願わくば花のもとにて
村山 由佳
今年の桜の頃に、父を見送った。
正しくは、見送ることができなかった。母が認知症になり施設に入ってからというもの、自分の身の回りのことすべてを独りでしていた父は、最期の瞬間さえ誰にも見せることなく独りで逝ってしまった。大正生まれのシベリア帰り、91年の生涯。最後の最期まで、潔いひとだった。
口 田 口
ふだんなら、南房総の実家を訪ねる際には前もって連絡をするのだけれど、その日はたまたま、父に黙って車で向かっていた。報せてしまうと父は、こちらが運転している途中で何度も電話をしてきては、「今、どのへんですか」と訊くのだ。じりじりと待たせてしまうよりは、急に訪れてびっくりさせようと思った。
実家まで30分ほどのホームセンターから初めて電話をかけた。つながらないので、きっとまた外で日向ぼっこでもしているのだろうと思い、少し移動して近くのスーパーマーケットからもう一度電話を入れた。やはり、誰も出ない。携帯も固定電話も、延々と鳴り続けるだけだ。
とてつもなく嫌な予感がした。そんなことは初めてだった。胸の動博をなだめながら車を飛ばし、実家が見えてきて、その入口の桜のつぼみがようやくほころび始めているのを見上げた時、ふっと、(もしかしてこれから毎年春が来るたび、こんなたまらない思いで桜を見上げることになるのだろうか)
そんな思いが脳裏をよぎったのを覚えている。
後からの調べでわかったことだけれど、父が倒れて亡くなったのは、私が実家に駆けつけるほんの2時間ほど前だったそうだ。脳幹出血は一瞬のことで、おそらく苦しむ暇もなかったほどだろうと、ふだんからお世話になっていた主治医の先生は言った。それだけがせめてもの慰めだった。
あれもしてあげればよかった、これもしてあげればよかった、あんなことを言うのではなかった。何より、今日行くということを先に伝えていればよかった。そうすればせめて、娘が来るのを楽しみにしながら逝けたのに。
後悔を数えあげれば、どこまでもきりがない。
それでも・・・まるで自己弁護のようだけれど、こんなふうにも思うのだ。生きている間にどれだけのことをしていたとしても、やっぱり後悔というものは残るものなのだろうし、だとしたらせいいっぱい、良い思い出のほうを数えたほうがいい。昔からシニカルな冗談が好きだった父のことだ、泣くよりは笑って思い出してもらいたいだろう。
「きっと、お父さんがあなたを呼んだんだよ」
会うひと誰もが、私に言った。そうかもしれない。お正月からずっと会えていなかったのに、たまたまその日、東京からそのまま実家へ足をのばした。そうでなかったら父はあのまま、2時間よりもっと長いこと独りきりで寂しい思いをしていたかもしれないのだ。
口 田 口
葬儀には、施設のスタッフの方に頼んで、車椅子の母も連れてきて頂いた。長年連れ添った夫のお葬式だということがわからない母は、みんなが自分のために集まってくれたのだと思って上機嫌だった。
棺の蓋を閉める間際、車椅子をそばに寄せると、中を覗き込んだ母はのんびりとした口調で言った。
「これ、誰や? え、お父ちゃん? そうか、せっかく寝たはんねやったら、起こしたげるわけにもいかんわなあ」
そのとたん・・・こらえ続けていた涙が溢れて止まらなくなった。いつのまにかずいぶん小さくなってしまった母に顔を寄せて、私は泣いた。
「ほんまやな、お母ちゃん、ほんまにその通りや。お父ちゃん、ゆっくり寝かしといたげよなあ」
正直なところ、私は母の良い娘ではなかったし、母もまた、娘にとって良い母親とは言えなかった。幼い頃から彼女の言葉にどれほど傷つき心を損なわれてきたかを思い返すたび、今でも胸が苦しくなるほどだ。
それなのにまさか、最愛の父を見送る段になって、この母の言葉に救われようとは思いもよらなかった。
おそらくその瞬間、私と母は、互いに生まれて初めて素直に心を重ねることができたのだろうと思う。
かの西行法師も言っていた通り、桜の季節というのは人が亡くなるにはいちばんいい季節なのかもしれない。毎年必ず、花とともにせつなく思い起こしてもらえるわけだから。
あのとき実家の庭でほころび始めていた桜はとうに散り、私の暮らす軽井沢の桜も咲いては散って、父がこの世の住人でなくなってから早くもふた月ほどが過ぎようとしている。
口 田 口
不思議なもので、南房総と信州とに離れて暮らしていた頃よりも、この世とあの世に分かれてしまった今のほうがずっと、父のことを身近に感じる。時々、「お父ちゃんに電話」などと思っては、ああもう居ないんだった、と気づかされてぼんやりすることはあるにせよ、だんだんとそれにも慣れてゆくのだろう。
不思議、といえば、母に対する感情も変わった気がする。過去のすべてを水に流せたと言えば嘘になるけれど、彼女のことを以前よりもなんだか可愛らしく思うようになった。
変わったことはもっとある。父の飼っていた大きな猫をそのまま連れて帰ってきたので、我が家の猫が一匹増えて全部で五匹になった。それから、日々の新しい習慣もできた。父が最も男前に撮れている写真の前に、毎朝、コーヒーと煙草を供えるのだ。
「吸いすぎは健康に悪いし、一本だけにしとき」
と、お線香がわりに火をつけて煙草を手向けるたび、父がいつも気にかけていた母のことを思いだす。
今の〆切が明けたら、この男前の写真を携えて、南房総の施設まで会いに行くつもりでいる。
もしかすると母もまた、この世にいた頃の父よりも今の父とのほうが、ちゃんと話が通じるかもしれないのだから。