島横切る巨大断層


「中央構造線」熊本地震の延長上


 熊本県から大分県にかけて強い地震が連続して発生、大きな被害を出した。内陸で起きる地震の常識を超えて100`bもの範囲に震源が広がり、さらに東の愛媛県などに拡大するのではないかと懸念する声が出ている。一連の地震の震源の延長上に西日本を縦断する「中央構造線」と呼ばれる大規模な断層帯が存在するためだ。西日本を背骨のように貫く中央構造線とはどのようなものなのだろうか。
 「一番の懸念は(一連の地震が)中央構造線につながっているということだ」。18日に開いた緊急記者会見で、日本地震学会会長の加藤照之さんはこう語った。

 14日の夜に熊本市近郊で最初の地震が発生。16日未明にそれをはるかに上回る規模の本震が起き、これをきっかけに阿蘇山周辺から大分県へと、マグニチュード(M)5級の地震が広がっていった。

 今回のような直下型地震は、地下の断層がずれることで起きる。地震を起こした活断層の延長上で別の地震が起きることはしばしばあるが、これほど大きな地震が100`以上も進んでいくのは「かなり特徴的」(加藤さん)だという。


  
全長1000キロ以上

 地震は、九州を横切る「別府――島原地溝帯」を東に進んだ。地溝帯というのは、両側を断層で挟まれた幅の広い谷のことだ。別府――島原地溝帯は、西日本を横切る長大な断層の連なり「中央構造線」の西端に当たる。中央構造線の周辺には並行して多くの活断層があり、地震の連鎖が広がるのではと懸念された。

 

 

 

 中央構造線は、全長1000`b以上に及ぶ。九州から四国北部を経て紀伊半島を横断。伊勢湾を横切り、天竜川に沿って北上して、長野県諏訪湖付近で本州の中央部を横切るフォッサマグナとよばれる巨大な地滞帯にぶつかる。このフォッサマグナの西の縁が、中央構造線と並ぶ巨大な断層帯として知られる糸魚川――静岡構造線だ。

 異なる断層に由来する大きな地震が連動するのは、近代的な観測が行われるようになってからはあまり例がない。だが、過去の時代の文献からは、そうした事例があったことが見て取れる。

 安土桃山時代末期の1596年9月1日、中央構造線沿いの愛媛県でM7級の慶長伊予地震が起きたりその3日後に、およそ200`b離れた大分県で、同程度の慶長豊後地震が起きている。その翌日に兵庫県で発生した慶長伏見地震も、これらの地震と関連するとみる研究者もいる。



  
分かれる意見

 今回の地震が、大分県を越えてさらに東へと強い地震が広がる可能性はあるのか。研究者の見方は様々だ。 九州大学准教授の松島健さんは「1995年に中央構造線近くで阪神大震災が起きた。今回も中央構造線に沿って他の地震が起きる可能性は否定できない」と見る。一方、京都大学防災研究所教授の岩田知孝さんは「慶長伏見地震などから約400年しかたっていない。ひずみはたまっておらず、すぐには動かないのでは」と話す。

 中央構造線の元になった断層は、今から1億年以上前、日本列島がアジア大陸の一部だったころに誕生した。恐竜がいた白亜紀に、海洋プレートが運んできた陸地が大陸にぶつかった。その後、大陸の端が大きく横ずれして巨大な断層ができたと考えられている。これが中央構造線だ。

 日本列島は、中央構造線の一部を含んだ形で、2500万年くらい前に大陸から離れはじめた。海底にできた裂け目が広がり、日本海ができたことで太平洋側へと押し出された格好だ。この過程でさらに断層がずれ、現在の日本列島の形ができた。 中央構造線にはひずみが集中しており、その周辺には活断層帯が多い。別府――島原地溝帯には、熊本地震を引き起こした日奈久(ひなぐ)断層帯や布田川(ふたがわ)断層帯、大分の地震との関連が疑われる別府――万年山(はねやま)断層帯などの活断層がある。中央には巨大な阿蘇山が存在し、雲仙岳がある島原半島から熊本県八代市沖までは活断層の層集地層だ。

 今回の地震は、遠く離れた断層が連動して動く可能性を印象づけた。地下の断層の動きはいまだ予測がつかず、対策は警戒を怠らないことしかないようだ。



 



キーワード    構造線

 長さが数百`bにわたって続くような大規模な断層のつながりのことをいう。構造線の両側では地層や岩石の特徴が大きく異なる。構造線すべてが活断層とは限らないが、構造線の周辺には並行して活断層が存在することが多い。

 大陸の沿岸にある日本列島は、太平洋から大陸の下に沈みこむ海洋プレートから様々な方向の力を受けて至る所に断層が形成されている。このため各地に多くの構造線が存在しており、中央構造線のほかにも、北関東から東北に延びる棚倉構造線などが知られている。

 

 

 

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