FT 欧州統合の後退が始まる
危機増幅を防げぬ誤った政策の歴史
ヨーロピアン・コメンテーター
ウォルフガング・ムンヒャウ
筆者の人生において初めて、欧州統合が一歩後退する可能性がある。テロ攻撃がさらに起きるのか、英国が欧州連合(EU)を離脱するのか、今年ないし来年に難民がどれほど来るのか、ユーロ危機が再来するのかどうかは予想できない。だが、こうした危機の少なくとも1つが手に負えなくなる確率が極めて高いことは確信している。
今から振り返ると、EUが適切な銀行同盟をつくらないまま単一通貨を導入したのは間違いだった。共通の国選警備隊と移民政策もないままに、パスポートなしで行き来できるシェンゲン圏を創設したのも間違いだった。筆者なら、このリストにEU拡大も加える。間違いだったのはその理念ではなく、その拡大を拙速に追求した点だ。
口 □
最近の重大な過ちは、ユーロ危機を何とか切り抜けれぼよいと決断したことだ。欧州の政治指導者が本来なすべきは政治・経済同盟の創設だったが、その創設に対する世論の支持を取り付けることができなかった。代わりに欧州理事会がやったのは最低限度のことで、ユーロがとりあえず短期的に存続すればそれでいいという対応だった。
そのためにこの政策は今、4つの側面からEUが抱える不安定性さを増幅させている。
最初の、そして最も明らかな側面は、EUが一度に一つの大きな危機に対処する能力しか持たないことだ。EUは政府ではない。欧州委員会は部分的に行政府であり、部分的に政権、部分的に欧州条約の守護者だ。欧州理事会も元来、政府ではない。決断を下すために年に数回、一堂に会する各国首脳の集まりだ。欧州理事会は最低限の妥協は見つけられるだろうが、現実の問題を解決する能力はないだろう。危機をしっかり解決するには行政権が必要だが、それがEUにはないからだ。
2つ目の側面は、2つの危機を、それが現実のものであれ架空のものであれ、それらを結び付けることによって生じている。ギリシャ経済は縮小し続けており、マケドニアが国境を封鎖して以来、ますます大勢の難民がギリシャで立ち往生している。これは現実の危機が2つ重なった事例だ。
だが、本来は関係のない異なる危機が結びつけられるケースもある。ポーランドは昨年合意された割当制度に基づいて、7000人の難民を受け入れるという同国の責任に疑問を投げかける口実に、ベルギー連続テロ事件を利用した。また、テロ攻撃と英国のEU離脱の可能性も無関係なはずだが、離脱支持派の一部はそんなことはお構いなしに、自分たちの離脱したいとの狭い政治目的のためにテロ攻撃を利用した。
3つ目の側面は経済的なものだ。いくつかのユーロ圏諸国の経済生産はまだ危機前の水準に戻っていない。緊縮策が最も影響を与えたのは国内外の治安・安全保障の分野だ。多くの政府にとって、社会保障の分野より警察、軍隊への支出を削る方が容易だった。
欧州の危機解決努力を妨げたもう1つの経済的要因は、富める者と貧しき者、北と南との格差拡大だ。これが比較的豊かな北部諸国が、南部への財政支援要請を受け入れることをちゅうちょさせた。支援額が大きくかつ恒久的なものになるからだった。
最も重要な4つ目の側面は信頼感と政治的資本の消失だ。様々な危機が解決されないたびに、市民の間では欧州懐疑主義が台頭してくる。EUが問題解決に突放しているように思えたら人々は当然、EUに新たな権限を与えるのをためらうようになる。左派、右派双方のポピユリスト政党はEUの失故につけ込んでいる。従って欧州の大国でいつかこうした政党の1つが選挙に勝っても、もはや驚かない。
この4つの側面が組み合わさることで、欧州統合を進めるための新たなプロジェクト、つまり連携してテロと戦い、難民流入に対処する中央機関を設立するなど、関係者全員に恩恵を与える素晴らしい取り組みが妨げられることになる。
口 □
もしEUがこれまでの危機で失態を演じていなかったら、人々は欧州共通の移民政策や対テロタスクフォースについてもっと前向きにとらえただろう。
だが、中規模の金融危機さえ封じ込められない人に、自分自身の身の安全を任せるだろうか。筆者なら任せない。だからパスポートなしで行き来できるシェンゲン協定を無期限で停止した方がいいと考えている。少なくとも国境と移民、テロとの戦いに関する主権が完全にEUレベルに移管されるまでは停止すべきだと思うが、そうした主権の移管は実現しないだろう。
経済史は金融危機を何とか切り抜けようと努力しても、決してうまくいかないことを何度も示している。大恐慌や日本の「失われた数十年」を考えてみたらいい。EUにとって、ユーロ危機への対応は破滅的な政策ミスだった。それは多くの国がまだ回復していない中で、新たな不況をもたらしただけではない。EU、そして欧州統合という考えそのものに対する世間の信頼をも破壊してしまったのだ。 (3月28日付)