子供の「なぜ」と格闘 無着成恭さんに聞く

 


質問しない国は滅びる


考えること教えねば

 答える方も分からない。だから面白かった!

 TBSラジオの「全国こども電話相談室」の名物回答者として知られた無着成恭さん(89)。最後の放送からまもなく20年になる。今はどこに、と探すと、何と地獄のど真ん中に住んでいた。大分県別府市の鉄輪温泉。5年前から暮らす高齢者用マンションは「地獄」が噴き出す湯けむりに包まれるように立っていた。

 無着先生、どうして別府に。 「周りは地獄だらけだからここを選んだんだ。近くには『坊主地獄』というのもあるので、私にはぴったり。死んでしまって、楽になるのを『極楽』というけど、極楽より地獄の方が面白いんだよ。なぜかって。いろんな人がいるし、いい面も悪い面も見えるから。極楽は楽しそうだけど、善人ばかりだから本当はつまんないんだよ。はっはっはー」

 ラジオから聞こえた東北なまりと軽妙な受け答えは今も健在だった。

 1927年、山形県内の寺に長男として生まれた。上京し大学で僧侶になる勉強をするつもりでいたが、激しさを増す空襲で断念。地元の師範学校を卒業し、終戦3年後に郷里に近い中学校で教師生活を始めた。極貧の環境で暮らす生徒との交流から生まれた文集「山びこ学校」(51年刊行)は当時ベストセラーとなった。

 「今も時々読み返すけど、よくまああんな貧乏生活が我慢できたなと感心しますね。家の手伝いのために学校に通えない生徒がいるし、読み書きが十分できないのもいる。そんな子供たちが素直な『なぜ?』を投げかけてくるんです。『秋になるとどうしてイチョウは黄色に、紅葉は赤になるの』と聞かれると、こちらも思わず首をひねり、子供たちと一緒に考えた。なぜ貧乏に苦しまなければならないの。なぜ働いてもお金がたまらないの。自分の生活を徹底的に見つめて、次から次に疑問を持ち、そして必死に考えた。『山びこ学校』には貧しい生活の中から生まれた素朴な疑問や発見が詰まっていたんです。だから、あの時代に広く読まれたのだと思います」

 子供の疑問に正面から向き合う姿勢は64年に始まった「電話相談室」でも変わらなかった。「白や黒や黄色や、工場の煙はなぜ色が違うんですか」が最初の質問だったという。

 「これには困った。見たことないから、川崎市まで行くと、こんなに色が違うのかと自分自身がびっくりした。『おっぱいにはいくつ穴があるんですか』という質問もあった。これも分からない。『宿題だ』ということにしておいて、胸のマッサージの専門家に聞きに行った。そしたら乳腺の数は18の人もいるけど、22の人もいるという。だから『平均したら20ぐらいでしょう』と答えたんだ。簡単に答えられない質問はなぜか私のところに回ってきたから一生懸命考えたけど、そんなのの方が楽しかった」


 最初から答えが分かっているのは質問じゃない


 機知に富んだ受け答えが人気を呼び、長寿番組に。ところが、子供たちの質問の中身が次第に変わっていったという。

 「『先生、バブルってなんですか』と聞かれて、『ビールを勢いよく注ぐと泡だらけになるだろう。その泡が消えないうちに売って大もうけをすることだよ』と答えた。そのこからですね。身近で感じた素朴な疑問が減り、子供があまり『分からない』と言わなくなったんだな。『山びこ学校』のころよりはるかに豊かになったかわりに、子供が家の中で労働を担うことが少なくなった。本当はその体験から『どうして』という疑問が生まれるんだけど、時代の変化といえばいいのかな。回答者としてはすぐに答えられない質問の方が面白いのに、答えられる質問しかしなくなった」

 「今ではパソコンやスマートフォンをいじくれば、答えがばっと出てくると思っている。どんな質問でも答えがあると思っているけど、最初から答えが分かっているのは質問じゃないですね。こうなったのは子供のせいばかりじゃないです。大人が大事なことを教えられなくなったからです。大人が答えなくなったから子供が質問をしなくなった。教師だって誰かがあらかじめ用意した答えをそのまま信じていて、考えるということを教えない。子供が『どうして?』と質問をしないような国は滅ぶしかないでしょうね」

 教育者であると同時に、曹洞宗の僧侶でもある。30年以上務めたラジオの回答者を退いた後は、千葉県多古町の福泉寺、大分県国東市の泉福寺で住職を歴任。別府市に引っ越してきたのは、妻のときさんが足を痛め寝たきりになったから。今はマンションの一室で介護の日々を送っている。

 「こんな生活になるとは、予想もしていなかった。今はおふたりさま。夫婦でどちらか倒れると大変ですよ。でも、1人は動けるのだから、動ける方がそばにいてやらないと。後になってこうすればよかった、ああすればよかったと思うのはバカですね。死ぬ間際になって後悔するのは、それこそ地獄行きだぁ。はっはっはー」


 


温泉街、毎朝散歩1時間


ユーモアある語り口健在

 無著さんの朝は早い。5時にはマンションを出て歩き始める。はき慣れたランニングシューズで、「地獄」を巡るコースを1時間。雨の日以外は欠かさない日課だ。「別府では講演もしないし、朝の散歩以外はほとんど外出しないから、地元の人は私のことなど知らないんじゃないかなあ」

 自宅に戻るとすぐに奥さんの介護を始める。そして時間ができればマンションの図書室へ。無著さんは、本を管理する図書室係を引き受けている。これまでに数多くの書籍を送り出してきたが、図書室には自分の本はほとんどない。「無着っていうぐらいだから、執着がなくって。実はあまり手元に残ってないんですよ」1981年刊行の「おっぱい教育論」も長らく絶版だったが今冬、どう出版(相模原市)が復刊する。編集担当者は「知識とは、教育とはがユーモアあふれる語り口でつづられている。今の時代にこそ読んではしい」と話す。

 

むちゃく・せいきょう 教育者、僧侶。1927年山形県生まれ。48年、山形師範学校を卒業し同県山元村(現上山市)の中学校に教師として赴任。文集「山びこ学校」を51年に刊行。TBSラジオ「全国こども電話相談室」の回答者を64年から30年以上務める。千葉県多古町などの寺の住職を務め、現在は大分県別府市在住。