核心 忍び寄る欧州分裂の足音
編集委員 大林 尚
渦巻く非寛容、北欧にも
「ザ・ブリッジ」はスウェーデン第三の都市マルメと対岸のデンマークの首都コペンハーゲンをつなぐオーレスン橋を舞台にした両国合作のテレビドラマだ。橋の真ん中で見つかった他殺体をめぐり両国の警察当局が織りなす確執を描いた人気のサスペンスである。
両国の国鉄が共同運行する列車がこの橋に続く海底トンネルをくぐり、二つの都市を30分強で結ぶ。途中にはコペンハーゲン空港駅があり、2000年の橋の開通はスウェーデン側に住む人の足の便を格段に高めた。家は物価が安いマルメ、職場はコペンハーゲンという人も少なからずいる。
国境を意識せずに互いに行き来しているのは、旅券や身分証の審査を省く欧州のシェンゲン協定に両国が入っているからだ。北海とバルト海を隔てる美しい橋は、協定の象徴である。ところがスウェーデン政府は年明けから突然、国境審査を始めた。シリアやアフガニスタンからシェンゲン圏に入ってきた難民・移民が自国へ流れ込むのを押しとどめたい思惑がある。
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今月初め、記者はコペンハーゲン空港駅からマルメ中央駅まで列車に乗った。欧州統合に半身の姿勢を貫く英国はシェンゲン協定に入っていない。ロンドンからの便が着いたコペンハーゲン空港での入国審査は難なく済んだ。だが空港を出ると空気に変化を感じた。どこかぴりぴりしている。
マルメ方面行きのプラットホームに入るには、にわかづくりの検問所を通らなければならない。蛍光色のダウンジャケットを着込んだ十数人の保安要員が待ち構えていた。「身分証を」と言われ旅券を出すと、顔写真のページをスマートフォンのようなカメラで撮られた。出る方の審査だ。
待つこと十数分、入ってきた列車に乗ると再び「身分証検査があります」というアナウンス。橋を渡り切った国境の駅フリヤで男女2人の警官が乗り込んできた。入る方の審査だ。列車のドアを閉めたまま乗客の身分証を点検してゆく。地元の人は顔写真付きのカードを見せればとがめなし。日本のマイナンパーカード
に類する身分証である。
記者の旅券をめくっていた男性警官に「入国ビザがない」と、質された。要らないはずだと応じたが、とりつく島がない。ほかの車両の点検を終え戻ってきた女性警官が彼に何かを耳打ちし、事なきを得た。日本旅券はビザ不要だと伝えたのだろう。国境審査と無縁だった橋で遭遇した現場の混乱は、政府決定の唐突さを物語っている。
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14年9月、スウェーデン総選挙で下野した中道右派の連立政権は貪欲に人を受け入れてきた。政権を8年率いた穏健党のラインフェルト前首相は、総人口1千万に満たぬ小国が成長を続け、社会の安定を育めるには人の受け入れが不可欠だという信条を持っていた。性善説に立つ多くの有権者の支えがあった。
日本の消費税にあたる付加価値税の税率は25%。欧州連合(EU)28カ国で最高の部類だ。前政権は外食にかかる税率を12%に下げた。外食は軽減対象になり得ないという「常識」を打ち破ったのは、ホテルや飲食店で働く移民の懐を潤すのが狙いのひとつだった。
中道左派のロベーン首相がこれを引き継いだ。ロベーン氏の社会民主党は選挙戦で外食の軽減税率をなくすと公約していたが、政権をとるとあっさり引っ込めた。税を払う側にも好評な「付加価値税を活用した経済政策」 (北欧政治が専門の岡澤憲芙早稲田大名誉教授)には、国を開くという両派共通の理念が根ざしていた。
理念が崩れ始めたのは昨年秋から暮れ。激増した難民や不法移民の素行不良問題が報道されだした時期に重なる。スウェーデンが昨年1年間に受け入れた難民は16万あまり。人口比では百万強のドイツをしのぐ。
1月末、ストックホルム市民の憩いの場セルゲル広場に外国人排斥を訴える一団が集まった。議会第3党に躍進した極右勢力、民主党の支持者だ。地方都市ではイスラム教の礼拝堂モスクに火炎瓶が投げ込まれる騒ぎがあった。閣僚を交えたイスラム教信者の支援集会も開かれているが、国を覆う空気は寛容から非寛容へと変化しつつある。
今月、ロベーン政権は難民受け入れ基準の厳格化法案を公表した。@滞在期間を永住から最長3年に縮めるA難民認定者の家族呼び寄せは配偶者とl8歳以下の子供に限るーが柱だ。EUの最低基準にそろえるこの内容は、昨年末に野党穏健党と合意ずみ。5月に成立する見通しだ。
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非寛容の空気はおのずと隣国へ流れ着く。オーレスン橋での経験ほど厳しくはないが、デンマーク当局は陸海のドイツ国境で抜き打ち審査を始めた。また難民認定の条件として1万デンマーククローネ(約17万円)を超す現金と持ち物を供出させる法を制定した。家族の写真など「思い出の品」は除くというが、国境をまたがせたくない意図がありありだ。それもこれもコペンハーゲン市民の多くは、やむを得ないと感じている。
ストックホルム在住の川崎一彦・元東海大教授は両国の非寛容を「難民への脅かしを競っている」と見立てる。昨年、欧州を見舞った分裂危機は南欧ギリシャ発だった。EU離脱騒ぎに沸く英国とともに、今年は北欧が発火点になるであろう。
(マルメで)