文化

また一つの文化が・・・


水村美苗


 去年の今ごろである。

 知らない女の人から昼に電話がかかってきた。

 「あのう、お宅に何かご不要になったものは、おありでしょうか。古い着物とか帯とか」

 受話器を片手に立った私は、息を呑んだ。ゴミ袋の中身を見られてしまったのだろうか・・・。昨日もー昨日も、マンションの共有のごみ置き場に、綿の肌襦袢や裾回しのみなず、長襦袢、さらには着物や帯まで、そうっと捨てたのだった。
 狼狙してはいけない。

私は平静を装い、どうしてこの電話番号を知ったかと問い質した。すると○○という高級品の買い取り業者で、片端から電話をしている、もし該当する品物があるなら、明日にでも引き取りにくると言う。品の良い、年のいった女の人である。

 「どうぞ、ネットで弊社のことをお調べください」

 彼女はつけ加えた。

 「私どもは毛皮は扱っておりませんが」

 目に浮かんだのは、母の死後、溜息まじりに捨てた毛皮のコートである。少しはお金になりそうな毛皮には用がなく、今や段ボール一箱が只同然で売買される古い着物や帯を査定して引き取ってくれるとは……。


  ロ ロ ロ

 神の助けか、と感極まった私は、泣かんばかりに、ここ数週間母の着物の整理をしようとしていたこと、狭いリビングルームが足の踏み場もなくなっていること、自分は着なくとも捨てるには忍びない着物や帯をどうしようかと途方に暮れていたことなどを訴えた。 女は同情した声で相槌を打っている。翌日の昼頃に査定に来るのが決まった後、女は言った。

 「貴金属も、あれば出しておいてください」 ハハハ、ご冗談を、そんなものはもっておりません、と笑って電話を切ってから、○○のホームページを開き、少し疑問に思いネットで色々調べるうちに、騙されたのがわかっていった。家にやって来るのは、おっかない男たちで、着物云々は口実でしかない。しつこく居座り、想像外の成り行きにぼうっとしている「老女」を相手に、貴金属を法外に安い値段で「押し買い」して消えていくのが手口だという。

 そうか、私は老女か。

 知らない人を家に入れてはいけないと、夫が申しまして、と殊勝な老女よろしく断りの電話を入れた後さらにネットで検索を続けた。女の電話があったのも、ちょ古ど母の着物を着たり脱いだりしている最中のことで、ユニクロのヒートテックの上に長襦袢という、妙な格好のままである。

 そんな格好でどれぐらい机に向かっていただろう。世の中は女の人たちの悲憤な叫びで溢れていた。いったいぜんたいどう「母が遺した着物」を処分したらいいのかと。

 人と深い連帯感を感じるような瞬間は、人生でそう頻繁に訪れるものではない。だがその晩は、日本列島の津々浦々で、着物の山を前に途方に暮れているであろう数知れぬ女の人たちと、深い連帯感を感じていた。のみならず、彼女らと共に、歴史の大きな節目を生きているのを感じていた。


   ロ ロ ロ

 着物文化の終焉である。日本の誰もがわかっていることではある。だがその晩の認識には、一千年の時の流れを一瞬にして天から望んだような、自分を離れた、決定的なものがあった。

 どの文化にもその文化の核をなす慣わしや物がいくつかある。例えばカトリック文化なら日曜のミサ。インドのシク教徒なら男たちが頭に巻くターバン。それと同じく、日本文化の核をなすものの一つに着物があった。

 着物とは単に着るものではない。母が死んで遺品整理をした時、洋服は捨てられたのに、着物は整理できないまま7年の歳月が流れた。しかもいざ整理をし始めれば、あるいは鏡の前に立って身体に巻きつけ、あるいは膝をついて鯨尺を片手に桁や袂の長さを測り、心乱れるだけであった。思えばその事実だけで、いかに着物が過剰な意味を担ったモノだかわかるべきであった。


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 『源氏物語』から、『細雪』に至るまで、そもそも日本語そのものが、着物と共に息づいていた。日本人の季節感も着物によってより細かい襞を与えられた。老若、生業、貴賤も着物が決めた。重要な財産であるだけでなく、貴重な布でもあり、その命が尽きるまで、ほどいては縫い合わされ、端切れのその端切れまで大事にされた。そこには着ていた人の命も宿り、男も女も着物を胸に押し抱いて思い人を恋うた。

 男の着物は、散切り頭が流行った時を境に、一足早く廃れていったが、女の着物はちがう。敗戦後、日常着としては廃れたといえども、高度成長で豊かになるにつれ、昔は無縁だった絹物を庶民がこぞって買うようになったのである。昭和30年代は、一人当たりの着物の数が一番多かった時代だといわれている。年齢、地方、階層などによって差はあるだろうが、今、着物を前に途方に暮れている女の人たちは、自分の母親が懐と相談しながら一枚一枚と箪笥を肥やしていったのを見て育った世代である。

 人は自分が生きている歴史をふつう知ることはない。だが「母が遺した着物」は、私たちが一つの文化の終わりを生きているのを教えてくれる。

 あの電話から一年。

 残すものは残し、丸洗いをして新しい畳紙に入れた。取り出すと伽羅が匂い立つが、悲しく懐かしく思うのは母の姿ではない。悲しく懐かしく思うのは、自分の記憶にはない時代ーー日本中誰もが着物を着ていてあたりまえだった時代である。

 歴史の容赦のない流れの中で、今、また一つの文化が消えてしまった。

 

 

 

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