グローバルオピニオン
経済学者と政治家の論争
ジャック・アタリ氏 元欧州復興開発銀行総裁
太古から「自分は真実を知っている」と力説する者は、「私が実践する」と主張する者と言い争ってきた。ヨーロッパでは、1919年にマックス・ヴェーバー氏がミュンヘンで行った講演内容をまとめた「職業としての政治」が出版されて以来、こうした言い争いが特に経済や政治の分野で激しくなってきた。
Jacques Attali 仏国立行政学院卒。経済学者。1981?91年、ミッテラン大統領の特別顧問。91?93年、欧州復興開発銀行(EBRD)の初代総裁を務めた。
今日、気候変動、人工知能(AI)、人口動態、女性の社会的地位、移民の受け入れだけでなく、経済の分野では市場、公共サービス、歳出、税、外資への市場開放をめぐる政策について、世界の経済学者と政治家は連日のように論争を繰り広げている。こうした論争は、米国、日本、中国、アルゼンチン、イタリア、最近ではフランスでも起こっている。
「自分は真実を知っている」と力説する者は、確たる事実、疑う余地がない真理や理論を唱える。これこそが学者の使命であり、過去にはこの使命を全うするために命を落とした者もいた。彼らは、自分たちが見出した法則や定理を政治家に説いてきた。競争促進や独占禁止、国境開放、財政赤字の上限設定、化石燃料の使用に対する課税強化、イノベーションによる雇用創出などが一例だ。
「私が実践する」と主張する者は、民主的に選ばれた者であれ、独裁者であれ、自分は支配者だから思い通りの決定を下すことができると考えている。自分が打ち出す政策は、経済、環境、科学に基づく法則と称するものに縛られるべきではないと信じている。だからこそ、彼らは国境閉鎖、国有化・民営化、化石燃料の生産認可、労働者の社会的権利、表現の自由の制限などについて、何のためらいもなく実践する。
だが政治家だけでなく学者にも問題がある。
その理由は学者には様々な考えの持ち主が存在することだ。従って、政治家は自分の考えに賛同してくれる学者を容易に見つけ出すことができる。事実、均衡予算の順守、為替変動、公共サービスの民営化などを推奨する新自由主義の経済学者と、正反対の考えを持つケインズ派の経済学者が唱える政策には共通点がない。学者の間では、環境対策、テクノロジー、地政学などに関する分野でも対立が散見される。
政治家が自身の見解を押し付けようとすることにも問題がある。現実的な制約を無視すると、主な管理手段である市場や財源などに影響を及ぼすためだ。政治家は注意深く対処しないと、強烈なしっぺ返しを食らう。2008年の米国金融機関のパニックに続き、欧州ではユーロ危機に波及した。最近では一部の政治家が気候変動対策を否定し、市場の要求を無視し債務を膨張させている。
政治家はしばしば債務によって予算を確保する。債務に頼るのは資金の貸し手、要するに国の将来の担い手に負担を背負わせることを意味する。このような矛盾を解決するためには危機を包括的に捉える必要がある。現在の社会を理解するには経済学だけでなく、社会科学からもヒントを得なければならない。特に自然科学は重要だ。国の状況を分析する際には、すべての学問から導き出せる変数と視点を用いるべきだ。
3つの原則が大切だ。1つめは証拠に基づかない主張はしない。言い換えると根拠のない決定はしない。2つめは外国の成功事例を念頭に置き、その教訓を自国の状況にいかす。3つめは様々な制約があるなかで、何が可能かを常に国民と対話する。長期的な行動計画を絶えず話し合うのだ。
これらの原則の適用こそが健全な民主主義の基盤である。世界各地で危機が勃発しているなかで、人類の英知を結集させることが平和、経済成長、人類の存続をつかさどるカギとなるはずだ。
SDGsに危うさ
欧州議会選挙やフランス総選挙での極右勢力の躍進を憂いているのだろう。短期的な解決策を叫ぶ極右は実行力があるかにみえるが、その政策は科学的根拠や長期の視点に乏しい。アタリ氏は4月に会った時も「次世代に禍根を残す化石燃料などの利用を見直さなければならない」と繰り返し、持続可能な経済社会への移行の必要性を強く訴えていた。
2015年に国連加盟国が全会一致で採択した持続可能な開発目標(SDGs)は風前のともしびだ。30年の達成に向けて取り組みが軌道に乗っているのは全体のわずか16%にとどまる。特に食料の安全保障や生物多様性の保全、土地利用に関わる項目で進捗が大幅に遅れており、世界でなお7億人が飢餓にさらされている。
ますます内向き志向を強めようとする主要国が国際協力を怠れば、途上国では気候変動による食料不安や水不足が深刻になり、それが新たな紛争や大量の移民を生みかねない。国際的なサプライチェーン(供給網)に頼る日本人だからこそ、世界の動きには目を凝らしたい。