石丸伸二「論破芸」魅了される若者に伝えたいこと


恥をかかせる行為を安易に鵜呑みにする危うさ


城戸 譲 : ネットメディア研究家・コラムニスト・炎上ウォッチャー

 

現職の小池百合子氏が3選を果たした東京都知事選挙だが、元参院議員の蓮舫氏を上回る「2位」となった、前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏に注目が集まっている。各社の情勢調査によると、蓮舫氏より支持を集めた理由は、10代から20代を中心とした若年層の支持を集めたためとみられる。

石丸氏の支持層を厚くしたのは、YouTubeの「切り抜き動画」をはじめとする、SNSでの露出度とされている。筆者はネットメディア編集者として十数年、ずっとSNSの流行を見てきた。また、昨年の統一地方選挙に出馬して、恥ずかしながら落選した経験もある。

ネットと選挙、そのどちらも当事者として見てきた立場からすると、今回の「石丸フィーバー」は、人によって落とし穴に陥る可能性があると感じる。「わかっていて、あえて選んでいる」なら別なのだが、安易に乗っかると不安に思えるのだ。

 

都知事選初出馬で166万票を獲得

石丸氏は、今回の知事選において、大躍進とも言える成果を残した。現職の小池氏が圧倒的優位と言われる中で、市長1期目の途中ながら立候補表明。その後、元行政刷新相で、民進党代表も務めたことのある蓮舫氏が、参院議員を辞して出馬すると会見を行い、主要メディアにおける「構図」が固まっていった。

当初は「小池vs蓮舫の一騎打ち」との予測もあり、石丸氏をはじめとする他候補は「3位争い」と位置づけられていたが、いざ投票箱があくと、小池氏の約292万票(得票率42.8%)には及ばないものの、蓮舫氏の約128万票(18.8%)を超え、石丸氏は約166万票(24.3%)を記録した。

しかし多くの有権者は、都知事選で初めて、石丸氏の存在を知ったのではないか。なんなら開票速報で、「蓮舫氏を超える得票だ」と報じられて、ようやく認識した人も少なくないだろう。そこで改めて、石丸氏の経歴を振り返ってみよう。

石丸氏の公式サイトによると、1982年生まれで、2006年に京都大学経済学部を卒業し、三菱UFJ銀行へ入行した。アナリストとして、アメリカ・ニューヨーク赴任を経て、2020年に広島県安芸高田市長に就任した、との略歴が書かれている。

 

広島県内は当時、前年に起きた元法務大臣とその妻の公職選挙法違反事件で揺れていた。前任の安芸高田市長は、広島県議時代に金銭を受け取ったとして、就任わずか3カ月で辞任しており、石丸氏は前副市長との一騎打ちを制して、2020年8月に37歳で当選した。

 

「ネット時代の政治家」の代名詞

ここまでの説明だけだと、「Uターンしたエリートが、地元再生に動いた」といった印象は抱いても、そこから4年で「蓮舫打破」にまで至るとは思わないだろう。しかし、都知事選へと続く、石丸氏の「地盤」の礎は、就任翌月には作られていた。

2020年9月、「居眠り」していた市議について、ツイッター(現在のX)で言及したことをきっかけに、石丸氏はSNSを中心に注目を集めるようになる。2022年6月には、議員定数削減案を提出した際に、議会に向けて「恥を知れ、恥を!?……という声が上がってもおかしくない」と声を上げたことから、さらなる話題に。

議会中継の「切り抜き動画」がYouTubeに拡散され、石丸氏は一躍「ネット時代の政治家」の代名詞となったのだ。

議会との対決姿勢を示す首長は、別に目新しくはない。しかし、石丸氏はスマホ時代にうまく適合した。時代の寵児として、新興ネットメディアに取材され、そのインタビューが拡散されることにより、さらに支持層は厚くなっていく。そして行き着いたのが、都知事選への参戦だ。

有名実業家からの支援も受け、都内各地で「ツアー」と銘打った街頭演説を連日行う。筆者も選挙戦中盤にあたる某日夕方、吉祥寺駅前(武蔵野市)での演説を見たが、北口ロータリーが大勢の人に包まれていて、事前の予想を大きく超える支持になっていると感じた。

そして迎えた投開票日、「小池vs蓮舫の一騎打ち」といった予想を裏切り、2位に食い込む。小池氏に当選確実が出た後、石丸氏は国政転身も「選択肢としては当然考えます」として、今後の野心を見せた。そんな石丸氏だが、投票が締め切られた直後から、評価がわかれ始めている。

フォーマット化している会話

いまSNS上では、「石丸構文」なるフレーズが話題になっている。小泉進次郎元環境相が言いそうなフレーズを組み立てる「進次郎構文」になぞらえて、都知事選の開票特番でコメンテーターらと交わされた会話が、ひとつのフォーマットと化しているのだ。

その典型が、日本テレビの中継で、社会学者の古市憲寿氏と行われた会話だ。石丸氏が批判する「政治屋」と、石丸氏自身の違いについて、古市氏が質問すると、「堂々めぐりになっている」「同じ質問を繰り返している」「もう一回言えってことですか??さっき言ったばかりですよ」などと返答。ほどなく、中継は時間いっぱいになってしまった。

TBSの中継では、JX通信社・米重克洋氏が「善戦したと受け止めているか」と質問したところ、笑みを浮かべながら「なんという愚問ですか。選挙に出る以上、一番上を目指さなくて、どうするんですか。アントニオ猪木に怒られますよ。負けることを考えるバカはいないって」と返答。フジテレビの中継では、元乃木坂46の山崎怜奈さんの質問を「前提のくだりがまったく正しくない」と断じて、同様に注目された。

これらの動画が拡散されるにつれ、SNSではパロディー化した「石丸構文」が拡散されている。飲食店での店員と客のやりとりなど、定義をめぐって「かみ合わない」様子をコミカルに描いた内容で、どちらかというと皮肉が利いている。

選挙から数日で、早くもコンテンツとして消費されつつある「石丸構文」だが、こうした受け答えは、市長時代から都知事選までの間、彼にとっての原動力になっていた。議会切り抜き動画を見て、「旧態依然としたものを断じて、スカッとした」と感じた無党派層が、停滞する日本社会を切り開くリーダーとして思いを託したのも、それなりに理解できる。

とはいえ、石丸氏の言動を真に受けることには、「危険性」も多分にある。いや、そもそも石丸氏に限らず、どんな政治家の言葉でも、無条件で信用することは、非常にリスクが大きい。

立候補者の多くは、当選を目的としているが、任期が終わる4年後には、大抵の公約は忘れられている。言動不一致を指摘されても、「情勢が変わった」と言い逃れできる。つまり、悲しいことではあるが、「政治家は平気でウソをつく」と認識しておいたほうがいいのだ(なお、政治家がウソをつくことを、筆者が許容しているという意味ではない)。

そこに「強い言葉」の功罪が加わる。仮想敵を打ち出して、対立構図を示した演説は、ときに聴衆を魅了するが、後に禍根が残りやすい。また「傷つかない笑い」を求めるような層には、さらなる反発が起きる。

「小池都政のリセット」を掲げた蓮舫陣営の支持が広がらず、事前の知名度がほぼ皆無だった、AIエンジニアの安野たかひろ氏(5位、約15万票)が急進したのも、こうした背景があると考えている。

こと石丸氏の場合には、「旧態依然とした議会」や「紋切り型のマスメディア」を仮想敵に位置づけているように感じられる。この2つへの敵対心が根底にあると考えれば、安芸高田市議会や開票速報での言動にも、それなりに一貫性を感じられるだろう。

 

若年層の精神的支柱はSNS

コロナ禍を境に、SNS上では「ネットにこそ真実がある」という言説が定着しつつある。こうした考えは、ときに年配層などを陰謀論に巻き込むが、若年層では「生きる術」として精神的支柱になっているように思える。

ネット上でしか報じられないのは、なにかしらの意味がある。マスメディアにとって、距離的や金銭的、人材的な理由から取材が難しいとしても、支持者からすれば「メディアにとって都合が悪いから報じられない」と感じてしまう。今回の都知事選で言えば、7位の作家・ひまそらあかね氏(約11万票)については、こういった疑念からの言及が相次いでいた。

そんな既存メディアへの不信感を打破する手段として、SNS世代を中心に、「論破」に期待している人は多い。「2ちゃんねる」創設者のひろゆき氏が人気な理由にも共通するだろう。石丸氏のように強い言葉で切り返し、質問者を窮地に追い込む様子を見て、カッコイイと憧れる人もいるはずだ。都知事選で無党派層を掘り起こしたことと無関係ではないだろう。

 

重要なのは「どこに着地するか」

ここまで書いてきたように、「ベテラン議員や既存メディアは、決まり切った質問ばかり繰り返す」という前提のもと、冷笑をまじえつつ、質問に質問で返すスタイルは、まさに石丸氏の政治的原動力になっていたと感じられる。

なお石丸氏は安芸高田市長時代にも、地元マスコミと舌戦を繰り広げる場面は多々あったが、ほとんど全国ニュースとしては取り上げられなかった。それはおそらく「都合が悪いから」ではなく、「全国1700以上いる市区町村長のひとり」ではニュースバリューが乏しかったからだ。マスメディアの判断基準には、都知事選の「主要候補」しかり、不明瞭なところも多々あるが、この点については理解の余地がある。

都知事選と同じ日に行われた、安芸高田市長選挙では、石丸市政からの転換を訴える候補者が当選した。議会への対決姿勢が「対立を生む」と地元で受け入れられなくなり、メディアへの対決姿勢が「構文」として、エンタメ消費されつつある現状を、石丸氏はいかに乗り切るのだろう。

スカッとした言動は、一服の清涼剤になるが、重要なのは「どこに着地するか」だ。対話を重ねて、時にかけひきをしながら、合意形成をしていき、最終的に「住民の生活」へと落とし込む。それこそが政治であり、リーダーシップではないだろうか。議論はプロセスに過ぎず、また論破はゴールではない。

老婆心ながら、筆者が若者に「安易に鵜呑みにすると危険だ」と警鐘を鳴らすのは、そうした勘違いを招く恐れがあるからだ。政治家と向き合い、清き一票を投じる際には、「そのコミュニケーションが、痛快なだけでなく、中長期的に市民生活の向上につながるのか?」と考えるようにしたいものだ。

 

 

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