「時代の空気」に距離
池田清彦
和せず頑張らず 生きるルール疑い自ら判断
「がんばらない生き方」。これが意外に難しい。
生きることがちょっとラクになる。生物学者、池田清彦さん(69)の本を読むとそんな気分になれる。これまでに書いた本は70冊超。そのうち半分は社会論や生き方論である。勧めるのは他人に共感しない能力と他人と深く関わらない生き方だ。
「がんばらないと人並みの生活ができないかのような時代の空気≠ェあります。書店に行けば自分磨きのハウツー本であふれています。『やればできる』とか『人間はみな平等だ』という幻想が多くの人を息苦しくしているようです。例えば、統合失調症の人には孤独に強く、人と付き合わなくても全然苦にならない人がいます。そんな生き方も悪くないと思います」
「がんばっても老化に伴う大概の病気は治りません。その意味では、一番健康に悪いのは長生きです。好きなことをして、うまい酒を飲んで、適当なところでジタバタせずに死んだ方が幸せなこともあるのです」
「人間にはミラーニューロンという他者に共感するのに重要な神経細胞があり、共感し同調しやすい心理が働きます。やっかいなのは、共感や愛が深いほど、排斥や憎しみも深くなることがある点です。愛と憎しみをコントロールする場所が、脳の扁桃体の近い所にあるからだと思われます。例えば、『誰でも愛そう』と共感を強要されるほど、裏切られた時には『殺したい』といった極端な感情が生まれやすいのです」
「他人を理解できなくてもいいのです。『君子の交わりは淡きこと水のごとし』と言いますね。共感し合えなくても友達になれます。人間本来の性質に逆行するので難しいのですが、『私には理解不能だけど、まあそういサユ人もいるよね』ぐらいのおおらかな心持ちになれたら平和な世の中になると思います」
東日本大震災以降、広まった 「絆」。池田さんはこの言葉を嫌う。絆とともに「一つになろう日本」が合言葉になった。池田さんは復興について書いた本の帯に「一つになるな日本」と挑発的に書いた。その真意は。
「熊本地震の時もそうでしたが、一丸となって応援しないやつは人でなしだという嫌な空気がありました。応援の仕方は色々なのに、同じ方向でやらないと『一つの日本』から外れる。自分が一生懸命やっていることをどうしても他人に押しっけたいという人は多い。でも、強要された支援は長続きしません」
「被災者を支援するのも老人に席を譲るのも他人に強要することではありません。一方で、他人に愛されたり優しくされたりする権利は誰も持たない。絆という言葉を持ち出して、特定の価値観や道徳を押しつけることはやめた方がいいですね」
マイノリティ-と多様性の尊重は、とても重要
「誰かに何かをしてあげるのは長期的に見て見返りを期待するからだ、という考え方を生物学では互恵的利他主義と言います。情けは人のためならず、ということです。マイノリティーへの対応もこの考え方が当てはまります。今はマジョリティーの人もいつマイノリティーになるかわかりません。例えば、事故で足を失えば、少数派の障害者になります。その時、障害者に優しい社会であった方が自分にとって都合がいい」「多様性についても同じです。大学でも企業でも上司の言うことを付度して同調する人が最近増えています。しかし、環境の変化がある時は、多様性のない集団はリスクが高くなる。日本は地震や巨大噴火が起きる自然災害の危険性が高い。移民も含めて多様性があればそれだけ生き残る可能性が大きくなる。こんなに狭い地震大国に、l億人以上の人間が暮らしているのですから、セキュリティーについては真面目に考えておいた方がいいと思います」
池田さんは「日本で最も過激なリバタリアン」を自認している。「車も来ないのに赤信号で待っている人はバカである」「ポランティアはしない方が格好いい」――。発言は時にトゲがある。しかし、決して奇をてらっているわけではない。ルールや道徳についてのわかりやすい考え方が、その言葉には反映されている。
「他人から見れば堕落しているように見えようが、人には朝から酒を飲んでダラダラと生きる自由があります。人は他人に迷惑をかけない限り、何をしてもいい。国は個人の自由に干渉しない。これがリバタリアニズム(完全自由主義)の基本です」 「交通ルールは事故を減らすためにあります。しかし、ルールを守らせること自体を、人々に強制する装置になることがあります。車の影さえ見えない田舎の横断歩道でじっと青になるのを待つ人は国に従順な人でしょうが、信号無視の車にはねられるリスクが高い人かもしれません。車が赤信号で止まる保証はない。身を守るためにはルールよりも目の前の状況を信用した方が僕はいいと思います」
「ボランティアにも同じことが言えます。楽しくてやるのは自由ですが、ボランティアは良いことだ、という国や世間の宣伝に乗せられてやりたくもないのにやるのは下品です。本当に他人に喜んでもらいたいと思っている人は、お金をもらって働くのが一番いいのです」
昆虫採集のマニア
環境保護巡る条例に苦言
昆虫採集のマニアでもある。解剖学者の養老孟司さんとは20年来の虫採り仲間で、タイやべトナム、ラオスなどにも一緒に出掛けている。好きなのはカミキリムシ。「日本に700〜800種類いて、生涯かけて収集するのにちょうどよく、珍品も多い」という。実は、2年前に沖縄で新種を見つけて「オキナワホソコバネカミキリ」と自ら名付けた。早稲田大の研究室には自宅に収まりきらない虫用の棚があり、甲虫の標本がたくさんある。
「本音を言えば、虫さえ捕れれば、あとはどうでもいい」と笑う池田さんだが、動物保護や環境保護を理由に「虫を捕っちゃいけない」と昆虫採集を規制する条例を定める自治体が増えているという。昆虫採集をする人はごく少数で、個人的な収集で虫が減ることなどありえない。「人間の楽しみよりも動物や虫の命の方を大事に思う人がいる。マイノリティーをいじめることに喜々とする人がいるんです」。虫採りも不自由になりつつある。
いけだ・きよひこ 1947年東京生まれ。
東京教育大生物学料卒。理学博士。山梨大教授を経て早稲田大国際教養学部教授。「正しく生きるとはどういうことか」 「同調圧力にだまされない変わり者が社会を変える。」など専門の生物学以外にも幅広い分野の著書多数。フジテレビの「ホンマでっか〃TV」にも出演。