日本、生産性向上は遠い道
働き方改革は安倍晋三首相が「腕まくりをして取り組む」最優先の課題だ。首相は「アベノミクスの第三の矢、構造改革の柱だ」と
語っている。働き方のどこをどう変えるのか。政府は欧州を引き合いに、いくつかの目標を掲げた。
例えば正社員の6割にとどまっている非正規社員の時間給を7〜8割に高め、その差を「欧州諸国に遜色ない水準」に縮める。週に49時間以上働く人が「日本は2割、欧州は1割」という現状も問題視している。
欧州をひとつの理想型ととらえているのがわかる。ただ一口に欧州といっても働き方は国によって差がある。北欧と南欧、西側の国とソ連領や共産圏だった国。統計の平均値をかざして欧州並みにというだけでは、いささか乱暴だ。
デンマークは総人口570万。兵庫県と同じ規模の小国だ。国連と米コロンビア大による「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク」が今年3月に出した報告書によると、国民の幸せ度が世界一だという。
幸せという主観的な概念を数値化して推し量るやり方に疑問を感じないでもないが、1人当たり国内総生産や健康寿命とともに「人生の選択肢の多さ」が高得点という評価には、うなずかされるものがある。多様な選択肢は働き方にどう表れるのか。企業を訪ねた。
コペンハーゲン近郊に本社工場を置くチョコレートメーカー、トムズグループは常時1200人の社員を抱えている。イースターやクリスマス休暇前の繁忙期は、さらに700人を臨時に雇う。期間社員は日本なら非正規にあたる。
ピア・ファブリシアス人事担当取締役によると、賃金水準を定めた労使間の取り決めは個々人ではなく仕事に対するもの。常勤社員も期間社員も仕事の中身が同じなら時間給は変わらない。期間社員という選択が不利にならない仕組みだ。
長時間労働はどうか。残業の制限がときに事業拡大の妨げになることがあるのではと聞くと「その質問には驚いた」。欧州連合(EU)の規制にのっとり、週48時間を超えては働かせないという。仕事の効率や成果を損なうような疲れが出る境目が48時間という調査結果が根拠になっている。
コペンハーゲン中央駅を望むチポリ公園は、19世紀半ばから続くテーマパークだ。営業期間は1年のうち夏と秋、クリスマス休暇7ヵ月間。昨年の入場者数
は470万人だった。常時働く人は750人。繁忙期は2000人に増やす。
対人サービス業は、日本では一般に残業時間が長いほうだが、チポリは残業なしが原則。ドーテ・ディーネセン人事本部長は「残業社員への割増賃金の支払いは会社にとって人件費増に直結する。従業員にとっては仕事と生活のバランスを崩す」と説明し「残業しなければ片付けられない仕事はない」とつけ加えた。
社員を働かせすぎて健康を害すれぼ、ツケは会社に回ってくるという考えが浸透しているようだ。
デンマークの雇用制度は失業手当と職業訓練が充実している半面、「企業は基本的に自由に社員を解雇できる」 (山田久ほか『北欧モデル』)。解雇時は労使の取り決めに従って会社が解決金を払う。業績変動や仕事の繁閑に社員の増減で対応しやすいのは正規・非正規の賃金差ゼロに加え、労使一体で整えた離職安全網の支えがあるからだ。
日本は解雇時の金銭補償ルールが曖昧だ。その明確化は働き方改革のメニューに見当たらないが、注目してよい先例が欧州にある。ユーロ危機のあおりで長期の経済停滞に直面したイタリアだ。昨年、レンツィ政権は失業手当の充実と解雇規制の緩和をセットで取り入れた。北欧型へめ傾斜である。
勤続年数が長い社員には解雇時の解決金を割り増しする。当時、ボッコーニ大教授として政権への助言役をつとめたティート・ボエリ国立社会保障機構理事長は「結果として若者の雇用が増えた」と振り返る。
日本で解決金制度の導入に反対しているのは、解雇時の負担が増える可能性がある中小企業と解雇の乱用を危ぶむ労組団体だ。「紛争解決手段の多様化とともに、解決金の水準がわかっていることで解雇される側の予測可能性が高まる」(鶴光太郎『人材覚醒経済』)という制度の利点を再確認してもよかろう。
日本人の働き方の非効率さを示す指標のひとつが時間当たり労働生産性だ。経済協力開発機構(OECDO)加盟34カ国中で21位。上位10ヵ国のうち9ヵ国は欧州勢である。日本より労働時間が長いイタリアも生産性は上位に位置する。
日本の労働時間は34ヵ国平均を下回る。それには労働時間が短めな非正規社員の増加が寄与している。生産性ランキングが低位から抜け出せないのは、労働時間が長い正社員の非効率さの表れだとも解釈できる。
取材を通じて感じたのは正規と非正規の違いを理解してもらう難しさである。常勤と非常勤、フルタイムとパート、無期雇用と有期雇用という分類はあっても「正式な社員」 「そうでない社員」という区分は、欧州企業にとって想定外だ。
安倍首相は「非正規という語を日本から一掃する」と宣言した。見事に本質を突いているが、非効率な正社員を増やすようでは本と末が逆さまだ。理想型への道のりは遠い。