生き心地の良い町
緩やかな距離感保つ
岡 檀さんに聞く
地位や学歴ではなく問題解決能力が評価基準
岡さんは、島の自治体を除けば自殺率が日本一低い徳島県の旧海部町(現海陽町)の調査と分析から、自殺を予防する因子を浮かび上がらせた。それは自死を防ぐだけでなく、「生き心地の良い町」の条件といえる。
海部町の調査から見えてきた自殺の危険を抑える要素は、@多様性を重視する A他者を人物本位で評価する B主体的に社会と関わる C他者に助けを求めることへの抵抗が小さい D緩やかにつながる――の5つ。 「排他的傾向が小さい背景には、海部町民の人を見る目の確かさがあります。相手が身内であるかよそ者であるかではなく、あくまで人物本位なのです」
象徴的な例として岡さんが挙げるのが、通常は中学校の校長OBや教育行政のベテランが就く教育長に教育経験が皆無の42歳の商工会職員を抜擢したこと。商店街の活性化や観光振興に腕を振るった企画力に教育再生を託した。新教育長は子供たちに町への愛着を持ってもらおうと、教員免許を持つ人を雇用して地域学習を指導する「ふるさと教員制度」を創設した。
「職業上の地位や年齢、学歴だけではなく、その人の問題解決能力や人柄をも多角的に見て、総合的に評価するのです。町で出会った組織のリーダーは、要職に就く人のステレオタイプとは違っていて、たんに立派”なという形容詞に収まりきらない何かを備えている人物が多かった。こうした人を選ぶ町民の眼力にも感心しました」
「統制や均質化を避けようとするのも海部町の際立った特徴です。江戸時代から続く相互扶助組織の『朋輩組』では年長者が年少者に服従を強いたりしません。中学や高校を卒業した若者が入って、地域の保安や家屋普請、冠婚葬祭の手伝い、祭りの準備などを担うという点では他の相互扶助組織と同じですが、朋輩組には会則はないに等しく入退会の決まりもありません」
「他地域の相互扶助組織の多くが事実上の強制加入制だったりよそ者を受け入れなかったりするのとは対照的に、新参者でも希望すれば入れるし、歴史の長い組織には珍しく女性の加入も拒みません。メンバーの均質性を高めて統制を強める類似組織のような閉鎖的で息苦しい集まりにはせず、開放的で風通しのいい組織としてきたのです」
「処罰によって組織を統制しない理念は『一度目はこらえたれ』という合言葉にも表れています。周囲に迷惑をかけた人を『一度目は許す』ことでやり直しの機会を与える。一時の行為だけで格印を押すように評価を固めることを避けようとしています。格印を恐れずに生きられる社会では、精神的肺活量”がぐっと増え、深くゆっくり息ができるような気がします」
組織には、放っておけば均質化する性質がある
「海部町では赤い羽根共同募金が集まりにくいそうです。隣接する町村では、皆ほぼ同額のお金を入れるのに海部町には『好きに募金すれやええが。わしは嫌や』と言う人がいます。高齢者に老人クラブへの入会を勧めても、『好きな者が入れやええ』。隣人と連れだって行動したり誰かに義理立てしたりはしないのです。興味深いのは人と違った振る舞いをしても周囲に特別視されず、コミュニティーから排除される心配もないことが前提にあることです」
「海部町民の人づきあいは、あっさりしています。緩やかでほど良い距離感を保っている。他人への関心がないわけではなくむしろ強いのですが関心の度を超えて互いを監視することの息苦しさを知っています」
「病、市に出せ――町に古くから伝わる格言を聞いたとき、海部町を海部町たらしめている所以を理解するためのパズルの一片を見つけた気がしました。心身の不調を感じたら早めに開示せよ、という意味ですが、『病』は病気だけでなく家庭内のトラブルや事業の不振など、人生のあらゆる問題を含みます。思い切ってさらけ出せば、妙案を授かるかもしれないし、援助の手が差し伸べられるかもしれない。だから、取り返しのつかない事態になる前に周囲に相談せよ、という教えなのです」
「鬱受診率は医療圏内で最も高く、軽症段階で治療し重症化を防いでいると考えられます」洞察は核心に迫り、独特の気質を培った町の歴史を遡る。
「江戸期、この地は木材の集積地として栄え、労働者や職人、商人が大量に流れ込みました。町の黎明期には異質なものを排除していてはコミュニティーが成り立たないし、家柄や職業がどうのこうのといっても取り合ってもらえない。その人に何ができるかを見極める人物本位の評価は、こうした町の成り立ちと関係あるのでしょう」
多様性は、組織の健全性にも通じる、と岡さんは見る。
「集団には、放っておけば均質化する性質がある。メンバーは変な奴だと思われて不利益を被りたくないから同質化し、リーダーも効率を追求するには均質的な組織の方が有利と考えがちです。ただ、均質な組織は硬直化して環境の変化に適応できない危険がある。企業の発展にもイノベーションを生む異能の人材が必要。多様性に富んだ組織の健全性は、海部町が証明しているのではないでしょうか」
徳島県南端の小きな町
突出して低い自殺率
旧海部町は徳島県南端の太平洋に面した町。「海部町史」によると、江戸初期に海部川上流域で切り出した木材の集積地となり、大型船が着岸できる港が築かれた。「商人や船乗りの往来も繁く、商家や旅館が立ち並び、活況を呈した」。2006年、隣接自治体と合併して現在は海陽町の一部。
岡さんは、全国3318市区町村の30年間の自殺率を参照し、年齢分布の違いによる影響を除いた指標で比較した。海部町の自殺率は8番垂の低さ。上位10自治体のうち海部町以外は島嶼部で、人口規模は極めて小さかった。海部町のことを「ある意味、日本で最も自殺率の低い町」と考えた岡さんは、背景を探ろうとフィールド調査を始めた。
老若男女を問わず町民との対話を重ね、グループインタビューも行った。くつろいだ雰囲気の中、次々と記憶が呼び起こされ、有益なエピソードが数多く集まった。岡さんはさらに3300人の住民を対象にアンケートを行い、数量的な検証も行っている。