誰かを思い、思われる
辻村深月
たった一人と一度だけ、死者との再会を叶えでくれる人がいるらしい――。あなたがもう一度会いたい人は誰ですか。
口口口
私の、「ツナグ」とい小説の帯文だ。
使者、と書いでツナグ。
その人に頼めば、すでに死んでしまった誰かに、たった一度だけ会える。
望むけれど叶わないこと、それを小説だからこそ描けるのではないか、と考え、こんな設定が生まれた。五人の主人公が会いたいと望むのは、それぞれ、突然死してしまった憧れのアイドルや、病死した母親、喧嘩したままになったクラスメートや、行方がわからなくなった婚約者など。みな、それぞれに心残りや想いを抱えて、主人公であるツナグのもとにやっでくる。
私がこの小説を書くにあたって、連載からずっと伴走してもらったのが、編集者の木村由花さんだ。
私より十歳以上も年上なベテラン編集者で、パワフルだけど、とっても優しく丁寧でしなやか。相手に何かを押しつけることなく、気づくと「由花さんにこんなものを読んでほしい――」とこちらが思わされてしまっているような、魔法使いみたいな編集者だ。
由花さんから最初にメールをいただいた時のことを、よく覚えている。
「デビュー作から拝読していたのですが、つい元日刊行された『ぼくのメジャースプーン』を読み、これはもうなんというか、ただことではない! という気持ちになりましたので、いてもたってもいられずにメールをお送りしています」
確か、こんな内容だった。
その後、「編集会議」という雑誌でインタビュー記事に由花さんが登場された時も、「注目している新人作家は?」という問いかけに私の名前を答えてくださっていた。それを読んだ周囲の編集者から、「由花さん、本気ですね!」と声をかけてもらって、なんだか照れくさいというか、どうしていいかわからないくらい嬉しかったのを覚えている。
そこまでの熱意を持って「一緒に仕事を」と言ってもらったのはデビューして間もなかった私にはほとんどない経験で、この期待に応えたいと、由花さんとの初回の打ち合わせに私か持っていったのが「ツナグ」の最初の構想だった。
由花さんが好きだと言ってくれた小説にイメージを重ね、この人の情熱に応えたいと思ったからこそ生まれた小説。
主人公、歩美の成長を由花さんと一緒に見守るような気持ちで、一話一話、「次はどんな話にしようか」と考えていく。収録されている話のほぼすべてが、由花さんからの言葉がヒントになっで生まれていった。
そして、「ツナグ」は、今、私の代表作と呼ばれている。吉川英治文学新人賞をいただき、映画化もされた。刊行当特、たくさん受けたインタビューで、「辻村さんだったら誰に会いたいですか」と聞かれ、私はそれに「会いたい人がいないからこそ、どの話もフラットな気持ちで書けました」と答え続けてきた。まだ三十代になったばかりの私にとって、「死」はそれほどに遠い存在で、どの人ともずっと一緒に時を紡いでいけるような気がしていた。
けれど、今、私は人生で初めで会いたい人ができた。
由花さんと別れる日が来るなんで、私はまったく、考えたこともなかった。由花さんは、ご自分の病名を最後まで私に言わなかった。きっと、あの魔法使いみたいな笑顔で、何もなかったかのように現場に戻ってきて、これからも一緒に仕事をしてくれるつもりだったのだと思う。
たった一度しか叶わない貴重な再会だし、由花さんにだったら、きっと「会いたい」と望む人が私の他にもだくさんいるだろう。私なんかがその機会をいただくのはもったいないけれど、それでも由花さんと約束した本、「ツナグ2」が刊行になる際には、歩美に頼んで渡しに行きたい。
口 口 口
由花さんが亡くなって一年が経ち、最近になって気づいたことがある。
小説を書いていて、ふと、「この話を由花さんが読んだらどう思うだろう」と考える。 「きっとこんなふうに指摘するんじゃないだろうか」と展開や表現を変えることまであって、まるで由花さんの目線が自分の中に備かったようだと感じる。もう一緒に仕事はできないけれど、実際に聞くことが叶わないからこそ、私の中の”由花さん目線”はどんな編集者よりもシビアだ。亡くなった今でも、「由花さんに軽蔑されるようなものを書いてはダメだ」と強く思う。
そう考えた時、これは。
「ツナグ」の中の一文に私か書いたことだったと気づいた。 ――あの人ならどうただろうと、叱られることさえ望みながら、日々を続ける。
書いていた当時もわかっでいたつもりだったけれど、今その意味の重さを由花さんから教えてもらったような、そんな気がしでいる。
口 口 口
冒頭に引いた帯文は、由花さんが「ツナグ」の文庫化の際につけてくれたものだ。亡くなった後、ご家族の方が由花さんが書いたメモの一部を見せでくださった。この文章になるまでの試行錯誤の跡が残るページの一番上に、「誰かを思い、思われる」という言葉が走り書きしであって、胸がいっぱいになった。
由花さんに見守ってもらいながら、今後も小説が書けること、作家と編集者として仕事ができたあの時間は、私の一生の財産だ。