文化 英国ミステリーの魅力
上智大教授 小林章夫
大学の教師となって40年、最近はようやく時間も出来て、就寝前にミステリーに読み耽る習慣がぶり返している。もちろん翻訳も読むし、原文でもさすがに何とか読めるようになっているが、夜になるとぼんやりするし、夕食の時に飲んだワインが効果を発揮して眠気が襲ってくるから困りものである。
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それでも、最近はやりの北欧ミステリー、そしてもちろんかつてのめり込んだイギリスのミステリーには、睡眠不足をもたらすほどの楽しみがあって、手当たり次第に読んでしまう。アガサ・クリスティの作品などほとんど読んだはずなのに、記憶が大分薄れているためか、初めて読むような新鮮味を感じるのだ。これは一体どうしたことか
まず第1に、登場人物が魅力的である。奇人というべきシャーロック・ホームズはもちろんのこと「灰色の脳細胞」を持つエルキュール・ポワロ、下品なジョークを飛ばしながら行き当たりばったりの捜査をするフロスト警部などが、その代表である。
いや、主人公だけではない、脇役、あるいは語り手となる相棒、例えばワトソンや、ヘイスティングズ、ジャップ警部などが登場すると、物語が生き生きとして、セリフのやり取りの妙や、そこに込められた皮肉、ユーモアが笑いを誘うからだ。その意味で、晩年のポワロの世界には淋しいものを感じてしまう。ジャップ警部も、ミス・レモンも出てこないとは。
第2の魅力として、もちろん犯人探しの妙味もあるけれど、それ以上に興味深いのは時代背景、イギリス社会、文化の姿がさりげなく書き込まれていることだ。ヴィクトリア時代のロンドンの猥雑さはもちろんのこと、刑事が捜査の合間に、必ずといっていいほどパブでビールを飲む光最は、いかにもイギリスである。あるいは、ベルギー人のポワロがイギリスの食事をけなす場面。定番かもしれないが、これで読者はイギリスに妙な魅力を感じ、あるいは苦笑をしてしまう。
イギリス以外にもミステリーがあるではないかという声が聞こえてきそうだが、公平に見て、イギリスのミステリーは質量ともに他国を圧するのではないだろうか。その理由を考えると、いくつかのことに思い至る。
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まず、この国では18世紀頃から世界に先駆けてジャーナリズムが発達したから、事件が起きると大々的に取り上げられる。犯罪事件を詳細かつ煽情的に措いた文章が多の人々の関心を集めてきたために、犯人探しの経緯をミステリー作家は手を変え、品を変えて興味深く描き出すのである。
また19世紀になって、首都ロンドンで犯罪が増えれば、これを取り締まる組織も発達していく。警察はもちろんのこと、探偵も次々に現れることになるわけだ。シャーロック・ホームズのような名探偵が生まれるのも当然だし、後続の作家たぢはホームズとは異なる個性を持つ探偵を生み出すのに躍起となる。その意味で、イギリスにべルギー人の探偵を登場させたクリスティは見事。島国イギリスの姿が、この探偵の目を通じて皮肉たっぷりに措かれたのである。
もう一つ、イギリスの気候がミステリーに相応しいことも挙げておきたい。春から夏はともかく、冬のイギリスは日照時間が極端に短く、薄暗くて寒々しい。ミステリー向きである。南欧の明るさからは陰鬱なミステリーは生まれにくい。ただし、北欧のように冬が長すぎると、妙に陰惨な世界が描かれることになるから、個人的には願い下げにしてほしいと思うこともある。
最後に謎解きは昔から多くの人が興味を持つものだから、どの国にもあるはずである。けれども、イギリス人ほどこれが好きな人間はいないのではないか。そのことはクロスワード・パズルに熱中するイギリス人が多いことからもわかる。
好きなミステリーが読める時間があるのはうれしい限りだが、若い頃は犯人探しに夢中になり、やにわに寝床から起き上がって密室殺人の現場の見取り図を描いたり、数多い登場人物の関係を図にまとめ、寝不足のまま翌日の試験に失敗した苦い経験がある。だが同時に、寄る年波ゆえに、細かい文字を追うのがつらくなる。そこで最近は、イギリスのミステリー・ドラマを好んで見ることが多い。気をつけて探してみると、実に多くの、そして多様なミステリー・ドラマが放映されていて、飽きることがない。
昨年の夏以後は《刑事フォイル》というシリーズにのめり込んで、時を忘れることがしばしばだった。第2次世界大戦期のイングランド南東部、それもヘイスティングズという港町を舞台とした人情味あふれるドラマである。《名探偵ポワロ》も、穏やかな物語と映像で相変わらず面白い。ただし、スコットランドの離島やウェールズの田舎を舞台としたドラマは、どうもおどろおどろしくて心がふさぐ。もちろん、安眠に差し支えることは言うまでもない。
口 □ 口
というわけで、イングランドの田舎を舞台とするミステリーがいいのだが、大きな難点はおっとりと穏やか過ぎて、いつの間にか眠ってしまうことである。しかも、こうしたミステリー・ドラマには原作がないものもあり、もともとテレビ用に脚本が書かれていたりする。もちろんその出来栄えは見事だし、演じる役者は実にうまい。さすがにシェイクスピアの国だと思ってしまう。
そういえば、今年2016年はシェイクスピアが死去して400年という節目の年である。だとすれば、シェイクスピア、あるいは彼の作品をミステリー仕立てにしたドラマが出てくるかもしれない。いや、ひょっとしてもうつくられているのだろうか。楽しみである。