経済教室
第4次産業革命と知的財産
特許制度の抜本的見直しを
相澤 英孝 一橋大学教授
。特許制度が18世紀の産業革命を支えた
。従来の特許権は基本的に「モノ」を保護
。日本は知財保護の弊害を強調しすぎる
ソフト、正面から保護せよ
現在、人工知能(AI)の重要性が盛んに報道され、社会の隅々までIT(情報技術)が入り込むIT社会の実現という社会変革が起きている。この流れは第4次産業革命ともいわれている。
現代のテクノロジーの源流ともいうべき18世紀の産業革命を振り返ると、この革命を支えた特許制度の果たした役割が想起される。
ノーベル経済学賞受賞者のダグラス・ノースによれば、中世の経済的停滞を打破する制度的基盤となったのは、所有権に象徴される財産制度である。その一翼をなす知的財産制度は、産業革命において技術革新の基礎となった。これからの第4次産業革命において、その重要性はさらに大きく、未来を左石する。
新しい社会では、自動運転車に代表されるように、製造業とIT産業とが融合し、産業は変化する。このことは、産業発展を目的とする知的財産制度にも変化を求める。
特許制度は、18世紀の産業革命の成果である蒸気機関など機械の発明を保護する制度として設計された。その理論的基礎には、サイエンス(科学)としての熱力学は保護せず、テクノロジーとしての蒸気機関は保護するという、サイエンスとテクノロジーの二分があった。
技術革新で、サイエンスとテクノロジーの区別は曖昧になり、ITを巡る状況は説明しがたいものとなっている。それは、数学を特許制度の保護対象としない19世紀ドイツのドグマ(教条)に由来している。
ITの初期の発展は、20世紀後半のコンピューターというハードウエア扱術を基礎としてきた。特許制度では、ハードウエアを機械として保護してきたが、技術の中心がソフトウエアへと移行するにしたがって、制度としての課題が顕在化することとなった。ソフトウエアの本質はアルゴリズム(算法)にあるにもかかわらず、ハードウエアであるコンピューター関連発明としてソフトウエアを特許の保護対象とする法技術が採用された。そのため、制度の混乱が顕在化している。
20世紀は、自動車や航空機に代表される「モノ」の革新の時代と評することができる。世紀末のIT社会の誕生は「モノ」の時代の終わりの始まりとなった。世紀を越えて、進化は加速し、モノを超えた差別化戦略が成長のカギとなることが明らかとなった。
この傾向は、消費者向け製品に関して著しい。米アップルの成功は、製品の機能よりも、ユーザーの志向に合わせた製品開発が企業の成功の基礎となることを示している。
この製品戦略からの利益を保障するのは、その製品を差別化して保護するための知的財産に関する戦略である。アップルは、製品を差別化する知的財産戦略を構築することで利益を獲得している。そこでは、自ら開発した技術の特許権などを取得して保護を得るばかりではなく、技術開発の成果を有効に保護するために、第三者からも特許権などを取得して、知的財産のポートフォリオ(組み合わせ)を確立する戦略を取っている。
第4次産業革命では、あらゆる技術を融合させ、ユーザーのニーズに適合した製品やサービスを事業化することが求められる。自動運転車では、センサーから道路情報、他車や歩行者の情報などを処理して、機能的に操縦する必要があり、そのシステムの特許制度などによる保護が自動車製造の未来を決める。
ビッグデータといわれる大量の情報を、AIなどを利用して処理することにより、第4次産業革命を生き抜く企業になれる。そこでは、情報処理の核となるソフトウエアに関連する知的財産が最も重要となり、そのポートフォリオが企業の未来を形成する。もちろん、ビジネスではブランディングも重要であり、そのための商標権や不正競争防止法上の権利への戦略も忘れてはならない。
国家経済は企業の成長の鏡である。企業の成長なくして経済成長はありえない。企業が成長するための環境整備をするのは国家の役割である。技術の発展と経済のグローパル化に対応して、国家の戦略も変化させていかなければならない。そこでは、モノへのノスタルジーを脱却した国家戦略が求められる。
知的財産戦略本部や経済産業省で、第4次産業革命に向けて知的財産制度の検討が始められることは時宜を得たものといえる。問題は、その方向性である。
これまでも、情報処理の流れであるシステムそのものは差別化の源泉であったものの、十分認識されているとはいえない。特許権によるシステムの保護の遅れは、AIなどの現代技術の開発や実用化への投資の阻害要因ともなりかねない。
知的財産の意義が大きくなるとともに、市場支配への影響を懸念する声もある。しかしながら、ノーベル経済学賞受賞者のゲーリー・ベッカーは、カルテルを伴わない特許権による市場独占は経済に与える悪影響が小さく(企業活動を制限する独占禁止法を適用すべきではないとしている。
日本では、技術的に遅れた国だった時代の負のイメージからか、特許権に対する警戒的な空気が産業界にも法学界にも強く、弱い特許権の時代が続いている。そのため、日本企業でも、日本での特許侵害訴訟を避け、米国やドイツでの訴訟を選択する状況になっている。それでもなお、米国のパテントトロール(特許権を購入して行使することによる利益を追求する企業)に
よる弊害が強調されることも少なくない。だが、米国における近年の成長をみれば、特許権を消極的にとらえる政策を見直し、積極的な側面に注目して、政策を転換していかなければならない。
グローバル化した社会においては、情報の国際的な流通を踏まえた制度設計がなされなければならない。営業秘密は、グローバルに情報が流通もている現代社会においては限定されたものにすぎない。
米コカ・コーラの成功は、コーラの製法が営業秘密として保護されたためだといわれる。しかし営業秘密のみによって現在の地歩を得たわけではない。背景にブランディングがあることを忘れてはならない。
今こそ、産業革命を育んだ特許制度を見直すべき好機である。ソフトウエアを正面から特許の保護の対象として認めることにより、AIを含めた現代技術を特許制度に取り込むことができる。さらに、日本の制度の改善を起点として、環太平洋経済連携協定(TPP)後も見据えた国際交渉により、国際的なスタンダードとすることで、世界凝済の成長からの利益を享受することができる。
知的財産先進国である米国では、特許保護に対してやや揺り戻しが起きている。それをみて、改革を躊蹄(ちゅうちょ)する声もあるが、米国の制度は日本のはるか前方にいる。いまこそ、日本は積極的な政策によってその距離を締めて、第4次産業革命の基礎的制度とする必要がある。
民事法学界では2000年以上昔のローマ法が重視される。歴史の重要性を否定するものではないが、現在の我が国には、石橋をたたいて渡る余裕はなく、過去の頚木(くびき)にとらわれない政策の速やかな決定が求められている。大胆な改革を期待してやまない。