中外時評

 

反知性主義と「教養」の回路

 



 岩波文庫が今年で創刊90年を迎えるそうだ。昭和の初めに漱石の「こころ」や露伴の「五重塔」でスタートし、以後戦争をはさんで世に出た古今東西の典籍はじつに累計6000点にのぼる――。

 などと書くと岩波書店の宣伝めくのだが、この文庫はたしかにある時期まで「教養」の象徴であった。読書によって人格を陶冶し、社会の改良に貢献するという教養主義が生き残っていた1970年ごろまでの物語である。

 「教養主義の別名は岩波文庫主義でもあった」と社会学者の竹内洋氏は「教養主義の没落」に書いている。大学時代には岩波文庫を何冊読むかを、自分の教養の目安にしたものだという。

 いま、そういう若者はどれだけいよう。教養主義など上から目線の、鼻持ちならぬ独善と見なされる昨今だ。岩波文庫なんか手にしたことがない学生も多いだろう。全国大学生活協同組合連合会の調査によれば、そもそも学生のうち半分は本というものをまったく読まないという。

 インターネットで誰もが自由に発信でき、好みの情報を手軽に入手できる時代に、この傾向は強まる一方である。好きなように、好きな世界を眺める。インテリの世話にはならない……。いわゆる反知性主義の風が吹くなかで「教養」はいかにも分が悪い。

 「知的な生き方およびそれを代表するとされる人びとにたいする憤りと疑惑」。米国の歴史家、R・ホーフスタッターはかつて「反知性主義」をこう定義した(田村哲夫訳「アメリカの反知性主義」)。知性自体への反発というより、権威化した知性への嫌悪感が募っているのは、いまの日本にも通じるだろう。

 ところが、そういう反知性主義的なメンタリティーが、教養への憧憧と表裏一体だった時代もあるという。立命館大の福間良明教授が近著「『働く青年』と教養の戦後史」で展開する説だ。

 福間教授が注目するのは、戦後まもないころ、義務教育を終えて働く若者を対象に発刊された「人生雑誌」だ。49年創刊の「葦」や52年に刊行が始まった「人生手帖」など、いま完全に歴史の闇に埋もれたメディアである。

 進学の夢はかなえられず、自己実現の道が閉ざされた若者がたくさんいた時代。こうした雑誌では、読者の手記などで「人はどう生きるべきか」を問うた。そこに漂っていたのは、自己省察と教養を重んじる価値観だ。

 「手記を読み込むと、知識層への嫌悪感の強さがわかる」と福間教授は言う。「しかし、だからといって知的なものを否定するのではなく、インテリが独占している知性へ自分たちを接近させよと迫っている。反知性主義的知性主義といってもいい」

 この思考回路は同時期のサークル文化運動や、戦前の長野県などでの自由大学運動と似た面がある。知識層への反発が、ときには大衆レベルでの新たな「知」の探求を生む可能性を示している。それは現代にも示唆的である。

 ネット空間には、じつにさまざまな「話」が飛び交っている。そのほとんどは落書き、あるいは私的なメモだ。しかし、思わず膝を打つような「論」に出合うこともある。交流サイト(SNS)でやり取りされる会話にも、ときに鋭い「知」はにじむ。

 人は実利と享楽だけで生きるのではない。岩波文庫を何冊読んだかを競う時代は過ぎ去った。しかし広い意味での教養が光を失わないのは、ネット空間に岩波的数養が健在なのを見ればわかる。漱石も露伴も、ずいぶん手軽に読めるのである。それを心の成長の糧にできるなら、教養主義再生の道は開けよう。

 とはいえ、インテリへの「憤りと疑惑」の行方は定かではない。それがポピュリズムや偏狭なナショナリズムに回収されていくとすれば残念なことである。そう導こうとする為政者が少なくない現実があるのは、周知のことだ。

 往年の人生雑誌に色濃い教養志向は「青年たちの『鬱屈』が駆動力だった」と福間教授は指摘する。時代は変わったが、少なからぬ人々に「鬱屈」は宿っている。可能性と、危うさとを秘めつつ。

 

 

 

 

もどる