FT 米大統領に煽動者は不要だ
トランプ氏が壊す民主主義
チーフ・エコノミクス・コメンテーター
マーティン・ウルフ
不動産王ドナルド・トランプ氏の台頭を我々はどう理解すればいいのだろうか。過去や現在のポピュリスト的な扇動政治家と比較して考えるのは自然だろう。また、弱い者いじめをするナルシストを共和党が大統領候補に選ぶかもしれないのはなぜなのかと疑問に思うのも自然なことだ。
ただ、これは一つの政党の問題にとどまらない。偉大な国の問題でもある。米国はローマ以来の偉大な共和国であり、民主主義の砦であり、自由な世界秩序の保証人である。もしトランプ氏がその国の大統領になることがあれば、世界的な大惨事となるだろう。大統領になれないとしても、同氏は既に、普通なら考えられないことをおおっぴらに口にできるような雰囲気を作ってしまった。
大衆迎合主義と金権政治が融合
トランプ氏は実現不可能な、パラノイアとも言うべき排他主義的政策の扇動者であり、外国人嫌いで、無知な人間だ。自分の虚栄心を誇示するような醜悪な建築物を建てることに熱心で、政治の仕事に就いた経験はない。世界で最も重要な政治職に求められる資質を全く満たしていない。
ネオコン(新保守主義)の知識人、ロバート・ケーガン氏がワシントン・ポスト紙に寄せた強烈なコラムで論じているように、トランプ氏は「共和党が作り出したいわば怪物フランケンシュタイン」でもある。
ケーガン氏によれば、共和党の、民主党が提案することには内容に関係なく無謀なまでに反対を貫くかたくなな態度、様々な政治制度を極悪視する姿勢、偏った自説への固執、そしてオバマ大統領に対する「人種差別的な錯乱症候群」が生み出したモンスターだという。
ケーガン氏はさらにこう述べている。「トランプ氏を支持する『怒れる』人々は賃金の伸び悩みに怒っている、と我々は思わされがちだが違う。彼らは、「共和党がこの7年半にわたって怒れと言ってきたことすべてについて怒っている」。
ケーガン氏の指摘は正しいが、その分析は十分ではない。共和党のそうした態度はすでに1990年代に、同党がクリントン大統領の弾劾に動いた時に見受けられたし、さかのぼれば60年代の公民権運動への対応でも見られた。残念ながら、共和党の態度は時間が経過するに伴い悪化している。
なぜこんなことになったのか。その答えは、税負担の軽減と小さな政府を目指す富裕層が、それを実現するのに必要な共和党のボランティアや有権者らの支持を手に入れてきたからだ、というものになる。つまり共和党がやってきた政治とは、金権政治と右派の大衆迎合主義が融合した「金権ポピュリズム」だ。
トランプ氏はこの融合を体現しているが、共和党の支配層が掲げる自由市場、少ない税負担、小さな政府という3つの目標の一部を捨てることによって、それを成し遂げている。支配層に経済的に依存しているライバル候補は、これらの目標を否定することができないだけに、トランプ氏は圧倒的優位を誇れる。保守派エリートらは、トランプ氏は保守などではないとこぼす。その通りだ。だが共和党の支持基盤にもそれは当てはまる。
すさまじい圧政誰が止めるのか
ただ、トランプ現象は1つの政党の話にとどまらない。米国全体にかかわる話であり、それは必然的に世界全体にかかわる話となる。
米国という共和国を築く際、建国の父たちは共和制ローマの事例を意識した。米国の初代財務長官となったアレクサンダー・ハミルトンは、新たに誕生する共和国には「責任感にあふれ、実行力ある首長」が必要だと論じていた。最高権力者である執政官を2人配置する注意深さを持っていたローマも、困った時には、一時的とはいえ絶対的な権力を「独裁官」と呼ばれる1人の人物に委ねる手法に頼った、と指摘した。
米国はそのような官職を設けず、中央集権的な行政官のポストを作った。選挙で選ぶ君主、大統領である。大統領は限定的だが大きな権力を持つ。ハミルトンは、大統領が過大な権力を持つ危険性は「選挙によって選ばれる点と、本人の義務を果たさなければならないという責任感」によって守られるとしていた。
紀元前1世紀、帝国の富がローマを不安定にした。最終的に人気のあったカエサル派を引き継いだアウグストゥスが共和制を終結させ、自ら皇帝になった。共和制の形態をそのまま維持しながら、それを事実上、無意味なものにすることで元首になったのだ。
憲法によって大統領の権限が制約されていることを理解もしていなければ、信じてもいない人物が当選しても、大統領がきちんと機能すると想定するのは危険すぎる。1100万人(の不法移民)を捕まえて追放するというのは、すさまじい圧政だ。それをやり遂げるために選ばれた大統領を止めることができるのか。もしできるとしたら、誰が止めるのか。トランプ氏が(グアンタナモ収容所で)残酷な拷問を行うことに熱意を見せていることを我々はどう理解したらよいのか。彼は実際に彼の希望することを実行する人々をみつけることができるだろう。
米国民の選択は世界を揺るがす
決意を固めた指導者なら、以前は考えられなかったことを実行に移すのは難しくない。「今は非常時だ」と訴える手があるからだ。リンカーンもフランクリン・デラノ・ルーズベルトも、戦時には尋常でないことをいくつかやった。だが、彼らは限度をわきまえていた。トランプ氏も限度をわきまえるだろうか。ハミルトンの言う「実行力ある首長」は危険だ。
1933年にヒトラーをドイツの首相にしたのは、超保守派のヒンデンブルク大統領だった。この新しい支配者があれほどの破壊をもたらすことになったのは、彼が偏執狂的で異常な人物だったからだけではない。強国を統治していたことが大きい。トランプ氏はヒトラーのような人物ではないかもしれない。しかし、米国もワイマール共和国のドイツではない。米国は、当時のワイマール共和国よりもはるかに重要な国だ。
トランプ氏は大統領候補に指名されないかもしれないが、指名されたら、共和党のエリートたちは厳しい問いを自らに向ける必要がある。なぜこうなったかを問うだけでなく、適切に対応するにはどうすべきかを考えなければならない。
その次の段階として、米国の国民は、どんな種類の人間をホワイトハウスの主に据えたいか決めなければならない。その選択が米国民自身に、そして世界に及ぼす影響は甚大だ。何より、トランプ氏は例外的存在では終わらないかもしれない。「カエサル的独裁主義」の米国版の登場が現実のものとなった以上、これは心配になるほど現実的な危険であるように思われる。米国には今後、こうした事態が再び戻ってくる可能性がある。
(3/2付)