ベルギー連続テロの衝撃(上)


過剰反応・軍事報復避けよ

 

遠藤 乾 北海道大学教授

 欧州でのテロが止まらない。昨年11月のパリに続き、3月22日にはブリュッセルで連続テロが起きた。なじみの深い国、街、人々が傷つくとき、ショックは大きい。

 その分、そうした事件に過剰な意味づけをしてしまう衝動もぬぐいがたい。欧州連合(EU)の理念の崩壊、EU域内の大半を国境検査なしで自由に移動できる「シェンゲン協定」の終えんなどヘッドラインは躍る。しかしいったんレンズを広角に持ち替えると、別の構図も浮かび上がる。

 西欧での犠牲者は長い期間でみれば、もっと多かった時期もある(図参照)。

1970年代以降猛威をふるった北アイルランドやスペイン・バスクの独立闘争、イタリアや西ドイツでみられた極左のテロは後景に退いた。代わって前面に出てきたのは散発の宗教テロだ。マドリード(2004年)では191人、ロンドン(05年)では52人、パリ(15年)では2回のテロで140人以上が犠牲になった。西欧外に目を転じると悲惨ですらある。01〜14年の間にイラクの約4万3千人、アフガニスタンの約1万7千人、パキスタンの約1万4千人をはじめ、おびただしい数のテロ犠牲者が出ている。5年にわたる内戦やそれに伴う暴力で、シリアでは死者が約25万人にのぼるといわれる。

 急いで付加すれば、西欧でのテロの問題が軽微だとか、犠牲者の数で話が尽きると言っているわけではない。

 差別や疎外に培養されて、宗教的な急進主義や宗派対立がはびこり、戦乱やテロの中に「生の意味」をみいだす若者が、シリアから米カリフォルニアまで、バリからパリまで、グローバル化の下で行き来する。そうした新手の世界内戦の時代にあって、欧州は徐々に重要性を増す一つの舞台ということになろう。
 欧州にとっての短期的な課題は明瞭だ。約5000人が欧州からシリアとイラクに渡航。10年前には国際テロ組織アルカイダの戦闘員は200人ほどだった。渡航者の中で総数が多いのはフランスで1200人が渡航し、人口比でトップを争うのが約500人のベルギーだ。約15%は死亡したものの、30%前後が欧州に戻ってきているといわれる。そのうちの誰が過激派組織「イスラム国」(IS)に幻滅し、他の誰が共鳴したあげくテロを起こしうるのか、より分けていかねばならない。

 この作業はベルギーのような小国には手に負えない。いきおいEU・大国との協働作業となる。シェンゲン情報システムを通じて犯罪者データを蓄積し、欧州テロ対策センターを立ち上げたが、機密情報になると、公安当局間の猜疑心は強くなり、ルールでも共有を禁じられ、協力は進まない。そもそもドイツのような大国でも、2000人のシリア渡航者データしか持ち合わせていないという。

 内務協力の強化とともに取り組むべきは域外国境管理の徹底だ。しかしEUが4万4干`bに及ぶ海と9干`b`の陸のシェンゲン境界線を24時間くまなくパトロールするのは至難だ。しかもトルコからギリシャへは海路で20分だ。

 05年に発足したEUの対外国境管理協力機関(FRONTEX)は、幹部が「失われた10年を過ごした」と嘆くほど、政策資源を欠いている。

 米国の税関・国境警備局が100億j(約1兆1200億月)ほどの年間予算を持つのに対し、FRONTEXには今年、予算が5割増しでも、1億7600万ユーロ(約220億円)しかない。人口5億人に対し、ワルシャワの本部には300人ほどのスタッフしかいない。またシェンゲン情報システムの犯罪データに、その代理人はアクセスできない。つまり実効的でない。

 テロに限って言うとEUの危機の中身とは、これらの措置が不完全のまま、域内の移動の自由を維持した先に、おそらく新たなテロが待っているという展望にある。さらに言えば、EUは戦後長らく問題の解決枠として機能してきたが、改善がままならない程度に応じて、問題の一部となった。これが新局面である。
 さらに根深い危機は、欧州での移民(今後定住するシリア難民を含む)の包摂にある。

 従来、おおむね英国型の多文化主義(ベルギーも近い)とフランス型の統合主義の2方法で移民の包摂を図ってきた。しかし文化・宗教集団の方法を尊重する英国で、05年にホームグロウン(自国育ち)のテロが起き、時を同じくしてフランスでは、国民として同等に扱うとした移民の子孫が社会的排除に耐えかね、郊外で暴動を起こした。このころから、移民の包摂に失敗しているのではないかという深刻な疑問が突きつけられた。

 政治的な穏健中道の勢力は概して、その包摂理念や方法の点検、改善、刷新に十分力を注がず、疎外された集団との対話は後手に回った。左派は、自由民主主義がよってたつ共同体構成員の枠組みの臨界について無頓着なまま域外民を受け入れる傾向にあり、その間隙を縫って極右が伸長した。度重なるテロや暴動にいらだつ国民を前に、穏健右派は次第に極右の手法に流され、その票を取り込み始めた。

 政治的両極化の中でやせ細るリベラル中道派は排外的にならず、かといって共同体構成員の枠組みに無頓着にもならず、移民の社会的包摂の物語を紡ぎ直さねばならない。

 この包摂の困難がそのまま危機の深化につながる。外からの人の流入を抑え内務情報をいくら交換しても、自国民が自爆テロリストになりテロを支援するようになることを、中長期的に内科的な手法で防げない限り、惨劇は続く。ベルギーのモレンベーク地区出身で、ブリュッセルでのテロの4日前に逮捕されたサラ・アブデスラム容疑者が、おそらくシリアへの渡航歴なしにパリ同時テロを支援していたことには留意が必要だ。

 テロは単なる暴力ではない。それをみる者がいて初めて成り立つ、いわばみせる暴力だ。実行犯は被害者に直接の恨みを持たない。惨劇を目の当たりにさせたい相手はわれわれ一般市民であり、それは広義のテロ現象の不可欠な一部にほかならない。

 それが意味するのは、テロの目撃者たるわれわれが実行犯、被害者に続くテロ現象の主役であり、実行犯の意図からすると、振る舞いが問われる決定的な主体ということである。具体的にはわれわれがテロを前に、合理的な警察行動の是認を超えて、政治的な差別や抑圧を助長し、軍事的な報復に手を貸すようなことになると、テロや暴力を再生産する結果に終わるだろう。

 ある調査によると、14年8月から15年10月までに米軍が空爆で殺害したIS戦闘員は約2万人にのぼる。一方で、14年9月時点でISが勧誘した戦闘員は80カ国から15000人だったが、1年数には100ヵ国からの3万人に増えた。これは、テロの報復でフランスやベルギーが空爆をしたところで、ISの壊滅に腰立たないことを端的に示す。一方で、パリのテロ直後から、オランド仏大統領は非常事態を宣言し、延長してきた。テロ関与者のフランス国籍剥奪を定めた憲法改正案は廃案になったものの、強権の行使はいまだに可能だ。そして、多くのフランス国民がそうした対応を支持している。

 テロに過剰反応する時、実行犯の術中にはまる。現況が本当に例外的な非常事態か、合理的な課題設定は何か、立ち止まって考えるべき時だ。

 

 

 

 

 


 

ベルギー連続テロの衝撃(下)

イスラム国排除後の姿描け



福富 満久 一橋大学教授

 パリを襲った同時テロに続き、欧州政治の中心であるベルギーのブリュッセルが過激派組織「イスラム国」(IS)によるテロに見舞われた。欧州委員会をはじめ、欧州連合(EU)の組織が多く集まる「中心」が狙われたことに世界は大きく揺れている。

 ISがブリュッセルを狙ったのは、米国や欧州諸国の「横暴」を暴くために最小限で最大の効果を得られる場所であったということ、そのうえで空爆に屈しないという姿勢を示せる場所だからだ。しかし現実にはISは一層の弱体化を知らしめているといえる。ISの唱えるグローバルジハード(国際聖戦)は、メッセージのない空虚で残虐なテロ行為にほかならない。
 第2次大戦後、欧州諸国のリ−ダーたちは、第1次大戦、に続き欧州が戦争の起点となったことから、長い時間をかけてEUを創設した。EUと、は不戦条約締結国の集合体でもあり、加盟国は互いに戦争をしたことがない。すなわち不戦を誓った場がEUであり、宗教・人種・出自に関係なく人権が保障される場がEUだった。中でも、言語が異なる領域が連邦制を構成する小国ベルギーはその理念を表すシンボル的存在だった。

 だが、難民を保護し、人権や民主主義を声高に叫ぶ一方で、欧州が中東地域でしてきたことは何か。周知の通り、パレスチナ問題は英国の二枚舌外交が招いた問題だ。

 ISの牙城となっているシリアは過半をフランスが委任統治していた。もともとイスラム教スンニ派が多数派を占める同国で、約13%を構成するにすぎなかった貧しいアラウィ派を、フランスが治安維持を担わせるために軍事教育したことが混乱の発端だ。

 アサド大統領家はアラウィ派に属し、力を蓄えると、独立後バース党、政府機関、軍、国営企業の要職を実効支配し、多数派のスンニ派を排除して強権的に同国を統治してきた。中東の民主化運動「アラブの春」後、長年弾圧されてきたスンニ派の一部が国際テロ組織アルカイダ系「ヌスラ戦線」やISへ姿を変えた。

 イラクでのIS台頭にも欧州が関係している。湾岸戦争終結後、米仏英主導で国連安保理下に設立された国連賠償委員会(UNCC)はクウェートとの協議の結果、イラクによる侵攻に伴う層害賠償額524億jを認定。イラクはこれまで478億jの戦後賠償をしてきた。ちなみに米国によるべトナム戦争や03年のイラク戦争、ウランスによるアルジェリア戦争でも、一切戦後賠償はなされていない。

 国家再興時に巨額の賠償を求められたイラクは最終的に経済運営がままならず、ISが政治に幻滅したスンニ派住民の支持を集め急拡大した。
 欧州諸国の偽善を暴くにはその中心であるブリュッセルは最良の舞台だった。多くの権限が連邦政府から地方自治体に移譲され、警察機構が6地域に分割されていることもテロリストに好都合だった。またISの過激思想はアイデンティティー(主体性)形成に失敗した移民2世のくすぶる気持ちに入り込んでいた。

 歴史に根を張った問題と、社会からの隔離や拒絶・失業問題など、現代社会特有の問題の2つが複雑に絡み合うため、解決は容易ではない。
 シリアやイラクから帰還した工作員が、数百人規模で欧州に潜伏している現在、ISのテロをすべで未然に防ぐことは不可能に近い。欧州主要国の中で大規模テロが唯一起きていないドイツが、次の標的になることが懸念される。

 ISは主権、領土、国民を有する国家の3要件を満たしておらず、国際社会からも認知されていないステート(国家)を名乗るテロトスト集団だ。命令系統も明確でない。国レベルならば停戦など話し、合いをすることが可能だが、テロリスト集団と交渉すること自体、相手の存在を認めることになるため不可能だ。身代金交渉が公にならないのもこうした理由からである。

 では、今後も悲観的な展開が続くのであろうか。

 欧州内ではパリでのテロ以降、各国政府はイスラム教徒の特別警察要員や憲兵隊員など国家エージェント(代理人)をイスラムコミュニティーにもぐり込ませて内偵し、構成員のリストを入手するなど捜査を進めている。一方、国際ハッカー集団「アノニマス」によるハッキングでテロ計画が明らかになるなど、官民挙げてのIS包囲網は狭まっている。パリのテロ首謀者の捕獲にも成功しており、今後の捜査次第ではISは劣勢に立たされることになるだろう。

 また、ISが凄惨なテロを実行すればするほど、内部からの崩壊を免れない。かつての被抑圧者が圧政者による不正義を糾弾するために行ったハイジャックなどのテロは、その政治的なメッセージを推し量れた。ところがISは、シリアやイラクでも子供を含め自国の無垢(むく)の良を目的なく殺傷している。IS構成員からも幻滅し離反する者が出始め、ISと戦う有志連合に加わっていたエジプトやサウジアラビアなど中東の主要国も空爆支持に回った。
 ISをさらに追い詰めるには、テロリストの監視リストを各国で共有し、顔認証システムなど最新の技術を取り入れテロリストを追跡していくことも重要だろう。他方で、欧州のイスラム教徒はコミュニティーをより外に開き、責任を果たして社会を支えてきたこと、そして今後も社会を積極的に支えていくという姿勢をみせていく必要もある。

 政治・行政レベルでは、機会均等を保障するアファーマティブアクション(積極的優遇政策)導入を含め、イスラム市民の包摂を広く深く議論していくことを期待したい。ISの本質を世界は理解し一つつある。EU諸国民もそのことを知り、むやみにイスラム教徒に対して恐怖心を抱かないようにすることが肝要だ。ISへの空爆では、アルカイダと異なり支配領域や「国家機関」を特定できることから、成果が上がっている。イラクとシリアにまたがるISは昨年1年間で14%の支配地域を失った(表参照)。


さらに金融資産の凍結、石油資源や麻薬取引の管理強化で、構成員に報酬を払う資金源が断たれた。日本人ジャーナリストの殺害に関わったとされるリーダー格の構成員も無人爆撃機などの空爆で死亡した。

 とはいえ、欧米諸国は今後、国際法にのっとり中東諸国に権限を順次移譲していく、ということを考えるべきだ。

 仮にシリアに欧米主導で本格的な軍事介入をするのであれば、その後の戦後復興まで視野に入れて国際社会全体で進める必要がある。カダフィ政権崩壊後のリビアでは、武装解除に失敗し、部族間・地域間抗争が激化した。これは欧米諸国が介入のみに注力して、戦後復興に腰を据えて手を差し伸べなかったからだ。

 シリアを連邦国家として分割し、関係国が委任統治する案が協議されている。単一国家の形をとりながら、広範囲の自治権を付与する手法ならば治安回復に効果があろう。

 ISはイスラムにとっても悪である。アルカイダの力がそがれていったように、長期的視点に立てばISはこれ以上の勢力拡大は見込めない。実際、中東でもイスラム過激主義に共感を寄せる国は皆無だ。ポストアサド体制を含め、地域の問題は地域の問題として責任の所在と応答できる範囲を中東諸国側と話し合うことが地域の安定の鍵を握る。

 

 

 


 

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