面が姿を現すきっかけにもなった。背後にあったのが資本主義の論理だ」

「わかりやすい例を挙げよう。ロックスターは反体制のメッセージを発することで人々の支持を集める。だが反権力・反資本主義のメッセージが支持を集めるほどに本人が権威化し、資本主義社会の勝者になるという矛盾した構造がある」

ヒース教授は「反体制のメッセージは商業主義と相性がいい」と喝破する=Takako Ida, Kazuhiro Murakami撮影


「企業もまた彼らを利用する。アパレル企業は人気者に自社の製品を身につけてもらいたい。高い宣伝効果が期待できるからだ。人々を熱狂させる反骨のメッセージは商業主義と相性がいい。60年代のカウンターカルチャーは美化されてきたが、理想を何一つ実現できなかった。それどころか、強欲な資本主義を強化するきっかけになった」

――だが社会は成熟し、もはや反体制のポーズに人々が熱狂する時代でもない。あなたが批判する資本主義の構図は変化している。

「いや、変わっていない。いま資本主義を活性化させているのはハイブリッド車やオーガニック食品のような消費財だ。これらは『地球環境にやさしい』と訴えて販売されている。反体制と同様、環境保護という理念も宣伝に利用される。さらにネットがこれを助長する。SNSを通じて人々が自身の消費行動を顕示するからだ。環境配慮型の商品を購入することは今やファッションだ」

「もちろん地球環境保護の取り組みを否定するわけではない。ただ、高邁(こうまい)な理念の背後にはしたたかな資本主義の論理があることを指摘しておきたい」

――だが企業が消費者心理を分析し、利益を追求していくのは悪いことではないはずだ。

「問題は、企業が人間の弱みにつけこむことがあるという点だ。私たちの脳は大量の情報を瞬時に処理できる。だからスマートフォンの画面からとめどなく流れてくる刺激にくぎづけにされてしまう。ここに商機を見いだしたのがビッグテックの企業群だ」

「これらの企業のサービスにうつつを抜かしている間に、貴重な資源である集中力が奪われてしまった。刺激に身を委ねるばかりで熟考の習慣を失った人々は非合理的な判断に傾きやすい。思考停止、他者への攻撃的な態度、そして摩擦と分断。情報技術がもたらしたそうした状況を見るにつけ、今の社会は正気を失っていると思う」

 

ネットは人々をつなぎ、効率的な社会を実現した。だが近年は情報技術の負の面についての論議が増えている。テクノロジーの副作用が無視できない段階に来ている。


「理性に役立つテクノロジー」

――あなたのビッグテック批判は極端ではないだろうか。テクノロジーがもたらした恩恵の方が大きいのではないか。

「テクノロジーは両義的なものだ。社会生活を豊かにもすれば、文明の脅威にもなりうる。では次の例を考えてみよう。ネット上の人間の行動を分析し、操作するアルゴリズムだ」

「動画共有サイトやネットショッピングのサイトは消費者の検索・閲覧履歴を学習し『おすすめ』を繰り出してくる。次々に表示されるコンテンツには中毒性があり、気がつくと見入ってしまう。これを1日に何時間も眺めていたら、人生の長い時間をオンラインで過ごすことになる」

「人間の認知の特性を研究したテック企業は様々な手法を用い、時間や注意力という私たちの貴重な資源を収奪する。だらだらネットを見続けるのがよくないことは誰だってわかっているが、弱点につけこまれあらがえない。まずこの現実に目を向ける必要がある」

 

――SNSはどうか。負の側面がクローズアップされることが増えた。

「SNSも人間の理性を切り崩している。ネットが普及するまでの言論活動は主に活字媒体の上で行われていた。そこにはプロの書き手とプロの編集者がおり、読まれるに値するものを生み出すために多くの時間と労力が投入された。それが言論の質を担保していた」

「だがSNSが普及した現代、人々は自分の考えを直接発信する。X(旧ツイッター)やフェイスブックに編集者は存在せず、客観的なチェックを受けない言説が垂れ流されている。テクノロジーが豊かな言論空間を実現したと言う人もいるが、それは虚妄だ」

――課題があるのはわかる。だが現代人がテクノロジーと縁を切ることはできない。

「だからこそ『人間が理性を行使するのに役立つテクノロジー』を積極的に使っていくべきだ。わかりやすい例として、夜更かしを考えてみよう。私もつい夜更かしをしてしまうが、本当は早く寝たい。そこで自宅にスマートライトを設置した。夜になると照明が自動的に暗くなる。生体リズムに合わせ睡眠を促す仕組みで、体調管理に有用だ。活動量や睡眠の質を測定するデバイスも用い、自分の体調を定量的に把握している」

「これらはごくささいな例かもしれない。だがテクノロジーは自己管理の力を高めうるし、本来そのような目的で使用するものだと実感できる。人間が理性的存在であり続けるためには意志の力に頼ろうとするだけではだめで、望ましい行動に仕向けてくれる環境を整える必要がある。この単純な事実を理解すれば、どのようなテクノロジーと選択的に付き合うべきか分かるはずだ」

――何を使うかだけでなく、何を使わないかも積極的に考えていくべきだということか。

「そうだ。文明がここまで発展したのは、理性を用いて合理的に考える力を私たちが持っていたからだ。だからテクノロジーの不適切な開発と使用によって理性の力が損なわれてしまうことを、私は深く憂慮している」

「人間は素晴らしい合理性を発揮する一方、とんでもない集団的不合理にも陥りやすい存在だ。理性の力を手放さず、いかにして正気を保ち続けるか。それが現代社会の最大の課題だろう。うかうかしていたら民主主義や健全な市場といった社会の礎が崩壊しかねない。そのことを今こそ肝に銘じたい」


社会の基盤が危ない(インタビュアーから)

ビッグテックが私たちの時間と熟考する力を奪っているというヒース氏の指摘には説得力があった。現代の資本主義は成長のためにあらゆるものを利用するが、一定の歯止めをかけないと社会の基盤を切り崩しかねないという意見は重く受け止めたい。
人間の弱みを利用することの問題はビッグテック自身も自覚しているだろう。だから「倫理」がかつてなく厳しく問われるようになった。本来テクノロジーは人間の能力を拡張し、合理的に生きる手助けとなるものだ。だが私たちはそれがもたらす快適な暮らしに溺れ、主体性をなくしてはいないか。「社会は正気を失っている」という指摘が暴論だとは思えない。
ただ、その「正気」をどう取り戻すかは難問だ。「自己管理の力を高めよ」という提言はやや弱いと感じたが、テクノロジーの選択的使用によって理性の力を取り戻せという訴えは厳粛に響いた。

 


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※掲載される投稿は投稿者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解ではありません。


天野彬
電通 電通メディアイノベーションラボ 主任研究員
ひとこと解説

SNSによって顕示的・誇示的な消費活動が増加し、センスの良さや情報感度の高さを見せびらかせるトピックスが商業的にもてはやされがちであるという指摘。まさに私も近著の中で触れた論点ですが、一方で、例えば環境問題ひとつとっても、そのような「ファッション化」を経て興味関心を持つ人々も多く、全員がガチ勢ではないからといって一概に否定はできない面もあると考えます。
後半の議論についても概ね同意で、ユーザーの時間を換金するアテンションエコノミーが浸透することの弊害にどう対処するかが問われています。私たち自身の心がけに加えて、ビジネスモデルやルールメイキングの点での改善がセットで議論される必要があるでしょう。

 

 

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