体験学 


名手直伝 進化するテニス

 

 


錦織旋風で再燃する向上心


「天才肌」鈴木プロに弟子入り

 

 世の中は今、何度目かのテニスブームらしい。火付け役はもちろん錦織圭選手。かつて日本人には夢物語にすぎなかった四大大会の優勝まで射程に収めた天才の出現で、街中のテニススクールは「未来の錦織」を目指す子どもたちでいっぱいだそうだ。

 現在のトッププロたちには一つの共通項がある。いずれも、1980〜90年代に活躍し、当時のテニス人気を盛り上げたレジェンド(伝説の)プレーヤーたちを専属のコーチとしていることである。

 世界ナンバー1のノバク・ジョコピッチには「ブンブン丸」ことボリス・ベッカー。「芝の帝王」が代名詞のロジャー・フエデラーには「北欧の貴公子」ことステファン・エドベリ。今年の全英ではカナダのミロシュ・ラオニッチに「悪童」ことジョン・マッケンローが指導していた。そして、錦織には全仏の覇者、マイケル・チャンがいる。

 こうしたレジェンドたちに憧れ、ラケットを握った中高年は多いはず。自分も例外ではない。ならば、このブームに乗って再びコートに立つのも悪くない。ギアも技術も時化遅れだが、トップスピン全盛のパワーテニスにどこまで通用するのか。
 早速、コーチしてくれる「レジェンド」を探したら、世の中は狭い。自分が所属するレックインドアテニススクール(東京・練馬)に格好の人物がいた。全盛時のフェデラーから1セットを奪い、ポスト松岡修造と呼ばれた天才肌のプレーヤー、鈴木貴男プロである。

 鈴木プロいわく、現代のテニスは「回転重視」のスタイルだ。後ろから前へと体重移動させる昔流ではご法度だったが、ラケットの進化によって「回転重視の方が理に適っている」。確かに、錦織らは皆、腰の高さで横振りの強打を連発している。

 ミニテニスからボレー、乱打と続けた後、あえてバックハンドのスライス(逆回転)で教えをこう。鈴木プロが得意とし、自分でもひそかに自信があったからだ。かつてお手本としたエドベリのスライスは美しかった。音で表現すると「スパン」ではなく「スパーン」という感じ。スラリと伸びた腕から繰り出されるショットは真っすぐ、気高い球筋を描いていた。一度でいいから、あんなスライスを打ってみたい。

 そうした思いを抱きながら、鈴木プロの球出しを受ける。すると早速、注文がついた。シュート回転を抑えるため、手の甲を早くから上に向け、準備を整える。打った後、後ろ足は最後まで地面につけて我慢する。最後はラケットを持たない方の腕も目いっぱい伸ばす……。

 「多彩なショットにつながるスライスは、今後プロの世界でも重視されていく」と鈴木プロ。そうか、自分のテニスにもまだ未来はあるかもしれない。勝手にそう思い込むことにした。

 

 


「ダメ出し」NG指導論に納得


実践は別物 助言に体動かず


 1987年夏、米国での研修留学を終えた自分へのご褒美として、後に錦織圭も門をたたく、名門ニック・ボロテリー・テニス・アカデミー(NBTA=現IMGアカデミー)に1週間だけテニス留学≠オた。

 フロリダ州ブラデントンにあるNBTAはテニス好きにとって夢のような場所だ。50面以上のコートと冷房完備のコンドミニアム。朝昼晩の食事付きで一日中、テニス漬けの日々を過ごす。休憩時に飲むレモネードが乾いた身体に染み入った。

 この頃、NBTAは「システム5」という理論を掲げていた。ボールの高さや深さを5段階に分け、それに応じてラケットを構える位置(テークバック・ポジション)や返球の質を決めるというものだ。数値化したゲーム戦略と、褒めて育てる米国流はとても新鮮に思えた。

 その話を鈴木貴男プロに伝えると「どこの国だからどう、とは言わないが……」としながら、「日本(の教え方)は『指摘』するだけだから」と。鈴木プロは「大体、2、3分ほどプレーを見ればその人の弱点はわかる」。だからと言って「指摘するだけではコーチングとは言えない」という。

 結局「ダメ出し」の指導方法では選手は育たないということだろう。では、どうすれば? 「最終日標と今のレベルをつなぐ、中間のステップをいかに重ねていくか。理想は1つのことを教えながら、他のことも学ばせるやり方」と鈴木プロ。

 振り返れば自分のテニスは徹頭徹尾、自己流だった。中学では軟式テニス部を1カ月で退部。大学3年で軟式を再開し、硬式にも手を出した。定番の壁打ちは実家裏の寺の地下駐車場。深夜、人気のない墓地の下で一心不乱にボールを打ち続けた。恐怖心を打ち消すため、頭の中で流すエアBGMはもちろん、あの歌。「ゲッゲッゲゲゲのゲー、夜は墓場で壁打ぢだー」

 そんな無手勝流の評価を恐る恐る聞いてみる。「いや、レベルはそれこそ、いろいろありますから(笑)」。微妙な前提条件付きながら「軟式出身ということでしたが、バックハンドはうまく打っていますよ」とお褒めの言葉をいただいた。

 とはいえ、レッスン中に繰り出される数々の助言は息があがるにつれて頭の中で千々に乱れるばかり。早い段階でのテークバックなど「1つのことに集中し、そこを克服していくのもいいが、それだけでは……」と鈴木プロは厳しい。しかし、教わる方としては「はい、そうですか」と実践できるものでもない。何とも歯がゆく、情けない。NBTAに留学≠オた当時、16歳でプロ入りしたアンドレ・アガシがいた。後に世界ナンバー1となる彼が「システム5」理論の実践者となった。もちろん、自分もそれに倣ったが、結果は当然、推して知るべし、である。

 



肉離れに腰痛・・・古傷も難敵


中高年の筋トレは「内面重視」

 1994年8月、スイス、ジュネーブ。宿泊先のホテルで核開発問題を巡る米国と北朝鮮の協議終了を待っていたら、体の奥底で「プチッ」と鈍く響いた。「痛いっ」という声も出せないほどの激痛が瞬時に続いた。

 いわゆる肉離れというやつだが、その場所が厄介だった。週末ごとにテニスとゴルフを続けた結果、脊柱起立筋、腰方形筋、腸腰筋といった体の奥のインナーマッスル群が悲鳴を上げたのだ。以来、重い腰痛から解放されたことはない。

 40代ではテニスの最中、左ふくらはぎが「プッツン」と音を立てた。50代では寝返りで右の背中が「グキッ」と鳴った。自分の体が奏でた三重奏のおかげで、還暦を前にしてすでに満身創痍(そうい)の状態である。

 自身も肩を壊した経験を持つ鈴木貴男プロにコンディショニングのポイントを聞く。すると「自分は初動付加というトレーニングで回復した」との返答。メジャー選手イチローが実践することで知られる初動付加とは、筋肉が最初に動く際に一定の負荷をかけるもの。従来の筋トレとは全く異なる発想だ。奏の定、「腕立て伏せとか、ベンチプレスとか、体の前面に筋肉を付ける運動はほとんどしていない」と鈴木プロ。

 翻って、自分はどうだったろう。20代で米国勤務となった後、米国人とのテニスを通じて痛感したのはパワー不足。特に、彼らの二の腕の強さには圧倒された。「負けるものか」とジムに通い、ベンチプレス、ショルダープレス、アームカールなど定番のトレーニングを重ねた。

 テニスやゴルフと違い、やればやるだけ「結果」が付いてくるのがウエートの魅力だ。やがてベンチで100`、110`、120`と上がるようになった頃、何かが違うと感じ始めた。力は体中にあふれ、防火扉など挙一つで打ち破れるように思える(本当はできません)一方で、どうにも体が重く、関節も痛みやすい。

 古傷を抱え、体の衰えも日々痛感する中高年はどのようなトレーニングや体の使い方をすればいいのか。鈴木プロは「自分の体の内面的な動かし方を意識してほしい」と説く。急に哲学的になってきた。

 言い換えれば「手のひらとか、自分の体の感覚を大事にすること」と鈴木プロ。自分の体と相談しながら、技術だけでなく、身体能力に応じたレベルのテニスを心がければいいのかもしれない。結局、筋トレにまい進した自分は間違っていたのか。自問していると鈴木プロから「自分は今、初動とウエートをバランス良くやっている」と救いの言葉が。ウエートを続ける理由は「『自分はこれだけやった』という感覚も欲しいから」。そう、それですよね、
 コーチ。とりあえず、そういうことにさせてください!

 

 

 

精神力鍛錬米は80年代か

 

サーブ特訓全身トスで安定

 1980年代に訪れた米国・フロリダ州にあるニック・ボロテリー・テニス・アカデミー(NBTA=現IMGアカデミー)にはユニークなコーチたちが多数、顔をそろえていた。

 中でもひと際目立っていたのがサンパウロ出身の若手コーチだ。大きな瞳、白い歯、長く伸びた褐色の手足。「誰かに似ている」と思ったら、あの顔が浮かんだ。そう、「あしたのジョー」の主人公、矢吹丈の好敵手、カーロス・リベラである。

 当然、女性陣の目は彼にクギ付け。それをいいことに奴は夜な夜なフロリダの宵闇へと消えていく。他のコーチと皮肉を込めて進呈したあだ名は「ブラジリアン・ラブマシン」だ。

 ある日、そのマシンが笑いながら近づいてきた。「ゲームでもするか」という。挑発しているのは明らかだ。やる前から結果は見えていたが、ここで退いては男が廃る。「ナンバ野郎に大和魂を見せてやる」。意気込んだものの、結果は「0対6」 「0対6」と惨敗。悔しいが根性だけではどうにもならない現実もある。

 落ち込む自分の前に突然、ジム・レーラーという人物が現れた。練習の合間に設けられた「メンタルタフネス」の講義を担当する若手の心理学者だという。後に、この分野で第一人者になるジムの教えは目からウロコだった。日本流の精神論とは違う、心理学に基づくメンタル維持の手法は耳に新しかった。

 不利な時こそ前を向け。顎を下げるな、顔を上げろ。ラケッ上の柄ではなく、首の部分を持て。そして、自分にはまだ、ファイティング・スピリットがあることを相手に伝えろっ。

 他の生徒たちがネットを揺らしながら、大声でヤジを飛ばすなかで試合もさせられた。アウエーでさらされるプレッシャーを想定し、メンタルを鍛える訓練というわけだ。

 いかなるスポーツでも今や、メンタルトレーニングは欠かせない。技術と体力が互角なら、最後にものをいうのは精神力でもある。鈴木貴男プロに聞くと「よく『ゾーンに入る』というが、自分は少し違うと言う。「無心というよりも、冷静に周囲の状況を把握している自分がいる感じ」

 テニスにおいて、メンタルが大きく影響するのはサーブだ。それを得意とする鈴木プロに直伝を願い出る。まず直されたのがトスの上げ方。小手先で上げる癖を修正、身体を大きく使うように指導された。するとどうだろう。以前よりもはるかに安定するではないか。フォームが固まれば、メンタルが悪さをする余地も減る。

 かくして、精神面でのスタミナ浪費も防げるというわけだ。一流のアスリートが皆、採用しているメンタルトレーニング。スポーツだけではなく、ビジネスの世界でも着目されつつあるのはご存じの通りである。

 

 



伸びしろは無限 激励に感動


夢は大きく電動の芝夢見て


 米国のワシントンDCに駐在していた頃、多くの米国人とテニスで対戦した。飲み会で知り合った博士課程の大学院生とは夜ごと、真夜中でも煌々(こうこう)とライトが光る公営コートに忍び込んでゲームを楽しんだ。後に彼はホワイトハウスで大統領補佐官になった。あの頃はお互い若かったね、マイケル(笑)。

 中央情報局(CIA)で複数の海外支局長を歴任したジムはドロップショットを駆使するくせ者。連邦捜査局(FBI)で捜査官だったデビッドはもっばら、サーブ&ボレーの力技で攻め立ててきた。テニスは時に、その人の性格や人生まで映し出すスポーツなのだ。

 対戦相手の中で、今でも強く記憶に残っている人物がいる。レーガン政権で国防長官を務めたこともある米カーライル・グループの総帥(当時)、フランク・カールッチ氏だ。高齢と持病で思うように体を動かせはしなかったが、日本の若造相手に最後までボールに食らいついてきた。不屈の精神に感服し、米国のチャレンジ魂を垣間見た。

 カールッチ氏のようにテニスを「生涯スポーツ」にしたいと考える自分が今後、心がけるべきことは何だろうか。鈴木貴男プロは「力に頼らないテニスをすれば、60代、70代でもテニスは進化する」とキッパリ。さらに「まだまだうまくなれる。うまくしてあげる自信もある」とうれしい言葉が続いた。

 現代のトッププロの流儀をまねるのもいいが、昔流を続けるもよし。往年のケン・ローズウォールやジミー・コナーズらのスタイルでもいい。無理をしてまで「今のテニスに合わせる必要はない」と鈴木プロ。最近のラケットは木製より軽いので、グリップ部分を重くするなど工夫を凝らすのもー考だろう。

 「テニスにゴールというものは永遠にない」と鈴木プロは断言する。では、中高年プレーヤ一に何か注文はありますか。「うーん、できれぼもっとシングルスに挑戦してもらいたい」

 まさしく、我が意を得たり。日本でテニスと言えばダブルスが中心。欧米とは全く違う。「僕のいたイタリアではダブルスはしない。自己主張が強いので」と鈴木プロ。すべてのショットを身に付け、失敗も成功も自分の身に降りかかるシングルスにこそ「テニスの醍醐味がある」と鈴木プロは力説する。いや、全く同感です。

 今年の五輪で日本に96年ぶりのメダルをもたらした錦織圭選手の活躍で、日本のテニス熱も一層、高まっていくだろう。4年後もその先も、子どもたちがテニスを楽しめる環境を作ることが、我々大人の使命であり責任だと感じる。

 同時に、自分自身の「伸びしろ」にも期待してみよう。将来の夢はもちろん、憧れのウィンブルドンの芝生の上で思う存分、プレーすることである。

 

 

 

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