大震災から5年
エネルギー政策 3ヶ国のいま
フクシマを見た世界が選ぶ道
東京電力福島第1原子力発電所の事故は海外のエネルギー政策にも影響を及ぼした。原発の将来性が揺れる中で、米国やドイツは太陽光などの再生エネルギー開発の強化を競い、電源構成の多様化と民間マネーの呼び込みに躍起だ。原発路線を堅持する英国も含む米欧3カ国から、「フクシマ以降」のエネルギー政策を考える。
米 再生エネ投資急拡大
ラスベガスから高速道路で1時間弱。赤茶けたモハベ砂漠に突然、銀色に輝く光が目に飛び込んできた。正体は大量の鏡。米グーグルや電力大手NRGエナジーなどが運営する世界最大の太陽熱発電所だ。
2014年に完成したイバンパ発電所は、14平方`bの敷地に17万枚の鏡を設置。砂漠にぎらぎらと照りつける太陽光を反射し、40階建てのビル並みに高い発電塔の先端に集め、ボイラーを沸かす。出力は39万`ワットで、14万世帯の消費電力をまかなえるという。「我々はエネルギー技術、特に再生可能エネルギーに重点投資している」とグーグルのエネルギー部門、フィル・ラロシェル氏は説明。総額22億j(約2500億円)に上る事業費について、米エネルギー省から16億jの債務保証を受けた。
風力発電も急拡大している。オバマ政権の6年間で米の風力発電量は3倍に増えた。「生産税控除」の効果で08〜14年に米国で新たにつくられた発電所の31%が風力だった。30年には全米の発電能力の2割を風力発電で供給できるとエネルギー省は期待する。
エネルギー省の支援で米サンディア国立研究所などが開発しているのが、従来よりも2・5倍大きい半径200bの回転翼(ブレード)を持つ風力発電装置だ。超軽量の羽根で巨大タービンを回すことで、1基5万`ワットという従来の6倍の出力を引き出す。「従来の回転翼は重く、コストに直結していた」と同研究所のトッド・グリフィス氏。
オバマ大統領が2期目入りした13年に打ち出したエネルギー政策は「全部やる」戦略。就任当初は地球温援化対策として再生可能エネルギーを重視していたが、天然ガスなど利用できる資源を総動員する方針に転じた。「21世紀に使用可能な資源はすべて開発する」(オバマ氏)。中核はシエール革命だ。石油の輸入依存度を下げてエネルギー安全保障を強化するほか、エネルギーコストの低減で国内産業を後押しする。シェールオイル増産で、米は14年にサウジアラビアを抜いて世界最大の産油国となった。
一方で温暖化対策の手段になりうると見込まれていた原発は、福島原発の事故以後、逆風が吹き付ける。
米原子力規制委員会(NRC)は同事故直後に調査委員会を設置し、原発の安全性の再確認を始めた。11年夏の報告書は、「運転継続には大きな支障がない」とした一方で、電源喪失の対応や地震、洪水の再評価など12項目を勧告した。
勧告に沿った規制強化で原発の建設・維持コストはさらに増した。12年2月、事故前から検討していたボーグル原発3、4号機(ジョージア州)の新設を34年
ぶりに認可したものの、その後は廃炉の決定が相次ぐ。割安な天然ガス火力発電に対抗できなくなったためだ。
15年10月には19年ぶりにワッツバー原発2号機(テネシー州)が米規制当局か
ら運転の認可を受けた。ただ20年以上に及ぶ建設中断の間に福島原発事故の影響で、洪水対策に2億jの追払費用がかかるなど、計画からコストも膨らんだ。
現在、米で運転中の原発は99基。このうち運転開始から40年以上が経過した老朽原発は38基にのぼる。安価な天然ガス火力発電に押され、10年以降に5基が閉鎖したほか、さらに数基が閉鎖を予定している。再生エネルギーへの依存度はいや応なく高まる。
英 原発推進へ反発少なく
北海油田枯渇リスクが影
2015年10月、英南東部で計画中の原子力発電所に先進国としては初めて中国製の原子炉を導入すると表明して世界に衝撃を与えた英国。英国民の間では中国製に対する安全性や安全保障上のリスクを懸念する声も出ているが、原発推進そのものへの反発は小さい。日本と違って地震国ではないためで、福島原発事故後も原発を巡る反動はほぼ起きなかった。
既存の原発は老朽化が進み23年に向けて一斉に更新需要を迎える。国内では原発市場に外資を積極的に受け入れ、地元の雇用促進に生かそうという空気も強い。原子力発電の比率を全体の2割までとする方針で、日本を含め世界中の事業者に入札を開放し、新たな発電所の建設を急いでいる。
こうした中で英エネルギー政策に濃い影を落とすのが、長期的に資源の枯渇が予想される北海油田の問題だ。電力供給の大きな穴を埋めるため、技術が確立している原子力で一定量を確保しつつも、成長力が大きい再生可能エネルギー分野を伸ばすことが欠かせない。
英国本土グレートブリテン島の最北端をのぞむベントランド海峡。季節を問わず強烈な寒風が吹きつけ荒波が立つ。ここで建設が進むのは欧州最大級の潮力発電施設だ。
事業計画では海峡の海中に269の巨大タービンを設置。約17万5干世帯分に相当する電力を創出し、16年中にも本格的な潮力発電の実用化が始まる見通しだ。建設を担う英アトランティス・リソーシズの担当者は「北海油田事業に代わる産業に育つ可能性がある」と期待する。
英政府は昨年秋、25年までに12の石炭火力発電所をすべて閉鎖すると表明。北海油田の採掘量減が予想されるなか、太陽光などの再生可能エネルギーの総発電力に占める割合を3割に引き上げるのが目標だ。潮力発電はその柱のひとつ。やみくもには公的支援せず、市場原理を導入しコストを抑えるのが英国流だ。
例えば補助金制度。昨年12月に小規模の太陽光発電に対する補助金制度の廃止時期を1年前倒しし、15年度末にした。陸上風力も同様に補助金を減らす。
事業者の抵抗は大きかったが、ラッド・エネルギー気候変動相は「再生可能エネルギー事業は補助金にずっと依存し続けるものであってはならない」と明言。温暖化防止のためであっても公的支援が肥大化しないよう苦心している。
独 脱原発を加速
核への不信感、政治動かす
東日本大震災の翌日、2011年3月12日。緊急記者会見に臨んだメルケル首相は口を開いた。「ドイツは日本(の原発事故)から学べることがある」。脱原発を前倒しするとの宣言だった。
メルケル首相は前の年に40年に原発を全廃する考えを打ち出していた。だが日本の原発事故を受けて移行期間を一気に短縮し、22年までに原発を停止することを決めた。
決断の背景にあったのは国民の圧力だ。ドイツは核エネルギーへの不信感が強い。東西冷戦の最前線だったころは核戦争におびえ、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故では健康被害を心配した。日本の原発事故を受けて対応策を講じないのは得策ではなかった。世論の風を読むのにたけたメルケル氏は機敏に動いた。
もっともドイツ現代史を振り返れば「脱原発」はメルケル首相の専売特許とはいえない。
原発全廃は社会民主党SPD)と環境政党・緑の党が政権を握っていた99〜00年に大枠が固まった。当時の目標は21年。それを一度は先送りしたメルケル首相が大震災を機に政策を原点回帰させたにすぎない。
それでもドイツ世論はメルケル首相の手腕を評価し、首相が率いる保守系与党は環境派の有権者をひき付けている。
脱原発と並行して風力、太陽光、バイオマスなどの発電施設を増やしたのに伴い、15年時点でドイツは電力供給の30%を再生可能エネルギーで賄う。
この比率を引き上げ、同14%を占める原発の代替とするのがエネルギー政策の基本方針だ。温暖化対策の観点から火力発電所は増やさない。
実現に向けて14年に「再生可能エネルギー法(通称EEG)」を大幅改正した。コストを企業や家計で広く分かち合い、電力消費に占める再生エネの比率を25年までに40〜45%、35年には55〜60%に高める計画だ。
課題は山積みだ。例えば高い電力料金。再生エネを普及させるための「賦課金」だけで1世帯当たり年220ユーロ(2万7000円)の負担になっているという。今後は発電をやめた原発の廃炉コストもかさみそうだ。エネルギー源の転換は電気科金や税金などの形で家計にのしかかる。
もっともこれだけ企業の負担も重いのに、強い不満はそれほど漏れてこない。
「電気料金を見直します」。今年2月、電力大手ヴァッテンファールはベルリンの利用者に紙切れ1枚で基本料金の値上げを通知したがほとんど話題にならなかった。
「核」への警戒感がそれだけ強く、多くのドイツ人はやむを得ないと割り切っているからだ。直近の各種世論調査でも国民の7〜8割が脱原発と再生可能エネルギーへの転換を支持している。
ドイツに同調する国は少数派だ。ポーランド政府は20年に新しい原発に着工し、25年に発電にこぎつける青写真を措く。一枚岩になれぬ欧州連合(EU)の複雑な実情も浮かぶ。