今を読み解く
存在感高めるバチカン
国際政治に強い影響力
3月20日、オバマは米大統領として88年ぶりにキューバを訪問、その数日後アルゼンチンでタンゴを踊り、メディアの話題をさらった。この約1ヵ月前にキューバでローマ教皇(法王)が千年ぶりにロシア正教のキリル総主教と会談した。さらにその5ヵ月前、教皇はキューバと米国を訪問し大歓待を受けた。国際政治の動向を大きく左石するこれら一連の出来事に、現教皇フランシスコの戦略や影響が見え隠れする。
12億人のカトリック信者を束ねるバチカン。その上ップであるロ−マ教皇は国際関係の上でも体制の異なる国同士の仲介役を積極的に果たしてきた。1962年のキューバ危機は当時の教皇ヨハネ23世の仲介で米ソの核戦争を寸前で回避。89年末の東西冷戦終結に至る過程では、東側のポーランド出身であるヨハネ・パウロ2世が対話と和解に大きく貢献した。この2人の教皇を、今回の米キューバの国交回復を仲立ちしたフランシスコが聖人としたのである。
●80万人が集まる
2014年4月に開かれた列聖式。その様子をロバート・ドレイバーほか著『新生バチカン』 (高作自子訳、日経ナショナルジォグラフィック社・2016年)はロックフェスティバルさながら多数の若者が寝袋を持ち込んで80万人が集結したと記す。教皇フランシスコは13年の就任以来、システイーナ礼拝堂での伝統儀式などカトリック教会2000年の歴史を背負うと同時に、贅沢を排し、貧困、労働、環境、難民、中絶、同性愛などの社会問題や国際問題に関与してきた。教会の枠を超えて絶大な人気を誇り、すっかり国際政治の不可欠なプレーヤーとなった現教皇の行動力の源は、いったいどこにあるのだろうか。
彼の本名ベルゴリオの伝記『教皇フランシスコの挑戦』 (ポール・バレリー著、南條俊二訳、春秋社・14年)で、その衝撃的な過去が明かされる。母国アルゼンチンは1976〜83年の「汚い戦争」で、右翼政権によって左派とみなされた労働組合、学生・政治運動家や記者など約3万人以上が誘拐・拷問・殺害された。この右翼政権を米中央情報局(CIA)が支持、また反共産主義の立場からカトリック教会も協力したとされ、その責任が追及されている。当時ベルゴリオはイエズス会のアルゼンチン管区長に、わずか36歳で就任した。
カトリック教会内には保守とリベラルの対立がある。スラムでの救貧活動など一般信者に身近な活動を行うイエズス会は、その中でも左派的傾向にあった。さらに南米では不平等な土地所有制度による極端な貧富の格差があり、こうした社会状況から「解放の神学」が生まれた。解放の神学とはカトリックの教えとマルクス主義が結びついた神学で、反マルクス主義の立場からバチカンは長らく異端としてきた。
「汚い戦争」のころのアルゼンチンでは司教などの教会内上層部は保守的で右翼政権に協力、一方、解放の神学を擁護する者もいるイエズス会内では、左派と保守が激しく対立していた。スラムで救貧活動をしただけで聖職者が右翼政権に殺害される状況の中、ベルゴ
リオが管区長だった時期にもイエズス会修道士2人が誘拐・拷問される事件が起こった。2人は結局釈放されるが、ベルゴリオが右翼政権に密告をしたとされ、彼が教皇になると、この事件を巡って激しい批判が起こったのである。
著者のバレリーは、ベルゴリオの「汚い戦争」への関与を調べ、関係者へのインタビューなどで客観的に跡づけた。著者はベルゴリオがある程度右翼政権と繋がりがあり、誰が誘拐・殺害されるかの情報を事前に把握、彼らの大半を亡命させたが、連行された2人とは対立関係にあり、逃がさなかったという見方をしている。そしてベルゴリオがこのような過去を罪と認めて向き合い、克服したとき、教皇フランシスコが誕生したと指摘する。
●矛盾に向き合う
石川明人著『キリスト教と戦争』(中公新書・16年)は、宗教だけが原因で戦争やテロは起きないと述べる。人間の内面の矛盾が高じたあげく、愛する者を守るための暴力を生むのだ。その意味でイスラム教と同様に、キリスト教も平和を希求しつつ武力行使を正当化してきた歴史がある。
過激派組織「イスラム国」 (TS)など宗教に名を借りたテロが横行する世界。過去の「汚い戦争」で生身の暴力を体験した宗教指導者こそ、それに立ち向かう強さを持っているのであろう。