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お寺は現代の「サードプレイス」 カフェのように穏やかに

 

長野県須坂市にある満龍寺の本堂では子供たちが木魚をたたいたり、ロフトに上ったりして自由に遊ぶ姿も。親も子も思い思いの時間を過ごしている

親子がリラックスして午後のひとときを過ごしたり、会社員が早朝に集まって掃除をしたり、アート作品の展示を見に愛好家が訪れたり。「お寺」が自宅でも職場でもない第3の場所「サードプレイス」として存在感を高めている。身近にある山門をくぐれば、思わぬ気づきや安らぎが得られるかもしれない。

 

寺とアートは、昔から縁が深い

インバウンドであふれかえる5月の京都・祇園。きつい日差しを首元に感じながら、京都最古の禅寺、建仁寺境内にある塔頭(たっちゅう)、両足院を訪ねた。副住職の伊藤東凌さんに半夏生(はんげしょう)が茂る池泉回遊式庭園に面した大書院に通される。もとは僧侶の書斎として、今は瞑想(めいそう)にも使われる静謐(せいひつ)な空間のふすま絵の迫力に引き込まれた。「自然への尊敬や畏怖の念を感じられる作品です」

杉本博司さんの「放電場」について語る建仁寺塔頭・両足院、副住職の伊藤東凌さん。座禅体験会のネット予約など、多くの人が寺に訪れやすい仕組みづくりも進めている(京都市)

現代美術家・杉本博司さんの作品「放電場」だ。闇夜を引き裂く白い稲光を大胆に表現した。古くから、竜は寺で仏教を守り、竜が現れるときに雷が鳴るとされてきた。この作品は寺に竜を呼び込むという見立てのもと制作を依頼した。暗室で発生させた電流をフィルムに焼き付ける「カメラを使わない写真作品」のシリーズで、杉本さんが10年以上前から取り組んでいるものだ。

およそ10年前、杉本さんが展示会に訪れてから交流が始まった。伊藤さんから「文化的な取り組みでご一緒できれば」と持ちかけ、長年の対話を経て2021年、作品を設置した。通常は非公開で、鑑賞できるのは年1回ほどの特別公開時のみ。屈指の現代美術家の作品を間近で見られると、今年3月も枠はすぐに埋まった。

古い禅寺と現代美術の組み合わせは奇異に感じるかもしれない。だが、美術史家で明治学院大学教授の山下裕二さんは「お寺とアートは古くから切り離せない関係だった」と解説する。6世紀半ばの仏教伝来とともに制作が始まった日本の仏教美術は、各地の有力な寺が発信の窓口となった。華美な仏像や障壁画、?風絵などはいわば当時の「現代アート」。それらが寺を飾り、作家は有力な寺に作品を置くのを誉れとした。

たとえば建仁寺の国宝「風神雷神図屏風」は江戸時代初期に俵屋宗達が残したもの。東福寺は南北朝時代から工房を構え、絵師を抱えた。建仁寺は日本画家・小泉淳作の作品展を開くなど今も美術との距離が近い。

両足院の伊藤さんは「仏教の教えを広める言葉には限界がある。言葉を超えるアートの力を借りたい」と話す。人生に行き詰まりを感じたり、悩みを抱えたりしたときでも、寺を訪れることでよりよい方向へ導きたいと考える。静寂のなかで感覚が研ぎ澄まされて現代アートに接すると「五感が刺激され、その先の第六感がよみがえる」。年5回程度開いている作家ごとの現代アートの展示会は新作が中心だ。作家にも座禅などを体験して創作に生かしてもらい、アートとの化学反応を通じた寺の在り方を模索する。

 

アート展示会で誘い、交流の場に

人口減や暮らし方の変化で「お寺離れ」が進むなか、寺と地域のつながりを取り戻そうと思いを凝らす住職もいる。アート作品の展示は多い。

袴田京太朗さんの作品、裸婦像は胴体をつなぐと高さが4b弱もある。輪切りの発泡スチロールなどを積み上げて制作した(東京都小平市の照恩寺)

袴田さんはあえて野菜を隣に置いて違和感を演出したという。「実験的な創作ができるチャンスだと思いました」

東京都小平市にある照恩寺では、本尊の阿弥陀仏を安置する本堂の内陣に、見慣れない物体があった。アクリル板で囲った箱に横たわる軍人の東郷平八郎像。傍らにはなぜか二宮金次郎が背負う「まき」。別部屋では裸婦像の上半身が畳から伸び、下半身は天井と床の間に挟まる。現代彫刻家、袴田京太朗さんの作品だ。

美術館のホワイトキューブではなく、畳敷きの部屋やふすま、仏具がある空間に16点の作品が点在する。袴田さんが「違和感を意識しています」と説明してくれた。「作品を置いてみたら、すごく面白くて手応えを感じた」。見学に訪れた会社員男性に声をかけると「和と正反対のテイストの作品があり楽しい」。寺に出展した経験がある女性作家も「お寺は天気や時間帯によって作品の見え方が変わる。心が落ち着く」という。

本尊を安置する内陣前で、袴田さん(左)と話す照恩寺住職の溝口賢亮さん。「お寺が身近にあることを少しでもアピールしたい」

展示会を定期的に開く「照恩寺アートプロジェクト」は、寺を活性化したいという住職の溝口賢亮さんの思いで18年に始まった。溝口さんが瀬戸内国際芸術祭を訪れ、古民家と現代アートが融合した作品に感動し、照恩寺でも作品を展示したいと考えた。「仏教と現代アートは似ている部分がある。接すると新たな視点を持つことができる点です」。回を重ねるごとに、住民や縁のある作家が交流する場へ発展した。

照恩寺の入り口。看板は親しみやすいデザインで、入りやすくしている

アートは地域に活気を生む。金沢市では9月、市内8つの寺を会場にした展覧会「オテラート金澤」が開かれる。「お寺離れが進んでいたので、なんとかして人を呼びたいと思った」。実行委員長で崇禅寺(そうぜんじ)住職の三香美晋道さんらが市内の寺に呼びかけ、10年に始まった。各寺に作家や学生による絵画や彫刻、映像作品などを展示する。昨年は延べ5千人が訪れ、地域に根付きつつある。14回目を迎える今年、能登半島地震の傷痕はまだ癒えないが、参加の作家らは初回の4倍の約70人を予定する。連携の輪は広がり、今年は曹洞宗など3つの宗派が参加する。

アートで人を引きつけ、目指すのはどんな場所だろうか。「サードプレイス」を掲げている寺は多い。

米国の社会学者レイ・オルデンバーグ氏が1980年代、職場と家庭の行き来だけになっている現代人には第3の居心地のよい空間が必要と提唱した。気軽に立ち寄れ、偶然の出会いや交流が生まれるような場所だ。日本で研究する法政大学大学院政策創造研究科教授、石山恒貴さんは地域のNPOのほか、地元の居酒屋、カフェなどがあると分類する。

では寺はどうだろう。石山さんは「気持ちがいやされ、精神的に解放される。誰もが安心して自由に出入りできるのがお寺という存在だ。多様な人たちを結びつける地域の中核になれる可能性がある」と話す。

 

本堂天井にミラーボール、夜カフェ 寺を身近に

「あっちいくよ」「ママみて」

長野県須坂市の山沿いにある満龍寺の本堂。子供たちの弾む声が響き、長袖Tシャツにニット帽をかぶった高津研志さんが相好を崩す。首にかけた数珠がなければ住職だとすぐにはわからない。

先代の住職らが厨房に入る満龍寺のカフェ。この日はギリシャ料理と角煮定食がメニューにあった(長野県須坂市)

のどかなたたずまいの古寺だが、玄関をくぐると印象は一変した。あちこちにソファがあり、子供が喜びそうな玩具や漫画、本堂の天井にはミラーボール。「キオスク」と呼ぶ部屋では古着や雑貨を販売し、カフェでは母親たちが談笑していた。

「ほとんどがもらい物なんですよ」と高津さん。檀家や知人から不要家具などを引き取るうちに、一般的な寺のイメージからはみ出した。夕方にDJが訪れ、ハウスミュージックなどを流す「夜カフェ」が始まった。

発想の原点は母親の出身地、ドイツにある。寺で生まれ育った高津さんは2010年、ドイツへ留学した。通い詰めたのがベルリンにある「ホルツマルクト」。住民が廃材などでつくる複合施設だ。住居や農園、宿泊施設、保育園、クラブなどがあり、コンサートや美術展、祭りなどを開催する。老若男女が好きなときに来て、思い思いに楽しめる憩いの場だった。気持ちが休まり、ありのままの自分で過ごせるサードプレイスの理想だと感じたという。同時に日本でも同様の空間が必要になると思い、「お寺がこのような場所になれるのではないかと考えた」。

当時の満龍寺は先祖供養やお盆などの期間をのぞいて1年の大半は門を閉じていた。「特に若い人はお寺に足を運びづらかったはず」。帰国後、さっそく寺院内を改装し、裏山で自然や生物のことを高津さんが教える寺子屋などの催しを企画。新月の日に「うつつ」と呼ぶ深夜まで続くイベントを開き、交流サイト(SNS)のインスタグラムから寺やキオスクの様子を発信した。

「気取らないお寺」なら、日常のよりどころになると考えた。こうした試みは悩みを抱える人たちをも受け入れるという、寺の本来の在り方にも通じる。「仏教の考えや哲学を日常に落とし込み、もっと身近にしたい」と檀家と対話し、23年に35歳で父親から住職を引き継いだ。すべては地域とつながり、寺の伝統を守るためだ。原動力を尋ねると「お寺が好きなんですよ」と破顔した。

SNSで見て満龍寺を訪れたという母親は「子供たちも楽しんで遊べてありがたいです」と笑顔で話す

満龍寺は大胆な改革を進められた好例だが、うまくいくところばかりではない。文化庁の宗教年鑑(23年版)によると全国の寺院数は約7万7000。コンビニエンスストアを上回る数だが、住職がいない「無住寺院」も多い。後継者不足などが深刻で経営は苦しい。寄付などが負担となり檀家を辞め、先祖代々の墓を更地にする「墓じまい」も増えている。

かつて寺は地域の核で、何かと多くの人が集まった。江戸時代に全員がどこかの寺の檀家となる「寺請制度」が始まり、厄よけなどの祈祷(きとう)を行い、寺子屋として学校代わりになった。ここまでは難しくとも、寺が人の集うサードプレイスのような姿を取り戻し、心のよりどころになれるのではないか。そんな思いは特に若い僧侶に強く、行動で示し始めた。

 

会社員もふらっと立ち寄れる心の止まり木に

雨がザアザア降る、金曜7時半。墓地越しに東京タワーを望む光明寺(東京・港)の2階を、集まった人たちがホウキや雑巾で掃除している。「サッ、サッ」という床を掃くホウキの音が小気味よいリズムで境内に響く。光明寺で定期的に開く「テンプルモーニング」の一コマだ。「心が洗われたみたい。仕事をがんばろうという気持ちになった」。20代会社員の男性は、出勤前にスーツ姿で立ち寄った。

光明寺の「テンプルモーニング」の様子。常連など10人ほどが参加し、2階部分を掃除した(東京都港区)

呼びかけは僧侶の松本紹圭さん。おだやかな朝は「お寺のゴールデンタイム」だ。僧侶の修行でも重視される掃除という営みを通じて、地域の人々が気兼ねなく集まれる居場所をつくった。本堂でまず皆で読経し、掃除して、茶話会に移る。「雨の音を少し聞いてみましょうか」。松本さんの合図で10人ほどの参加者とともに目を閉じ、瞑想(めいそう)してみた。気持ちが静まり、雨の匂いに気づく。

予約は不要で、ふらっと立ち寄れる。2階の「神谷町オープンテラス」で開く音楽イベントに地域の人も集まる。平日昼は、ランチを持参した近隣の会社員らで席が埋まる。

「寺がある神谷町の景色が変わろうとも、ここに住む人、働く人たちの止まり木として変わらずにありたい」。檀家が近所に多くはなく、昼間人口が多い都心に立地することの意味を松本さんは考えてきた。「お寺がこれからもサードプレイスであり続けるためには、工夫が必要」と話す。

茶話会で参加者に囲まれて話す光明寺の僧侶、松本紹圭さん。質問に答えていると時間はあっという間に過ぎた

全国でも珍しく檀家を持たない京都の清水寺も、地域との接点を大切にする。国内外から訪れる多くの参拝者の受け入れのほかに「寺に何ができるのか基本に立ち返って考える必要がある」と執事の森清顕さんは話す。

23年、寺のある東山地区の「秋まつり」を開始。京都の大学の世界遺産に関する課題発見型の科目に清水寺は参加し、その卒業生を招いた懇親会を開く。「寺がハブとなり、人生の中でみんなが帰ってきてほっとできる場所になれたらいい。懇親会でつながりができて、2組が結婚しました」と森さんの表情が和む。

取材した寺に集まる地域の人たちは多くが常連で、我が家のようにくつろいでいた。僧侶と同じ空間で過ごすうちに「また来たい」という気持ちになった。久しぶりに近所のお寺に行ってみようかな、と考えながら山門を後にした。

 

 

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