没後20年
今ひとたびの司馬遼太郎
閉塞感漂う現代に再び注目
「竜馬がゆく」 「坂の上の雲」などの歴史小説で知られる国民作家、司馬遼太郎(1923〜96年)が亡くなって20年。司馬文学の現代性を論じた本が出版され、司馬をしのぶシンポジウムでも現代の視点から作品が語り合われた。「この国のかたち」を考えた作家の作品は、先行き不透明な時代を考える上で示唆に富む。
「子供のころに馬賊にあこがれ、大阪外国語学校(現大阪大学)の蒙古語部に学んだ司馬さんには、騎馬民族への親愛の情があった。土地にしがみつく日本には違和感を抱いており、それが日本を世界の中でとらえ、相対化する見方につながったのではないか」 司馬、映画監督の小津安二郎、SF作家の小松左京という3人を通じて「過去・現在・未来」の3方向から日本の「かたち」を探った本「見果てぬ日本」 (新潮社)を昨年11月に出した慶応大学教授(政治思想史)の片山杜秀氏はそう話す。
隠れた批判精神
日本経済が右肩上がりだった時代、ロマンあふれる歴史上の人物を描いた司馬作品は、ダイナミックな変革の象徴として多くの読者に好まれた。「実は動乱期に変革を進めながら道半ばで終わった人を描くことで同時代の日本を批判していたのだが、うまく伝わらなかったと思う。閉塞感が漂う今だからこそ、その批判を再考する必要がある」と片山氏はみる。
「司馬遼太郎東北をゆく」 (人文書院)を昨年1月に出した「東北学」の提唱者である学習院大学教授(民俗学)の赤坂憲雄氏は「東北に対する司馬さんの優しいまなざし」に注目する。71年から亡くなる96年まで書き続けた紀行エッセー「街道をゆく」 (全43巻)の東北の巻を読み解いた。
「『白河・会津のみち』に表れるように、司馬さんは戊辰戦争の敗者である会津の人々に深い共感を示しており、鎮魂が必要だと考えていた」と赤坂氏。「イデオロギーの熱狂が世の中を動かすことの危険を指摘する司馬さんらしく、稲作中心主義が寒冷地の東北に適用された弊害についても述べている」と話す。
20日、司馬をしのんで東京・日比谷公会堂で開かれた第20回菜の花忌シンポジウムでも「街道をゆく」への言及が目立った。「司馬作品を語りあおう――今の時代を見すえて」をテーマに片山、作家の辻原登、静岡文化芸術大学教授(歴史学)の磯田道史、俳優の東出昌大の4氏が話し合った。好きな3作品の一つとして「街道をゆく」を挙げた磯田氏は「(各地域は)こういう風土だと伝える共通ソフトのようなもので、司馬さんもそれを意識して描こうとしたのだと思う」と話した。
10代から司馬作品を愛読、「生き方の指針としてきた」という東出氏。「二十一世紀に生きる君たちへ」という司馬が子供向けに書いた文章に触れ「人に対して慈しみの心を持ちなさいとある。ぜひ若い方々に読んでもらいたい」と語った。
今後の司馬研究について片山氏は「司馬さんはかんで含めるような口調で過激なことも言っている。そんな安心できない司馬遼太郎を発見する必要がある」と指摘。「『坂の上の雲』が書かれたのは日露戦争の60年後。昭和の戦争を書くには100年ぐらいかかるのではないか。司馬さんだったらどう書いただろうと想像しても面白いのでは」と辻原氏は語った。
日本人とは何か
「戦後思想家としての司馬遼太郎」などの著書を持つ日本女子大学教授(歴史学)の成田龍一氏は「良き日本、日本人の形成を促した司馬文学は戦後日本の指針となったが、冷戦終了でその役割は終えた。しかしグローバル化の進展で『日本人であること』が自明でなくなった現在、復活の時期を迎えている」と話す。ヒントとなるのは、一人の商人が外交交渉まで手がける「菜の花の沖」や、東アジアの海陸で展開する歴史ロマン「韃靼疾風録」といった小説という。
さらに「戦後というプロセスを抜きにしてナショナリズムを高揚させようという動きがみられるなか、戦後と格闘した司馬とともに日本人のあり方を再検討する意味は大きい」とも語る。