ベートーヴェン奏法の変遷
古楽と現代風百花繚乱
軽快・重厚、表現並び立つ
クラシックコンサートで頻繁に取り上げられるベートーペンの交響曲。その演奏スタイルの多様化が一段と進んでいる。楽聖の時代の楽器や奏法を重んずる古楽的な演奏が一時は主流になるかと見えたが、現代風のスタイルが盛り返し、折衷派も含め、いまや百花瞭乱の様相だ。
ドイツを代表するオーケストラの一つ、バイエルン放送交響楽団。首席指揮者マリス・ヤンソンスと11月26日から東京・サントリーホールでベートーペンめ交響曲全曲演奏に挑む(他都市でも公演)。すでにこのコンビで交響曲を聴いたベルリン在住の音楽評論家・城所孝吉氏は「現代的なきびきびとした演奏。古楽奏法は見受けられなかった」と話す。
ドレスデンのオーケストラと来日中の指揮者クリスティアン・ティーレマンは来年、日本でウィーンーフィルハーモニー管弦楽団と全曲演奏をする予定だ。
同じ楽団で両方
「ティーレマンは古きカペルマイスター(楽長)の代表。(20世紀前半の大指揮者)フルトヴェングラーの流れをくんでいる」 (ウィーンーフィルのコンサートマスター、ライナー・キュツヒル)。
「彼はウィーン・フィルを昔の音色に戻そうとした」 (同フィル・ソロチェロ奏者のタマーシューヴァルガ)。すでに交響曲全集はCDとDVDになっており、古楽奏法と一線を画した音作りは話題になった。
ベートーベン演奏については戦後、フルトヴェングラーら巨匠が重厚な響きで聴衆を圧倒していたが、1980年代から楽聖が生きた19世紀初めの演奏に戻るべきだとの原典主義が台頭。楽譜自体も90年代半ばからドイツの出版社ベーレンライターが校訂版を出すと、クラウディオ・アバドやサイモン・ラトルら著名指揮者がベルリンーフィルやウィーンーフィルなど伝統的なオーケストラで、古楽的なアプローチをするようになった。
日本では例えば10年前に飯守泰次郎指揮、東京シティーフィルハーモニック管弦楽団がベーレンライター版を使い、古楽アプローチで全曲を演奏・録音した。しかし、飯守氏は指揮者マルケヴィッチがまとめた楽譜研究をもとに同じオケで再び重厚な響きによる全曲演奏をし、今年CD化した。
「マルケヴィッチは歴代巨匠の演奏を丹念に研究、立派な成果を出した。ベーレンライター版は勉強になったが、今はマルケヴィッチ版が最も良心的な楽譜と考える」と飯守氏。ベートーベン時代は楽器の改良・発展が著しく、楽聖は最新の成果をいち早く曲に取り入れる「改革者」だった。その改革精神を考えれば、時代をさかのぼるのではなく、現代のホールの大きさや楽器を勘案して演奏すべきだとの考えも説得力はある。
決定版はなく
城所氏によると、「ベルリン・フィルなどは一時に比べ、モーツァルトなどの演奏でも古楽スタイルから距離を置き始めた」という。
とはいえ古楽器的なアプローチも衰えを見せない。NHK交響楽団は同奏法の実践者、ロジャー・ノリントン指揮でベートーベンーチクルスを継続中。年末恒例の第九もノリントンが指揮。数年前、同奏法で鮮烈なベートーベンを日本の聴衆に提示した指揮者パーヴォーヤルヴィも来年、日本で手兵ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンと楽聖唯一のオペラ「フィデリオ」と交響曲を披露する。
聴覚を失ったベートーベンは自らの精神世界で作曲を続け、速度指示などで演奏家を戸惑わせてきた。悪筆でも知られ、楽譜の判読が難しいところも少なくない。もう一度、楽譜を精査した結果、生まれたのがベーレンライター版だが、「結局、ベートーベン演奏で決定版はない」 (飯守氏)。
演奏史に詳しい評論家の山崎浩太郎氏は米国のオケも念頭に、「かつて楽聖の精神的な大きさを物理的な大きさに反映させた幸福な時代があった。しかし、それをやり過ぎと感じた音楽家が古楽奏法を始めた」と解説する。その後、当時のオリジナル楽器を使った演奏では精神性を表現できないとの見方も出て、今
に至っているとみる。
現代の演奏会や興行システムはベートーベンを目標に成り立ってきた側面が強いとされる。ベートーベンの交響曲は「ハイドンなどと違い、聴き手を別世界に連れて行くような力がある」 (飯守氏)。第九などは東日本大震災後の日本で演奏機会が増えたようだ。そのスタイルかたどった道は、価値観が多様化する
社会に合流したといえるのかもしれない。
(編集委員小松潔)
▼古楽演奏 狭義にはバロック期までの音楽を再現する意味だが、ベートーベン、シューベルトら古典・ロマン派を含め、同時代の復元楽器や、折衷策として現代楽器を使い、比較的小編成で演奏するスタイルを指す。総じて歯切れのよいテンポで強弱がはっきりし、弦で音を伸ばすとき、揺れを抑えるなどの特徴がある。専門家は古楽という言葉を嫌い、ピリオド奏法どという。