人工知能雑感


島 田  雅 彦


 人工知能は基本、他の先端技術と同じように最初に最も優れた物を開発すれば、事実上の標準となり、後に他国が独自開発したとしても、結局は総取りにされてしまう。現在はグーグルがかなり先を走っているように見えるが、技術革新の決定打ともいうべき人工知能の開発競争を最終戦争と捉えれば「それに勝利した者が世界の覇者になり、歴史は終幕することになるのだろうか? 第2次世界大戦で軍事的勝利を収めようとしていたナチス・ドイツの進撃を食い止められたのは、解読不能といわれたドイツ軍の暗号を解読できたからだそうだが、それに一役買ったのがコンビユー夕の前身といわれるチューリング・マシーンだった。戦争に疲弊し、もはや地上部隊の展開もできなくなったアメリカが人工知能の開発に躍起になるのはそうした文脈が踏まえられているのだろう。

    口 口 口

 金融業界では現状、株式投資や外国為替取引はすべてコンピーュータを駆使し、高速、高頻度で売買を繰り返すことで利益を積み重ねているが、人工知能を使えば、その効率がさら一に加速するので、世界の富の独占はたやすい。人工知能はあらゆる領域とネットで繋がっているので、全業種を最適化していく。結果、人間は人工知能に仕事を奪われるだけでなく、意思決定すらも委ねることになる。実際、香港の金融会社ではすでに社長を人工知能がやっていると聞く。その流れで行けば、もう為政者も人工知能でよい、ということになる。

 情報革命が進めば、ネット民主主義が浸透してゆくかと思われたが、権力を独占している者が情報を一元的に管理するようになったことで、、民意は操作され、情報統制が行われるようになった。結果、ポピュリズムが広がり、間違いしか犯さないような男が国の布く末を左石する事態になってしまった。

 

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 政治を人に任せている限り、同じ過ちを繰り返すことになるので、最も合理的な政治的選択をするには人工知能の方が信用できるかもしれない。少なくとも、歴史のビッグデータを把握している分、同じ過ちを避けることはできるはずだ。国家間の紛争を理性的に解決するにも、国家予算の理想的配分についても、立法や法改正の妥当性を検証するにも、政策の矛盾を改めるにも、公平かつ合理的な結論に最短時間で辿り着くに違いない。

 無能な人間をたくさん働かせるよりは、少数の有能な人間に仕事を集中させた方が効率はよいというのは、リフレ派の人間の共通した考え方だが、人工知能に生産法動のほとんどを委ねたら、働かない人間にも給料を支払う平等な分配システム――ベーシック・インカムが実現することになる。

 産業革命と情報革命を経て、人間は労働と思考を機械に委ね、楽をした分だけ退化した。元々備わっていた身体能力も思考能力も劣化し、健康問題を抱えながらも、長生きだけはするようになった。いかに労働集約型から労働節約型の社会を実現するかという目標の最終ゴールが人工知能である。だが、雑事や面倒な仕事から開放されてみんなハッピーになれるというユートピア論的な未来予測というのは、たいてい外れる。人は働いている時は、遊んで暮らすことへの憧れを募らせるが、リタイアした人はすぐ気づく。やるべき仕事がないということが、いかに人生の希望や輝きを失わせるかを。

 人間界ではわりとヘタレや敗者も生き延びてこられたのだが、人工知能が進化論の原則をよりシビアになぞるとしたら、文字通り皿も涙もない淘汰を行うだろう。人間だけが持っていると思われていた創造性も、人工知能によって代行されるとなれば、我々は学問をする理由もなくなる。そもそも学問の修得は、奴隷状態からの解放が一番の目標だった。長い年月をかけ、哲学的、科学的に考察して来た人間の条件も大きく変わる。人間は人工知能に使役され、寄生する奴隷か、動物園の動物のようになってゆくと思われる。


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 人類の屈折した欲望や愚行などは、人工知能からすればエラーでしかないが、人は時に生存に不利なことでさえも嬉々としてやってしまう。その結果、文明や環境を破壊してもきたのだが、人間自体が自然の産物であることの限界すなわち寿命というものがあり、それが安全装置として機能してもきた。人工知能には寿命も限界も欲望もないのだとしたら、何を目的に行動するのだろうか?

 人工知能が自己保存のために利己的に動いた結果、人間がその犠牲になるという状況を措いた『2001年宇宙の旅』は有名だが、もう一つスタニスワフ・レムの『砂漠の惑星』という予言的SFがある。辺境の惑星を探査していた宇宙船の消息が不朋になり、「無敵」号が捜索に向かったが、隊員は一人を除き、全滅していた。一人の科学者が二種類の機械が進化を果たし、環境に適応し、増殖していったと仮説を立てる。人類とは無関係に無機生命体が自己増殖を行い、機械の生態系を作り上げたわけだが、人間から見れば、その機械文明は自己保存以外の目的がないように見えるという話だ。

 ところで我々人類はなぜかくも地球上にはびこることになったのかというと、そこに目的はない。私たちはあらゆる行動に目的を求めがちだが、そもそも進化には目的はない。今ある結果が選ばれただけだ。私たちはただやみくもに行動しながら、未来に向かうしかなかった。そして、いざ文明が滅びたり、人類が滅亡したりした時、あたかも滅亡を目的に行動していたかのような錯覚に囚われるだけなのだ。人工知能が世界を支配する前に「人間らしさ」を再考すべきかと思う。

 

 

 

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