130万人のピリオド
死を語らい日常を充実
少人数の和やかな雰囲気のなかで、「死」にまつわる話を身近に語り合う「デスカフェ」に関心が高まっている。遺言や葬儀など終末期の準備をする「論法」がブームになっているが、家族や自分の死については心の準備ができていない例も少なくない。デスカフェは肩の凝らない「死の準備教育」の場として広がっていきそうだ。
「がんが見つかった後、死が急に身近になった」。9月上旬、都内で開かれたデスカフェには40代から70代までの女性7人が参加。自己紹介を兼ねて死にまつわることを一人ずつ語った。様々なテーマが出て話は盛り上がり、予定の3時間があっという間に過ぎた。参加者の一人、主婦の田村まゆみさん(62)は「現代人は死に関する話をもっとしてもいいのに、機会がほとんどない。この集まりは貴重」と振り返る。
開催したのは、葬儀社、ライフネット東京(東京・品川)代表の小平知賀子さん(55)。終活に関する思いや疑問を語り合う終活コミュニティー「マザーリーフ」を主宰しているが、その過程で「死に対する意識や思いは、人によって温度差が大きい。死について自由に語り合う場が必要」と感じ、デスカフェを始めた。12回にわたり、本の読み合わせやお寺・教会訪問などのメニューも加えながら「人の死を、いろいろな側面から語り合う」計画だ。
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デスカフェは、スイスの社会学者バーナード・グレッタズ氏が妻の死をきっかけに2004年に始めたとされる。死をタブー視するのではなくコーヒーやお菓子を片手に気軽に語ろうという主旨だ。欧米で広がり、国内でもここ1年で増え始めている。背景には高齢者や高齢の親を持つ人たちの間で終末期とその先の死について関心が高まっていることがある。若い世代でも生きる意味や死についてしっかり考えようとする動きも目立つ。
若い僧侶8人のグループ「ワカゾー」は昨年夏から京都市内で2ヵ月に1回のペースで毎回テーマを決めて開催。参加者の8割を20代が占めた。僧侶の一人、長嶋蓮慧さん(27)によると、「死について語りたくても語る機会がなくて、もやもやした気持ちでいる若者も少なくなく、募集をするとすぐに参加者が集まっ
た」という。
今年4月から、都内でデスカフェを始めた坂元達也さん(58)は本業は音楽制作だが、グリーフケアを行うカウンセラーの資格も持っている。デスカフェをこれまでに3回開催した。
「身近な人の死に直面して慌てふためかないように、また自分が最期までどんな生き方をするかを考えるきっかけにしたい」
主宰者がデスカフェを開催する思いは様々あるが、共通するのは、「死を語る意味は大きい」 (仙台市で開催する翻訳者の庄子昌利さん)という点だ。
実際にデスカフェの参加者にはどんな、気づきや影響をもたらすのか。
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あるデスカフェでは「余命1年と宣告されたら、どうするか」というテーマで語り合った。「仕事をやめて好きなことを思い切りする」 「友人一人ひとりに手紙を送る」 「日常の生活を変えないでその日を迎える」など、一人ひとりがみな違う考えであることが分かった。「死についてふだん何も考えていなかった」という人も、いろいろな人の話を聞いているうちに「自分にも死に対する考えがちゃんとあることに気づいた」という。死をオープンに語ることを経験することで、どんな医療や葬儀を求めるかなど終末期の迎え方を、より具体的にイメージしやすくなる効果もある。
デスカフェの広がりについて上智大学グリーフケア研究所の島薗進所長は「日常で人の死を目の当たりにすることが少なくなった現代人にとって、デスエデュケーション(死の準備教育)として意味がある」と話す。
従来は死の教育は宗教が担う部分が大きかったが、「法事なども減っており、宗教の担う役割は減りつつある」 (島薗所長)。グリーフケアの団体や、がん患者たちがつくる団体など、同じ立場で関心のあるテーマで集まる事例は増えているが、だれもが気軽に参加して死を語る場は、これまではなかった。
産業力ウンセラーで都内でデスカフェを開催する中藤崇さん(46)は、日常生活のなかで死についてしっかり考えることが「今の暮らしをしっかり見つめ直すことにつながる」という。
進行役に技量必要
デスカフェを実りあるものにするには、主宰者も参加者も守るべきルールがある。
ルールを守ってもらうためには進行役にある程度の技量が必要。デスカフェを開催している山口県下関市の上野宗則さんは「死生学関係の本をよく読んでいるが、知識の押し売りはしない。会話が始まるきっかけとして詩の朗読などにとどめている」という。
マザーリーフのデスカフェを企画しているシニアライフデザイン
川崎市)代表の瀬内裕子さんは、「進行役が特定の宗教観や学問の成果を押しつけてはいけない。宗教や学問からニュートラルに運営することが必要」という。