人類を越えた未来図



能力を拡張 使い方で格差も


 人工知能(AI)は人類の能力・知性を2045年にも追い抜くと予測されている。既に囲碁や将棋では人知を超え始めた。我々にとってどういう意味があるのだろうか。人、企業、国家の未来はどうなるのだろう。

 「情報技術は人間の限界を助ける」。シンギュラリティーを予言した米発明家レイ・カーツワイル氏はこの秋来日し、講演でこう語った。

 数万年前にはもう言語を使っていたときれる人類だが、急激な経済発展を手にしたのはクリストファー・コロンブスの新大陸到達より少し前のl5世紀半ばだ。ヨハネス・グーテンベルクの活版印刷が「限界」を壊し、記憶に頼ってきた人類は記録する文化を飛躍的に発展させた。

 「情報」からみた世界史は「平等化」の道のりだったといわれる。活版印刷は聖書の写本を不要にする一方、欧州に「均質な商業空間」を形成していく。商人たちが自身の成功物語やビジネスのノウハウを記した「商人の手引き」、世界で取引される商品や価格をまとめた「価格表」を各地で印刷し始め、一部の国や有力者による貿易の独占を崩した。

 腕木通信→電信→電話→インターネット。欧州とその延長としての米国はその後も発明を進化させ、経済発展の先頭を走る。だが、電話やインターネットの登場は「均質空間」を世界に広げた。欧州・米国とその他世界の「情報の非対称性」は次第に滞れ、情報に「平等な時代」が地球のすみずみにまでほぼ広がったのが、今だ。

 では、AIの時代はどうか。情報の平等性、公開性は変わらない。だが、情報を大量に保有したり、解析・活用したりする能力が機械の方に偏在するようになるのは確実だろう。チェスや将棋、囲碁がいい例だ。ビッグデータ解析から必勝の手を何億通りと覚え込まされたコンピューターは、人間の頭脳をはるかに超える正確さと速度で「正解」を導く。シンギュラリティーとはそういう時代である。

 人類はAIに対して非対称性にさらされ続ける。ではどうすればいいか。情報史に詳しい京都産業大の玉木俊明教授は「情報にはインフォメーションとインテリジェンスの2種類があり、人間は一段と後者(判断力)で生きていく。教育のあり方は抜本的に問い直される」と話す。

 経済も変わる。囲碁など特定の用途にとどまらず、あらゆる面で人間を超える「汎用AI」。その開発が現在、日本やチェコで進む。両国の開発団体、会社はホームページ上で2030年ごろの実用化をうたう。
 成功すれば、人間がしきた仕事のかなりの部分が機械で置き換え可能になる。駒沢大の井上智洋講師は「機械が人間の雇用を著しく奪うようだと、(政府が最低限の生活を送るのに必要なお金を無条件で定期支給する)ベーシックインカムの導入が必要になる」とみる。

 AI活用の巧拙で人と人、企業と企業、国と国の差が鮮明になる。井上氏はこれを「AIデバイド(格差)」と呼ぶ。平等をもたらすはずの技術の進化だが、人類はその意味を再度見つめ直す局面に来ている。

 


人間とは何か AI通じ問う


 映画や文学、演劇は人工知能(AI)をどう描いてきたのだろうか。

 機械が限りなく人間に近づくと考えられた20世紀初頭。チェコの作家カレル・チャペックは、1920年に書いた戯曲の中で、人間に代わって働く機械である人造人間「ロボット」が、人間に反逆するという物語を作った。以降、様々な形のロボットが表現される。

 古典SF「メトロポリス」(26年)では、都市を混乱に陥れる金属製の邪悪なロボット「マリア」が登場した。西暦2000年代の未来都市が舞台で、光り輝く金属のボディーを持っていた。

人間を脅かす存在として強い印象を残したのが、映画と小説になった「2001年宇宙の旅」 (68年)だ。惑星探査船の頭脳と神経であるコンピューター「HAL(ハル)」が、人間の心まで読みとる能力を身につける。やがて乗員の生命を奪うなどの反乱を起こす。

 一転して、人間の敵として娯楽大作の題材になるのは80年代に入ってからだ。代表作は映画「ターミネーター」(84年)だろう。

 人工知能スカイネットが指揮する機械軍によって人類は絶滅の危機を迎えるが、抵抗軍の指導者である主人公が中心になって反撃する。登場するロボットは非常に暴力的な存在だった。

 21世紀に入ると、人類との共生がテーマに浮上する。愛情を持たされた少年型ロボットが母親の愛を求めて旅をする「A.T.」 (01)。最愛の兄を事故で亡くした少年の前に、兄が生前に作ったロボットが現れて絆をはぐくんでいくアニメ「ベイマックス」(14)だ。

 AIを搭載したロボットが人間からの愛を求めたり友情を育んだりと、パートナーとして描かれる。知的で感情を持つAIが引き起こす様々な出来事を通して「人間らしさとは何かを問いかける。

 日本では昔から共生をテーマにした内容が多かった。AIを搭載したロボット「鉄腕アトム」や「ドラえもん」が代表例だ。実際のロボットにもそれは見て取れる。ソニーの家庭用ペットロボット「AIBO」、ソフトバンクのヒト型ロボット「Pepper」など、伴侶型ロボットが目立っている。

 

 

45年、人は「第2の脳」を手に

 人工知能(AI)という言葉が産声を上げたのは1956年。人に似た判断や学習ができる。米国のジョン・マッカーシー博士はそんな可能性を信じ「AI」と名付けた。

 AI研究にはいくつかの大きなブームがある。最初はAIという言葉が生まれた直後から60年代だ。迷路やパズルをクリアする探索や推論が技術の中心だった。プログラマーが組み立てた通りにコンピューターが処理する単純なもので、応用範囲が狭いということがわかり収束した。

 次は80年代。「エキスパーートシステム」と呼ぶAIが流行した。人が大量のデータを与え、その中から答えを導き出す。「専門家(エキスパート)を代行できる」と期待されて名付けられた。日本の通商産業省(現経済産業省)は500億円以上をっぎ込んだが、初めての問題には対応できず、うまくいかなかった。

 そして第3次。2012年、カナダのトロント大学のジェフリー・ヒントン教授らのチームが、自ら学習を繰り返すディープラーニング(深層学習)を活用。画像認識コンテストで優勝し、爆発的なブームとなった。今年3月、大量の棋譜を学習した米グーグルの「アルファ碁」が世界トップクラスの囲碁棋士を破った。

 発明家で米グーグル在籍のレイ・カーツワイル氏は、AIが人の知性を上回る「シンギュラリティー」が45年に来ると予想した。そうなれば「我々の脳をスキャンして作った第2の脳がよりスマートに考え長生きする。人類の知能は拡充し文明は新段階に入る」と予測している。

 明るい未来ばかりではない。多くの国でAIを軍事に生かす動きが広がっている。自動で敵を攻撃する飛行機やロボットなどの開発が進む。

 AI兵器を使えば自国の負傷者を減らせるという主張がある一方、戦争への抵抗感が薄れて戦争を引き起こしやすくなるとの見方もある。コストが比較的安いことからテロリストへの拡散を心配する声も強い。

 

 

2045年 私はこう見る

 

 

日立製作所社長 東原敏昭氏

経営判断 最後は人間

 

 経営面ではAIはチェック機能として働くだろう。ある経営の数字が出た際、過去の事例から経営が悪化する可能性があると警告を発することができる。AIの思考は人間より深く広い。ただ最終的に決めるのは人間の直感だ。Alは知識や処理能力では人間を超えるかもしれないが経営者に取って代わるとは思わない。

 高齢化や人口減が進む日本で経済発展にはAIが有用だ。例えばコールセンターで契約を多く取るにはどうしたらいいか。オペレーターが昼休みに会話が弾んだ時などに契約餅増えることをAIが教えてくれる。

 怖い面もある。2045年にはサイバー空間と実世界の差がなくなるだろう。虚像と実像を認識できる能力を身に付けなければ、何を信じたらいいのか分からなくなる。亡くなった人をバーチャルで再現するのは技術的に可能だが、開発は許されるのか。倫理観が求められる。

 


パラリンピックランナー 高桑早生氏

ともに生きる「相棒」に


 2040年代のパラリンピックは種目によってはオリンピックに近い競技レベルでみられるのではないか。現場では自分の体や動き、レースの組み立て方を分析する取り組みは始まっている。AIを使えば選手の強化につながる。

 義肢のなかにAIが組み込まれれば面白い。私は義足を自分の体というより、ともに生きる「相棒」として考えているが、知能を持って「もっとこういう風に立つといい」と言ってくれればいい。義足が自律的に思考するというのも、日常生活を送るうえではありだと思う。部品自体が考えてくれれば、義足のユーザーらはもっと生活しやすくなるかもしれない。

 ただ、自分の体を積極的に機械へ交換するような未来はしばらく来ないのではないか。私は自分の体を一部失っている分、体に愛着や執着を持っているので、そういった考えには反対な面もある。

 


光明寺僧侶 松本紹圭氏

死の意味合い変わる


 AIの発展で社会が大きく変わるからこそ、長く続いてきた伝統的な宗教が注目されると思う。宗教にとって新しい技術の進歩は自らの存在価値を問い直す契機になる。宗教が新技術の恩恵を受けるのはおかしいことではない。仏教でAIはタブーではないはずだ。

 AIは死生観を変えるかもしれない。人間は自分の死については永遠に経験できず、他者を通じて死を感じる。脳のデータをAlに学習させれば、亡くなった人とうりふたつの存在ができる可能性がある。新たな思い出も作りうる。他者の死についての意味合いが変わり、ある意味で「人が死ねない時代」になるかもしれない。

 仏教の認識は基本的に「諸行無常」であり世の中は常に変わりゆくと考える。AIによる死生観の変化については否定も肯定もしない。死生観が変わったとしても人生が思い通りにならない「苦」は変わらない。



Alで東大合格目指す 新井紀子氏

機械と働くモデルを


 日本の人口が減ることを前提に、人と機械(AI)が一緒に働けるモデルを設計できたら競争力になる。2025年までにはつくりたい。これからホワイトカラーの仕事に機械が入ってくる。機械が働きやすい環境を整えることも重要になる。その際、労働者にきちんと家族を養える賃金を払い続けられるかが課題だ。

 人手が多い国はこういう技術には関心がないだろう。インドや中国がそうだ。国外から安い労働力が集まっているドイツもそう。日本がどうしても外国人を国内に入れたくないのであれば、一番おしりに火が付いている状態といえる。

 AIで東京大学の合格を目指すプロジェクトを始めたのも、未来がどんな社会になるかをみえやすくする意味がある。AIが東大に入るのをみれば、日本人は「ああ、AIはこうやって使うのか」とわかってくると思う。企業もそうだろう。

 

 

シンガポール投資家 ジム・ロジャーズ氏

私はまだ負けない

 AIは進化しており、私を超えることだってできるだろうが、今はまだだ。AIが人知を超えたら投資はAIに任せる。AIの方が賢ければ、人が競う意味はない。多くの人は働く必要がなくなり、ビーチで寝るか、スポーツに精を出すか、ギリシャの哲学者のように読書や議論に明け暮れる知的生活を送る。

 だれが優れたコンピューターを開発し、保有するかが競争力を決める。中国が優位だ。教育水準が高く、人口が多いため優秀なエンジニアを数多く輩出できる。人口が既に減少している日本や、教育水準が下がっている欧米諸国には無理だ。

 AIが進化すれば証券ブローカーや清算処理の仕事は消える。世界各地の市場へのアクセスが容易になる。だが、バラ色の世界に一足飛びに進むとは思えない。危機に陥ったら2008年の世界金融危機よりずっと深刻だろう。この問題を解決するAIは発明されていない。

 


                                                                                                                     
仏哲学 者ジャンガブリエル・ガナシア氏

「AIが自主性持つ」は幻想

 AIが人間の仕事を奪うのか。この種の疑問は昔からある。1920年代にチェコの作家によって「ロボット」という言葉が生み出だされてからだ。人間は働かなくなって威厳を失い、、ロボットは威厳を手に入れ人間を滅ぼそうとする。この心配は今でも続いている。

 少し前に今後30年以内にAIで50%の雇用が失われると予言した科学者がいるが、同時に新たな雇用も生まれる。問題は失われた雇用に相当する新たな仕事が生まれるか、という点だ。

 将来がバラ色とはいえない。AIがさらに進化すれば、社会的な格差が拡大するのではないか。高い教育を受けた人は多くの給与を得る一方、そうでない人は不安定になる。時代の進化に対応できる教育が不可欠だ。将来はAIがますます多くの仕事をするようになる。だが機械がある日突然、人間抜きで自主性を持つ、という考えは幻想だろう。



中国のSF第一人者 王晋康氏

人間よりも信頼できる

 文化大革命のとき、私も情熱を持って参加した。振り返ると笑ってしまうほど滑稽だったが、その時は間違いとは思わなかった。人間よりもAIの決定の方が信頼できる。

 AIを恐れる必要はない。人間の仕事は時代によって異なる。昔、家具を手作りしていたが大半は機械に置き換わった。多くの仕事がAIにとってかわり、人間の休みは増える。私が心配するのは人間が勤勉なAIに頼って怠けてしまうことだ。

 2045年にAIが人間の能力を超えることは間違いない。すでに個別の能力については人間の能力を超えており、総合的な知能もAIが上回ることになるだろう。わずか100年以内の技術発展で、地球の生命体が数十億年をかけて進化してきたことを実現できるかもしれない。AIと人類は同じ生態系に所属し、人類を絶滅させるのではなく、新しい共生関係が生まれると予想している。



米スタンフォード大教授ポール・サフォー氏

より強もい規律が必要


 計算機はすでに私の能力を一部超えている。掘削機だってそうだ。でも、機械が私と置き換わるわけではない。最初に言いたいのは、まず落ち着いて、ということだ。歴史を振り返ると機械は人間の仕事を壊したが、同時に新しい仕事を生み出してきた。AIでも状況は変わっていない。

 2045年を私たちが住みたい未来にしたいなら、責任を持って技術を使う方法を議論をしなければならない。感情の制御やより強い規律が必要になるだろう。技術の進化は加速している一方で、人々の倫理や文化がそれに追いついていないことは問題だ。

 機械がやっていることを知ることも大事だ。人が関与しないプログラム取引がきっかけで証券市場が混乱したり自動操縦の航空機がセンサーの不調で墜落したりといったことがすでに起きているからだ。予想外のことに対応できる仕組みが必要だ。

                                                                  ′

 

もどる