背中を見せる教育
法隆寺管長 大野 玄妙
我々が子供の時分は、親の背中を見て育った。子供には細かいことまで「ああしろ」「こうするな」といちいち指図せず、親が自らの背中で、行動で教えてやるのが一番だ。だが今の時代は様々な理由で子供に背中を見せられない親がいる。教師にも同じことがいえる。不祥事が多くお手本になれないということもままある。もう一つ、我々が子供の時分は、近所のおじさんによく怒られた。善も悪も社会全体で子供に教育した。これらの面で、今の大人には少し欠けている部分がおるのではないか。
背景には戦後の道徳教育がある。価値観が多様化し道徳を巡る考え方も様々ではあるが、戦争に負けたことで、戦前の価値観と共にかつての社会的な常識や良識がアレルギー反応のように否否定されるようになった。でも残すべきものも多かったはずだ。さらに大家族制が壊れて核家族が広がり、今まで守ってきたものがどんどん失われつつある。社会の連帯、先祖の墓、古里の祭りやお盆、お彼岸といった行事などだ。
お盆になるたびに新聞やテレビで帰郷のための駅や空港の混雑ぶりが紹介される。だがなんのためにお盆に古里に帰るのかは顧みられなくなってはいまいか。本来はご先祖を供養して親に恩返しをするためだ。また秋になると各地で祭りがにぎわう。これも元は秋の豊作を皆で喜び、土地のご先祖がたと喜びをわかちあう行事だが、ともすればそういった意味は忘れられがちだ。
昔は賢い人といえば社会をよく認識・理解して動く人を指し、単に学問が優れている人、勉強ができる人とは区別した。今の教育はそんなことを忘れ、学力や経営を最優先させているような気がしてならない。